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クロスカントリー

これからも、特別な日

今日、8月2日は私にとって特別な日。
今年3月に亡くなったぽんちゃんの誕生日。
生きていれば15歳でした。

15歳という、ある意味目標のようなものがあったりして、
もう少しで15歳だったのに。。
と、言われますが
「ほんとに。」 
と、言葉にする自分と
これでよかったと思う自分。


最後の介護は壮絶でした。
目が見えない、耳も聞こえない。
お水の場所もトイレもわからない。
粗相は毎回でした。
さらに、小さな頃から食糞癖があり、たべる。
きれいに食べてくれるならいいんだけど(←w)自分も床もぐちゃぐちゃ。
毎日のように、帰宅後、「うわーw」で、シャンプー直行。ベッド手洗い。

あらー、またやっちゃったねー(>_<)
と、受け入れられる日ばかりではありませんでした。

もう、どうして?
どうしてこんなことするの?
と、
ノイローゼになってた時期もありました。

自分でも最低だと思う。
でも、
笑顔溢れる介護って、本当にあるのかな。
とも、考えちゃいました。
人間だもの。
介護をしながら、仕事に子育て、主婦をする。
いっぱいいっぱいな時だってあるでしょうよ。

最愛のぽんちゃんにですら、
私をどこまで苦しめるの?と、思ってしまった。
もちろん、辛いのはぽん。
それなのに、私はすべてを包み込んであげることが出来なかった。

だから、
ぽんが天国に行って、辛かった、
けれども、
楽になったかなと、ホッとした自分がいた。

最後の数ヵ月は
楽しい思いでなんて一つもなくて
お互いに辛い、苦しい思いしかなかった。

でも、
今は楽しく元気に走り回っているぽんの姿しか思い出さない。

これでよかったんだと、
理想の介護をしてあげられなかった自分を恨むのをやめました。
そんなこと、ぽんは望んでいない。

先日、
長女の赤ちゃんの頃のビデオをみんなで見ていました。
そこに、元気に走り回るぽんがいました。
隣を見ると、涙が溢れている長女。

これでよかったんだ。

これからも、
我が家の車は82。
これからも
8月2日は、
私たちにとって特別な日。

ぽんちゃん、
生まれてきてくれてありがとう。



日常の中で撮った最後の写真。
ぽんちゃん、お膝の上、大好きだったね。
またね。

前を向きながら

ぽんちゃんがいなくなって、どれくらいか、経ちました。
どれくらいかは数えてないのでわかりません。

ただ、ぽんちゃんがいなくなっても
私は母として生活をしないといけないので
気持ちが追い付かぬまま、
いや、
逆に、その事に助けられているように思います。

ぽんちゃんが私たちに残してくれたメッセージは
『また、いぬとの暮らしを楽しんで。』

7年ぶりに犬とのかけがえのない暮らしが戻ってきました。

7年前、長女が生まれてすぐに犬アレルギーと診断されました。
私がわんちゃんを抱っこしたあと、長女を抱っこすると、それだけで顔から手足、ブツブツができてかきむしるのです。

だから、
いつも抱っこしていたぽんちゃんを抱っこしない生活がはじまり、
いつしか、それが『普通』になってしまいました。

お出掛けも、旅行も犬たはちはお留守番。
確かに、小さな子どもと犬を連れて両親で全て見きれるかといったら、それは無理です。

長女が7歳になり
犬アレルギーもなくなりました。

長女は、ぽんちゃんのお世話をしなかったことを悔やみ
ぽんちゃんの死から、ぴちゅとぱんつくんのお世話を必死にしています。
時間ができると、お庭に連れ出してくれたり
ぱんつと二人で近くの公園までお散歩にも行くようになりました。

犬たちのご飯もあげてくれるようになり、
まずはぽんちゃんにお供え、そのあとぴちゅくん。そのあと、ぱんつくん。

これは、私ですら忘れかけてしまうのに、娘は決して忘れません。




常に、心の中にぽんちゃんがいて、
大切に思う気持ちがこちらまで伝わってきます。


私も、ぽんちゃんに会えなくて寂しいけど
今まで以上にそばにいる気がしています。

(犬たちはどう思っているかわかりませんが)
学校の登校も付き合わされます。



↑途中でだっこ。





時には。
一人で2匹を抱えてお散歩も。


たくましい。

もちろん、寝るときも。




私たちにとって、当たり前の
いぬ達の暮らしが戻ってきました。

もう少し早く気づいていれば、ぽんちゃんとも…と、思いますが
それもこれも、ぽんが教えてくれたこと。

何より7才の長女を立派に成長させてくれたぽんちゃんに感謝しかありません。



ぽんちゃん、
ずっとそばで姉妹のこれからを見守っていてね。