10/5(月)の日記のつづき。。。
12:38  「北畠具行卿墓」の看板を過ぎると松並木。
12:39 東山道と九里半街道案内板
イメージ 1東山道は、 横河駅があった梓を中山道と同じ道で東へ進み、長沢を過ぎ、 ここ北畠具行卿参道入口のある谷間で、中山道と分かれ山越えをする。
徳源院のある清滝へ降り、右へ折れ、成菩堤院裏山の北側を東進する。
JR野瀬(山)の踏切に至り、再び中山道と合流して、県境長久寺へと向う。

九里半街道は、
中山道関ヶ原宿と番場宿の間を「九里半街道」とも呼んだ。
木曽・長良・揖斐三川の水運荷物は、牧田川養老三湊に陸揚げされ、
関ヶ原から中山道に入り番場宿で、船積みの米原湊道へ進む。
牧田から米原湊までの行程は九里半あった。
関が原・今須・柏原・醒ヶ井・番場の五宿は、この積荷で6~7軒と問屋が多かった。

イメージ 2中山道分間延絵図




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12:43 柏原宿西見附跡
柏原宿西の入り口で、道の両側に喰い違いの土手(土塁)がある。
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この地点の海抜高度は、174m。(麿針峠は154.2mで、ここより低い)
彦根城と比較すると天守閣の上に天守閣を更に一つ、大垣城では、なんと六つ積み上げないと、ここの高さに届かない。イメージ 5

柏原宿は、東見附まで十三町(1.4Km)
長く高地の町並みが続く。

柏原一里塚跡
江戸日本橋から115里目
イメージ 6奥出川越しに一里塚が復元されている。
南塚は復元塚より少し東の河川工事が行われた川の中にあったらしい。イメージ 7
北塚は愛宕神社参道石段の東にあった
(現橋手前の中井町集会所辺り)

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12:48 天野川(丸山橋)を渡る      12:49 金毘羅山常夜燈
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12:52 郷宿(ごうやど)跡とある。
イメージ 12柏原宿で現存する貴重な加藤家。
郷宿とは、脇本陣と旅籠屋の中間武士や公用で旅する庄屋などの休泊に使用されてきた。





12:54 柏原御茶屋御殿跡
イメージ 13江戸時代の初め、将軍上洛下向(京都・江戸間の通行)の際の宿泊・休憩の目的で、 街道の各所に設けられた館で、近江では、柏原御殿と野洲の永原御殿、 水口の水口御殿を合わせて「近江三御殿」と称されてきた。 天正16年(1588)徳川家康が上洛の際、西村家で休息。

イメージ 14以後、中山道通過の際の恒例となっていたが、通過が頻繁になった為 元和9年(1623)二代将軍秀忠が殿舎を新築。 以後御殿番を置いて守備してきた。 その後、徳川幕府の勢力増大につれ将軍上洛は減少、 元禄2年(1689)ついに当地御茶屋御殿は廃止された。 この間、記録にあるものだけで合わせて14回使用されている。

12:25 この高い鐘の櫓は何だろう?
イメージ 15左手に妙法寺とありますが、牛頭天王(スサノヲ)は八坂神社(祇園社)のご祭神。
源頼朝が京都の八坂神社から勧請したもの。
東海道の吉原宿や保土ヶ谷宿で見た記憶がある。
宿場の入り口から邪気が入らないように天王を置いた左冨士神社も思い出した。


12:56 問屋役跡
イメージ 16山根甚左衛門は年寄りを勤めた







「従是明星山薬師道」の石標
ちょっと前、山東町長沢で見たのと同じ。
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やくし道「道標」  
明星山明星輪寺泉明院こと通称西やくし、寺は門徒も四散、衰退しているが、
往時は仲々賑わったお寺のようだ。
この道標は享保2年(1717)と陰刻され、案内も三字体と非常に珍しく、 滋賀県下でも道標として古いものの一つであり、枝郷長沢にも同型のものが現存している。

イメージ 20艾屋山根為蔵跡 「東部デイサービスはびろ」になっている。
ここは昔、柏原銀行や西の荷蔵跡でもありました。 イメージ 22




柏原銀行跡
明治34年(1901)艾屋(もぐさや)山根為蔵が自宅別棟の創立した。
長岡及岐阜県今須村(関原町)に支店を出す。
昭和の初期廃業、現滋賀銀行の先駆となる。

西の荷蔵跡
宿場業務の重要な公用荷物引継のための荷蔵(一時保管用)があった場所。
藩の年貢米集荷の蔵でもあった。
東西に一棟づつ建っていたようだ。
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12:59 展示即売会?
イメージ 23昔の民家を改造したギャラリーで、仏壇店が展示即売会をしているという。
店先では、古道具屋さんが展示即売会?
めぼしいものはなかったイメージ 24




13:02 造り酒屋 亀屋左京分家松浦作佐衛門
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13:09 艾屋 亀屋久作佐京跡
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13:05 日枝神社
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中山道 柏原宿 木製で立派
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13:03 柏原小学校跡地
イメージ 31(現在レーク伊吹農業協同組合 柏原支店)
滋賀県下三番目に創立した小学校





13:06 柏原宿歴史館 <入館料>大人300円
建物は大正6年(1917)に建てられたもので、旧松浦久一郎邸を改築したものです。
柏原地区では他に例を見ない贅沢な造りで、仏間・備後の中継ぎの畳・栂の柱などある。  平成12年(2000)、国の登録有形文化財に指定された。
幾重もの屋根を持つ母屋が圧巻です。
http://www.za.ztv.ne.jp/habiro/
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名物「やいとうどん」のお店が隣接している。イメージ 33


13:08 中山道 柏原宿 石標
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個人宅の軒先で見つけた赤や緑の実が珍しい植物
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13:08 柏原診療所 現在のですね。
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13:09 造り酒屋 造り酒屋山根庄太郎跡
イメージ 37柏原宿は水量水質に恵まれ、酒株は宿内合わせ百五十石が許可され、 数軒の店が坂作りに励んだ。
当家は、慶長年間の酒造り記録が残る代表的な店であった。 イメージ 39
江戸後期に一児醤油醸造に転業したが、
明治初めにつくり酒屋にイメージ 40戻った。
大きな樽!





13:11 造り酒屋厳佐兵衛跡
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柏宿の名産 「艾=もぐさ」
伊吹山の麓にある柏原宿の名産は伊吹艾でした。今でもそうですが。
伊吹艾は古くから有名で、平安時代の歌人和泉式部はつれない男を恨んだ和歌を詠んだ。 伊吹艾を引き合いに出している。

「けふも又かくや伊吹のさしもぐさ さらば我のみもえや渡らん」

艾というのは蓬の葉を乾し、揉んで葉の裏の白毛のみを採り、
これを晒して細い枝状にしたものである。
この艾を切って人の皮膚上の灸穴といわれる特定の場所に乗せ、 火を付けて焼く(灸を据える)と、
血止め、歯痛、神経痛などの病気の治癒が促進されるとされていた。

13:12 伊吹堂亀屋左京店
柏原宿の特産である伊吹山の薬草を原料とした伊吹艾を商う江戸時代から続く店。
『木曾街道六拾九次之内・柏原』にも描かれている伊吹もぐさ亀屋佐京商店です。
伊吹艾本舗 「亀屋佐京」現在も営業中☆ イメージ 43
合名会社亀屋佐京商店
滋賀県米原市柏原2229番地
tel.0749-57-0022
http://www.ibukimoxa.jp/
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木曾海道六拾九次之内 柏原宿 広重
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広重はこの宿場に何軒かあった艾を売る店の中で最も有名な亀屋を描いている。
この店の売子はみな旅人に扮して艾を売っていた。
福を招くという縁起物の福助の前では番頭が、
また伊吹山の模型の前では手代が、それぞれ紙に包んだ艾を並べて座っている。

店内に見える3人程の旅人の客の中、店先に腰を下ろした
一人が、 手代から艾の包を受け取ろうとしている。
亀屋は茶屋も兼業していて、左側の茶屋では金太郎人形を飾り、 「金時のちゃ」や「酒さかな」を売っていた。

店の裏の立派な庭園も客の旅の疲れを癒すのに役立った。
店の前では人足達が、長持のような荷物を、杖を突支棒代りにして支えて休んでいる。

※もぐさ詐欺事件!?
何年前だろうか?我家は、もぐさ詐欺に遭った(笑)
勝手にそう言ってるんだけど。
顔の小さなほくろが気になり、それをもぐさで取れるというので、 ネットで下の娘が探して購入し、私に差し出した。
ほくろ除去用もぐさは、実は昔の人が考え出した製薬だというのです。
現在でも「ほくろ除去用もぐさ」は販売されています。
お灸のように、ほくろの上で火を着けると焼けてほくろがポロッと取れるという

先ず、私で試す。長女も試す。妹は観察するだけ。
二人が成功するか見届けた上で、自分も使ってみたかったと後で知った。
なんて子だろう?結局、ほくろは取れなかった。
熱くて止めてしまったこともあるが、
ほくろは刺激を受け?以前より大きくなったような気もする。

何が悔しいって、忘れもしないそのお値段。なんと9800円だった!(笑)

爆笑したところで、このつづきはまた。。。
ちょっと忙しい日が続いています。