「つつしみ遺伝子」


今日のテーマは「遺伝子に組み込まれたつつしみとは」である。
昨日は自己アピールが大切ということだったが、それにはそれなりの作法がある。
人を押しのけて主張するのは、かえって受け入れてもらえるどころが反発を買う。
こうなるとまったくの逆効果である。著者はこのように表現している。
「遺伝子には2種類の性格が組み込まれている」と。
ひとつは利己的遺伝子で自分の繁栄を優先するもの。
もう一つは利他的遺伝子で自分より他が得を優先するものであるとしている。
そしてそれは生物の死を導くものだという。
日本人の自己主張を殺すというのは、この遺伝子が優先するからなのだろう。
利他的遺伝子は「つつしみ」が伴って、増えすぎるのを防いでいるのだろう。
地球上にはたくさんの生物が存在するが、常に均衡を保とうとする働きがある。
自己的と利己的という二種類の因子が働くようにプログラムされているようである。
死は必然であり、全ての生命や星や宇宙までもが死を迎えるといわれている。
誕生があれば死があるという物の理に他ならない。
生命における誕生と死。この自然の法則は、いかなる生物もまぬがれることはできない。


「安楽死と倫理」という記述があったのでこれに触れてみる。
医学が発達しても死からまぬがれることはできない。
ある患者がこん睡状態を続けている。アメリカの話しである。
息子の病態に見かねた両親は、主治医に人工呼吸器を取り外してほしいと要求する。
しかし、医師は私にはその権限がないと告げる。
もし医師が人工呼吸器を取り外すと殺人罪になるからである。
そこで両親はアメリカの州最高裁にうったえて受理された。
こうしてみると人の命の決定は、弁護士や裁判官であることになる。
日本でも人工呼吸器をつけたり、手術をする場合でも家族の同意が必要である。
人の命は誰のものか。患者の自己決定権が問題になってきている。
死はあくまでも個人のものという考え方である。
「生前の意思」の意識が浸透し始め、日本でも「尊厳死協会」が設立された。
自分の死は自分で決めようということである。
患者もさまざまだが、どうしても痛みの取れない患者もいる。
死ぬほどの苦しみ、これを取るためにモルヒネが使われる。
しかし、それでも取れない場合には、抗うつ剤というものが使われるらしい。
死を覚悟した患者の家族は、抗うつ剤の使用を願い出て、患者は九死に一生を得たという。
死の選択を許されない今日、命とはいったい誰のものかなのかと問われている。


「安楽死法」
日本にはこの法律はないが、オランダ、スイス、ベルギーなどにはあるらしい。
オランダの安楽死法では「本人の求めによって他者の手で終わらせること」と、

明記されているらしい。
安楽死、それは自分の意思による死であり、生の持続であって、
生を断つことは自殺であり、それを介助してもらうことである。
老後の心配は軽減されるが、自殺か、自殺の介助か。
延命治療も疑問が残るが、日本の安楽死法、尊厳死法をどのように考えたらよいのか、
難しい問題を抱えている。