「東京の縄文時代」-6<縄文早期>-3(八王子市多摩ニュータウン№52遺跡と№293遺跡)
「住居の中に炉ができる」
武蔵野台地の河川沿いには、先土器時代の遺物が多数発見されますが、
住まいの様子を伝える具体的根拠は何もありません。
南関東の縄文時代土器出現期・草創期(1万6000年前~1万2000年前)の遺跡も同様です。
それは定住を目指したというよりも、移動することを主体とした住まい方にあって、
簡易な作りでいいという現れなのかもしれません。
都内で集落を形成する数軒の住居が発見されるのは、
縄文早期(1万2000年前~7000年前)の前半、撚糸文土器が使われるようになってからです。
先土器時代から縄文時代に移り変わる時期は、氷河期が終わり温暖化に向いている時期で、
気候変化に伴う自然環境変化の大きい時期でした。
従って縄文時代は、自然環境に適応するための新しい生活様式=縄文文化の確立する、
時代といえます。
彼らに土器と弓矢を使用させ、魚貝類の採集という食料資源を見つけ、
同時に竪穴住居という定住形の住まいを作りはじめた時代でもありました。
撚糸文系土器が使用された時代の住まいは、
1964年の茨城県花輪台貝塚の調査で初めて発見され、
次いで1964年に千葉県西ノ城貝塚で見つかりました。
東京では、1965年から始まった多摩ニュータウン区域内の№52遺跡と、
№293遺跡で発見されました。
その後、秋川市二宮神社遺跡、町田市小山田遺跡などから住居跡とみられる竪穴が、
次々に発見されます。
住居跡の形は整ってはいませんが、四角形に近いものです。
住居跡の時期は、西ノ城貝塚と多摩№52遺跡は、撚糸文系土器の初め頃。
小山田遺跡と多摩№293遺跡は中頃。花輪台貝塚、二宮神社遺跡は末頃です。
住居内部に炉ができるようになるのは前期という定説がありますが、
多摩ニュータウンだけは炉があるという不思議な現象があります。
