「メソポタミア文明」-3(モアブ碑の発見)
 
長い歴史を通じて十字軍、神秘主義者、信者たちが聖書物語の舞台となった地に
引き付けられました。しかし、19世紀になると考古学によって、
聖書への信仰を確かなものにしたいという新しい考えが芽生えます。
聖書に書かれている歴史が事実だと証明することこそ、これほど確かなものはありません。
 
「聖書考古学者の一番の目的は 聖書の記述を裏付けできるものを見つけることでした 
  そして古代の土器類や古代の城壁
  古代の武器などがこんな場所から出てきたのかなどは
  子供の時代からだれもが教わっってきたことでした」
 
初期の考古学的発見にあおられ、世界中の学者が発掘競争に明け暮れました。
イギリス、フランス、ドイツの考古学者らは、こぞって聖地に押しかけ、
国の威信をかけて発掘しました。
 
「聖地での最大の発見は あの有名なメシャ碑文と呼ばれるモアブ碑が出土した時でした」
 
1868年、ベドウィンたちがモアブの奥地で謎めいた石碑を見つけました。
彼らはこの地域の遺物に詳しく、それがヨーロッパ人にとって、
どれほど価値があるものかを知っていました。
このうわさを聞いて最初にやってきたのは、イギリス人宣教師、クラインでした。
彼は黒い玄武岩に刻まれた碑文を見て貴重なものだと直感し、即座に拓本を取りました。
クラインの知らない言語だったので、イスラエルに帰ると碑文解読の助けを求めました。
石に刻まれた文字は、モアブの王の戦いの記述であることが分かりました。
その戦いは聖書にも書かれています。こうして歴史上はじめて聖書に書かれていたものが、
歴史上の事実であることが認められました。同一の事柄が2つの資料に書かれている。
これこそ考古学者たちが追い求めていた証拠でした。
 
モアブの奥地で発見されたモアブの石碑を買おうと、人々は躍起になっていました。
しかし、ベドウィンたちは、ヨーロッパ人があれほど欲しがるのは、
この中に金が入っているからに違いないと思いました。
彼らは石碑を火に投じ、真っ赤に焼けた石碑に何度も水をかけ破壊させました。
しかし金は出てきませんでした。
こうしてモアブの石碑は、粉々に破壊され、聖書の最初の裏付けの証拠品は失われました。
 
証拠品は失われたことは惜しむべきことですが、
しかし、宝探しは終わったわけではありません。
これによって聖書そのものが歴史書とみなされるようになりました。