3/21(月祝)のつづき
行程
六坊跡→清水谷(家臣屋敷跡・巨岩等)→水ノ手→御屋敷跡

14:06山王丸を過ぎると、六坊跡・大獄城跡方向へイメージ 1
再度地図を見ます.
イメージ 3






見上げる小谷山頂(標高495m)には
「大獄城跡」(おおずくじょうあと)があり、
イメージ 2









大獄城は、初代城主浅井亮政が最初に築いた城です。
その後、主郭は今の本丸に移されました。
当初、山城を築く時は、山頂を好みますが、年齢を重ねますと、
流石に標高495mの山頂では次第に不便になり、主郭を中腹に移転したようです。
ここは朝倉氏が最新の築城技術で強固な守りに改造しています。
北側には二重の堀切りがあります。

しかし、天正元年(1573)8月12日、小谷山の北側にあった焼尾砦の主将、浅見対馬守が信長に寝返った為、大嶽城は落城に追い込まれました。

三日月月所丸は、
浅井氏が造成した砦。北側からの攻撃を防御する為の特に強固な砦でした。
畝上の堀や二重堀切、高い土塁など貴重な遺構がみられます。
月所丸は後でつけた名称だそうです。イメージ 4

岸壁の急坂を下ります。
雨なら滑落の危険大!




14:12  六坊跡
イメージ 7浅井久政氏の領国内にある当時、軍務や政務を司っていた六つの寺院が江北各所(湖北)に散らばっていて不便な為、ここに集めたと言われている。
寺院も大きな勢力を持っていたようです。
木之本町の浄信寺と飯福寺(鶏足寺)の坊が、その坊のひとつではないかと言われています。イメージ 9


また、戦陣で使者の回向(えこう)をしたり、寺院への用務を山上で早くするためだと伝えられています。

※ 「回向えこう」とは、
お経やお念仏の功徳を、亡き人の為に「回し向ける」こと。
イメージ 8

六坊からは、伊吹山も美しく眺められます。
イメージ 13

14:17  大獄城跡への分岐地点
イメージ 5今回は、山頂に寄らずに下山する。
後ろ髪引かれる思い、とても残念です。

三王丸より六坊に至る尾根より清水谷の渓谷を越え、大嶽城跡までは約30分




イメージ 6月所丸跡までは約10分





イメージ 12




清水谷を一気に下山します。
一人しか通れない細い階段道。



清水谷には、家臣団の屋敷が並んでいました。
14:24  土佐屋敷跡(大野木屋敷跡)
浅井氏の重臣大野木土佐守の屋敷跡。
三田村屋敷跡の上方谷道沿いの西側に位置します。

ここでびっくりポン!
今回のガイドさんのお名前が大野木さん。
先祖代々、河毛駅近くにお住まいだそうです。
大野木秀俊(おおのぎ ひでとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。浅井家の家臣でしたが寝返って、小谷城が落城後、羽柴秀吉を通じて信長に投降するが許されず裏切者として中村一氏に殺害されたそうです。
なので、大きな声では浅井氏の重臣大野木土佐守がご先祖様だったとは言えないそうです(笑)お屋敷は広かったようで、崩れかけた石垣が残っています。
イメージ 10
イメージ 11









14:29  三田村屋敷跡
三田村城主・三田村左衛門尉の館がありました。
姉川に近い三田村に居館を持つ重臣三田村佐渡守の屋敷跡。
谷川沿いに石垣が確認できます。
イメージ 14イメージ 15









                                   14:35    木橋を渡る辺りには、巨岩が目立ちます。
イメージ 16イメージ 17









14:37  八畳岩
イメージ 18



イメージ 19










14:39   蛙岩 高さ5m程
イメージ 20


14:40  右手、清水谷の水辺で谷川の水を飲む人が。。。
イメージ 21




イメージ 22






14:42  水ノ手 発見!
イメージ 23清水谷(きよみずだに)を上がっていく「水ノ手」と称する
谷筋が秀吉攻略ルートでした。
秀吉軍は、この溝に沿って京極丸まで這い上がったのです!水は流れていませんが、雨でも降ると濁流になるのかもしれません。
この道を上がってみたいと思いませんか?
現在は道も荒れ、上までたどり着けるかは分かりませんが、興味が湧きます。イメージ 24





今にも崩れ落ちそうな清水谷道を下山します。
イメージ 25









14:45  丸子岩
イメージ 26イメージ 27









14:47  堅掘
御屋敷近くの急斜面に何本も掘られたようです。
今でも、しっかりと残っています。
当時、作業は大変だったと思います。
イメージ 28
ゆるやかな坂の下に、杉林が広がる平坦地が現れ、ほっとします。
イメージ 29イメージ 30









14:50  御屋敷跡
 浅井亮政・久政・長政やお市の方と三姉妹達が日常暮らした所と考えられる。
初代城主亮政が、江北の守護京極氏を招いて饗応した時の記録には、清水谷にあった館の様子が描かれている。
広大な屋敷には、内玄関、書院、居間、女中部屋がり、右手には、宝蔵番所、御台所、下台所があり、左手には、具足屋敷、番衆屋敷下屋敷などが立ち並んでいたという。
イメージ 31イメージ 32









イメージ 33イメージ 34










つづく。。。