7/7(月)の日記のつづき。。。
08:13 岡崎宿の西入口は矢作川にかかる矢作橋となる。
蜂須賀小六と日吉丸の出合之像戦国時代に蜂須賀小六と日吉丸(豊臣秀吉の幼名)が矢作橋で出会ったという言い伝えによるものです。(カメラの設定を間違えて綺麗に撮れず残念)
矢作川は200mほどの川幅があり、江戸時代も川には橋が架かっていたそうです。岡崎は、家康ゆかりの地であり、矢作川水運の基地として、西三河地方の経済、文化、交通の中心都市として栄えました。
歌川広重 東海道五拾三次 岡崎 矢矧之橋(やはぎのはし)
矢作川に架けられた370mもある街道一長い橋の上を、大名行列が進みます。画面中央を横切る橋を遠近法で強調し、遠くには、岡崎城をはじめ、多くの人家が連なる賑わった街を巧みに表表現しています。
葛飾北斎の矢作橋矢作橋の完成は慶長6年、田中吉政国替え後岡崎城主の本多康重によって完成しました。
橋はまもなく大水のため流され、この時に矢作川東岸の八帖・田町・板屋町に住む人達に
多くの被災者が出たと言われています。
橋はまもなく大水のため流され、この時に矢作川東岸の八帖・田町・板屋町に住む人達に
多くの被災者が出たと言われています。

昔からの宿場は岡崎にあっては矢作川の両岸にありました。
街道を旅する人達は川が増水した時は両岸で川の水が引くまで、
街道を旅する人達は川が増水した時は両岸で川の水が引くまで、
何日も宿泊することを余儀なくされていました。それは、どこの渡しでも同じですね。
橋を渡り、地下道を通り、対岸へ。

08:23 岡崎名物八丁味噌の蔵が並ぶ八丁蔵通り、八帖村(現在八帖町)八帖往還通りが旧東海道になり、八帖地区は市の景観地区に指定されていて綺麗な街並みです。光圓寺が風情ある塀に囲まれています。
『カクキュー八丁味噌』は、今から360年程前の正保2年(1645)に創業した八丁味噌の老舗。登録文化財に指定されている蔵など「八丁味噌の郷」は見学することが出来、バスツアーの定番コースで3~4度立ち寄って見学試食したこともあります。この辺りは、平成19年にNHKの連続テレビ小説「純情きらり」の舞台となった場所です。
八丁味噌は、徳川家康に代表される三河武士も兵糧として持ち歩いた固くて色の黒い濃厚な豆味噌。その名は、岡崎城から西へ向かって八丁(約870m)、矢作川と東海道が交差する八丁村で盛んに造られたことに因むようです。
岡崎城下の道は、外敵から城までの距離を伸ばす防衛の為、多くの間道をつくり「岡崎城下二十七曲がり」が造られていました。
家康が関東に転封された後の岡崎城主になった田中吉政が、鎌倉街道を岡崎の城下に引き込み10年かかって二十七曲りの城下町を造ったといわれています。
しかし、現在は二十七もないですが、あちこち曲がって迷路のようです。
道標などもあり、その通りに進みます。
家康が関東に転封された後の岡崎城主になった田中吉政が、鎌倉街道を岡崎の城下に引き込み10年かかって二十七曲りの城下町を造ったといわれています。
しかし、現在は二十七もないですが、あちこち曲がって迷路のようです。
道標などもあり、その通りに進みます。江戸から見ると、東海道の松並木の街道(欠村)より投町・両町・伝馬宿に入り、長く続いている宿場町を通りますと、問屋場と岡崎藩のある迎賓館「ご馳走屋敷」から籠田総門より岡崎城下に入ります。
岡崎の城下町は連尺・材木町・下肴町・田町・板屋町・松葉町(松葉総門)を通り、八町村を通って矢作橋に至ります。その逆コースを歩きます。
08:44 三清橋(伊賀川)を渡る
09:10 籠田公園で休憩します。岡崎市籠田町
コンビニがない場合、お手洗いを見つけるのも結構苦労します。
岡崎市康生通東2丁目を通過
08:44 三清橋(伊賀川)を渡る
09:10 籠田公園で休憩します。岡崎市籠田町
コンビニがない場合、お手洗いを見つけるのも結構苦労します。
岡崎市康生通東2丁目を通過
09:18 籠田総門碑


09:20 旧商工会議所
大正6年、岡崎銀行本店として大正時代に建てられた、赤レンガと花崗岩の組合せによるルネッサンス風建物です。戦後、商工会議所として使われていましたが、現在は、市内金融機関の資料館として一般に開放されています。
大正6年、岡崎銀行本店として大正時代に建てられた、赤レンガと花崗岩の組合せによるルネッサンス風建物です。戦後、商工会議所として使われていましたが、現在は、市内金融機関の資料館として一般に開放されています。09:22 吉良道道標
伝馬通りに出て、両側の通りに面して東海道に因む数多くの石像と案内板があります。
江戸時代、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺 に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中、あるいは宇治茶壺道中といいました。
江戸時代、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺 に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中、あるいは宇治茶壺道中といいました。権威を笠に着て、道中で威張ったり供応を迫ったりで、街道沿いの住民たちに嫌われていたそうです。
その様子が「ずいずいずっころばしごまみそずい‥‥」のわらべ歌に残っています。
「茶壷に追われて戸ぴっしゃん、抜けたらどんどこしょ」
つまり「お茶壷道中」が通るときは戸をぴしゃりと閉めて家にこもり、行列が抜けたらまだ出て遊ぼうということだそうです。
東海道に関することが可愛い石像になり説明文もあり、初めて知ることが多いです。
「茶壷に追われて戸ぴっしゃん、抜けたらどんどこしょ」
つまり「お茶壷道中」が通るときは戸をぴしゃりと閉めて家にこもり、行列が抜けたらまだ出て遊ぼうということだそうです。
東海道に関することが可愛い石像になり説明文もあり、初めて知ることが多いです。
江戸時代、岡崎宿のあわ雪茶屋は、あわ雪豆腐が人気の茶屋でした。その後、「あわ雪豆腐」がさびれてしまい、伝備前屋三代目藤右衛門これを惜しみ、
その名を菓子に残さんと現在の銘菓「あわ雪」を創作したそうです。
09:30 岡崎宿 西本陣跡 (現在はコンビニ駐車場)09:41 秋葉山大権現常夜燈 伝馬町
09:44 市役所通過
09:44 市役所通過
09:56 根石寺
本尊聖観世音菩薩は行基菩薩の作といわれる。
http://www.aruku88.net/tera/501okazaki/neishizi-wakamiya/index.html
根石原観音堂
本尊聖観世音菩薩は行基菩薩の作といわれる。
http://www.aruku88.net/tera/501okazaki/neishizi-wakamiya/index.html
根石原観音堂
10:00 岡崎城東入口
東海道の往還は、当所の南で欠村から宿内に入り、
この位置で西方へと大きく曲がり、宿内の中心へと進む。
その曲折点は岡崎城下二十七曲がりの一つに数えられる。投町には総家数117軒とあり、綿打商、穀商、紺屋、豆腐屋、古手屋、莨(たばこ)屋、酒屋、小間物屋、綿商などの店が軒を連ねていました。
東海道の往還は、当所の南で欠村から宿内に入り、この位置で西方へと大きく曲がり、宿内の中心へと進む。
その曲折点は岡崎城下二十七曲がりの一つに数えられる。投町には総家数117軒とあり、綿打商、穀商、紺屋、豆腐屋、古手屋、莨(たばこ)屋、酒屋、小間物屋、綿商などの店が軒を連ねていました。
10:04 岡崎宿の東入口となるモニュメント
岡崎城址を見ていないのが、心残りなんですが。。。
ここから次の藤川宿へと向かうことになるが、先に進むの?
岡崎城址を見ていないのが、心残りなんですが。。。ここから次の藤川宿へと向かうことになるが、先に進むの?
「26808歩、16Km、4時間3分も歩いていますよ。そろそろストップ!?」
「近くに駅がない。。。」それが答え?
じゃあ、もう少しだけ。。。ひと休みして、また歩くことになりました^^;
「近くに駅がない。。。」それが答え?
じゃあ、もう少しだけ。。。ひと休みして、また歩くことになりました^^;
このマンホールも岡崎城で、綺麗です★10:12 常夜燈
10:14 法光寺
境内を覗くと、綺麗な蓮とホテイアオイが咲いていました。
10:14 法光寺
境内を覗くと、綺麗な蓮とホテイアオイが咲いていました。
10:22 1号線沿いを歩くと車の排気ガスが嫌です。
旨い具合に遊歩道が整備され、車が行きかう道の傍とは思えなく、東海道の風情があります。
旨い具合に遊歩道が整備され、車が行きかう道の傍とは思えなく、東海道の風情があります。その道が終わると、巡回路になり分かれ道。。。
左へ進むと洋風のお城のようなホテル街。右に進むと高架下の暗い道。。。

ほーほー ほたる こい あっちのみずは にがいぞこっちのみずは あまいぞ
ほう ほう ホーテルいこう?
疲れたなら、休憩する?
夫の足は、自然に甘い道へ進みましたが、東海道は、高架下を進むようで戻ってきました(笑)
ところが、地下道を抜け上がってきても、今度は和風のお城のようなホテル街。
誘惑に負けずに進みましょう。次は、藤川宿へ歩みを進めます。。。宿別日記に致します。
つづく。。。
09:27 伝備前屋
永田屋精肉問屋