僕はピーナッツ好きなんだ。

でもピーナッツばかりだとカロリーとか青春のニキビとか気になるじゃんか~

だから柿ピーをなるべく選択している。

で、カオスヘブンも辛さMAX制覇した男として、辛さに自信がある。

でもね、これだけはもう二度と買わねー\(☆o☆)/
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シタャって、『T』で世の中を支配しようと目論んでる企業ありますよね。

DVDを貸してるのは世を忍ぶ仮の姿で。


じゃなかったら、こんなものまでレンタルしてるわけない。


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で、僕んちが、

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見えますか?

0.076μSv/h


僕んちの駐車場、車内が、

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0.046μSv/h
え?


で、シタャに返しに行って、カウンターで数値聞いたら、0.028μSv/h

僕んちはホットスポットなんでしょうか。


なんか、口の中が金属の味する様な気がしてきました(゚Ω゚;)



でもって、今一体どうなってんのか?


関東各地の放射能値の可視化:micro sievert
Visualization of environmental radiation levels in Kanto area(Japan)

http://microsievert.net/


というありがたいサイトがありんす!


すると、僕がもうすぐ悩殺される姐さんのふぐすまと隣りの僕の地域はあまり変わらない事が目で見てわかりました。


これで一安心(・∀・)か…?

ちょうど1年前に、この道を通った夜~♪


ではなく、ランニング始めたんす。



夏にぶっ倒れ、脳腫瘍と脅され、死を恐れ、自殺者を憎み、捨てる命ならくれよと真剣に世を恨んだ日々。



でも、すぐには死なない事が確信できたのが、1年前。



30歳以降代謝の落ちた体、ブクブク太って行き、禁煙でプラス5kg更に増量。



まさにメタボリックシンドロームによる急性心血管イベント発症だったのだろか。



でも、すぐには死なない=強く生きなきゃならんと思い直し、どうしてもできなかったダイエットに真剣に取り組んだのが1年前。



手段として、中々続かなかったランニングを選択。
そして、夜ご飯は米を食べずに野菜、魚、豆腐生活を開始。



3ヶ月で10kg減に成功o(`▽´)o



モチベーション維持の為、1月と4月にマラソン大会にエントリー
どちらも10kmだけど…



そして、12月、今年3回目のレースにエントリー



今日は、東京に用事があり、ついでに全ランナーの夢?のステージ、皇居RUNをついに叶えました!


大手町のビル群うひょー


皇居に向かって敬礼(`∇´ゞ



警視庁だ~ε=ε=┏( ・_・)┛



キモツィー



カロリーがっつり消費後、ゴーゴーカレーでカロリー回復o(`▽´)o
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しつこい日赤ネタですが、これが最後のはず。

海猿も原作者とのいざこざで続編ないみたいですし…



恐怖政治のQQ病棟から、一般的な整形病棟に移り、雪が飽きずにしんしんと降り続く今日この頃と思っていたある日、想像を絶する惨劇の夜がその6人部屋で始まったのです…(°□°;)











それは、向かい側のベッドの若い兄ちゃんが引き金でした…











いきなりむくっと起き上がると、ベッドの上なのに…(・_・;)











げーって…(・_・)











それを目の当たりにした僕も、いきなりもよおしはじめ、トイレに猛ダッシュ”(ノ><)ノ



大の個室にたどり着き、入院着を下ろそうとした、次の瞬間!











それは噴水のように、グレート・ムタの毒霧のように、口からミストのように個室トイレの壁にコーティングしたのです。










と同時にしたからも、シャーシャーと噴出。
これは本来の用途に間に合いました。



だから、骨董市での○○○さんの気持ち共有できます( ̄∀ ̄)



これがある夜の惨劇の全貌です。
そう、院内集団ノロウイルス感染です。



ご存知の通り、冬に流行ります。
老人は死にます。



病院は、院長名での謝罪文ペラと、ビオフェルミン支給のみ。

院長自らお詫びして病棟回れよとも思いましたが、助けてもらった恩義もあるので腹の中に留めました。





なかなか患者が自己防衛できる事じゃないけど、患者、見舞い人の衛生意識を上げる事は重要でしょう。



感染症恐るべし!
入院中二回手術したと思います。


当時は、今みたいにきれいなコンビニやコーヒー屋なんか無く、回転扉のある棟にもっとボロい病棟があり、そこに救急病棟や整形病棟があったんです。


QQの看護士はそれは厳しい女達でした。


今は禁煙成功しましたけど、僕はその頃ヘビースモーカーで、ひっきりなしに真冬の-10℃の中、タバコ吸いに外に行ってました。


二回目の手術も無事終わり、タバコ吸いたくなったので、術後車椅子で、痛み止めの硬膜外麻酔のボトルを首からぶら下げてタバコ吸ってみた所、みるみるうちに意識が飛んで、気づいたらまたベッドにいました。


どうやら、車椅子からずり落ちて気絶したようです(°□°;)


こってりナースに叱られたのは言うまでもありません…
あの~、なかなか本題に触れられずにここまできてしまったんすが、僕もこの病院に入院してたんすよ。


8年前になります。


その時は、脳とか関係無く、交通事故(°□°;)


2004年11月29日の未明の事でした。


実家は札幌で、遊んで明日から仕事なので一般道を北上してたはずなのに、雪もそれほど積もって無かったのに、気づいたら、旭川日赤の救急病棟のベッドで、母の声で目覚めました。


どうやら右腕切断手前だったようです。


日赤の整形名医により、また繋いでもらえました。


その年のクリスマス前まで入院していて、ベッドから外の景色は、ほぼ毎日大雪が降り続き、とても憂鬱な日々だったのを覚えています。
僕は、今ふぐすま県の隣に単身赴任してんですが、かつて、旭川に住んでまして、家も旭川なんす。


今回、脳の症状の時って、大阪では2日だったかな、入院したけど、地元の脳外専門病院も、旭川日赤も、外来でMRIだけなんです。


そして、今年の前半に旭川で診てもらってた医者は、札幌かどっかに転勤になり、次、別の医者に引き継がれる予定だったけど、旭川で受診が面倒くさくて地元の脳外専門病院で診てもらう事にしました。


8月位に受診し、そしたら、1年前にははっきり映っていた所見が消えているんす。

この事から、脳腫瘍、脳梗塞、脳出血、脳血管奇形、全て否定されました。
そして、結論は、『わかんないけど治ってヨカタネ!(b^ー°)』

はあ。


一応、旭川でも診てもらってきてって、糊付け手紙とデータディスクを貰いました。


しかし、日々の多忙でそれっきり行ってないんです。


年末か来年辺りには受診しようかなと…
しばらくぶりです。


こんなごみブログ誰も見てなくて、単なる自分が死ぬかもと思ったから記録って意味ではじめたんすけど、病気的に重い分野なので、ちゃんと検索してくれている人がいたって最近知り、嬉しくなりました。


僕なんかに比べたらその方はもっと壮絶なんです。


徳永英明と同じ病気らしい。


その方の2年間を拝読し、奇跡を自ら作りあげた方だと感銘を受けました。


僕はもう、すっかり治ったつもりでへらへら生きてたんすが、もっかいちゃんと受診した方がいいなと思いました。
このブログを始めたきっかけの日です。


あれから明日で1年…


脳の症状?で大阪の地下鉄御堂筋線で倒れて救急搬送してもらいました。


今の所無事生きてます。


残暑厳しい中、明日を無事過ごせば気持ちも一区切りとなりそうです。


皮肉と言うか、幸運なのか、明日は健康診断です。