「人に頭脳の高低などない」


今日は「この世でふたつとして同じ遺伝子はない」というテーマである。
神の存在を信じるだろうか。私は信じる。
だって女性は人間を作ってしまうんだから、もう女性を神というしかないだろう(^o^)
特別に神などと言うまでもなく、女性そのものがすでに神である。
女性は信じられないほど不思議で凄い(><)


ここにこう書いてある。神は同じ顔の人間が作れなかった。

それは神の無能力の証ではないのか。
などなど述べているが、神を登場させる前に、

私は「うちの神さん」などと言って奉っておるわけでして(><)
しかしどうなのだろう、欧米では神を人間に似せて作っているが、日本の神は姿も顔もない。
日本の神の代表はアマテラスなのかもしれないが、

どのような顔をしているのか私は知らない。
やっぱり神とは、人間を作ってしまう、それぞれの家庭に存在する神さんだったのかもしれない(><)
今夜の夕飯に一品増えるかもしれないので、たまには持ち上げておきましょ!(><)


「同じ顔を持つ人間はひとりとしていない」と同じように、また同じ遺伝子を持つ人間もいない。
つまり人間は、優劣を作るものではなく、
「人はみな秘められた優れた能力を持つ存在なのだ」と語っている。
だが人は、人をランク付けし一方的な評価を下したがる。
偏差値教育における記憶力中心の教育が今もって存在することで、
人に優劣を与え、ランク付けしたがるのが現状である。


しかし現在は、すっかり様子が変わってきている。

記憶しなくてもインターネットや書物で調べれば、
求めようとしている目的のための予備知識はいくられも容易く得られる。
それをいかに活用するかが、これからの教育なのであろう。
科学の研究もアイデアも、すべて正解のないところからの出発である。
また持ち出すがSTAP細胞も同様で、正解か否かの結論はまだまだ先の話しである。
こんなに早く結論を出そうとしているのは、
古臭い偏差値教育のひずみを今もって引きずっているからなのだろうか。
ここに記してあるが「人にあるのは”頭脳の高低差”ではなく

”それぞれ違う頭脳”なのである」としている。
我々劣等生とレッテルを貼られた者にとっては、実に勇気づけられる言葉である。


ここに素晴らしいドイツの詩人が書いた詩が載っているので記す。


  ”天分” これを持たない者がいようか 
  ”才能” それは単なるこどものおもちゃ
  真剣さのみが人を人として
  汗のみが天才をつくる


人に「頭脳の高低」などない。学校でいう「優等生」「劣等生」こんなにあてにならないものはない。