感想というか考察というか | azim18のブログ

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テレビ版の新世紀エヴァンゲリオンを最近全話みたんだけど、シンジ君と目が合うただのロボットアニメじゃ全然なかった。25.26話(最終話)について少しだけ考えてみた。

 

1996年のアニメなので、まぁええかと思ってネタバレを気にしていないから、見るつもりだったのにとかいう人がいたら読まないことを推奨する。書くにあたって放送年を調べたから気づいたが、2015年なんて過去なのに、異世界ものなんだなぁとか思ってたけど、放送当時は、セカンドインパクトの2001年も未来だし、2015年なんてもっと未来だったんだなと気づいた。

 

4回ずつ見直したけど、話の流れもわからないところがあったし、「現実」と「真実」、世界の捉え方、複雑なテーマが色々と込められていて、気づけていないことも多いと思う。だがキリがないので一旦ここで感想を書くのは終える。ネットで調べたら映画を見ればわかることも増えるらしいので見ようと思った。登場人物は、主に、碇シンジ、惣流アスカラングレー、綾波レイ、葛城ミサトがいる。前者3人がエヴァのパイロットで、ミサトさんは、エヴァを保有するネルフの作戦課長だ。

 

エヴァの物語の核となる部分に人類補完計画というのがある。人々の心を一つにまとめ、そして、お互いに心を補完させ合おうという壮大な計画だ。「それは人類の保管の始まりだった。人々が失っているもの。喪失した心。その心の空白を埋める。心と、魂の、補完が始まる。すべてを虚無へと返す。人々の補完が始まった。」というテロップと、「違う。虚無へ帰るわけではない。すべてを始まりに戻すに過ぎない。この世界に失われている母へと帰るだけ。すべての心が一つとなり、永遠の安らぎを得る。ただそれだけのことに過ぎない。」「私たちの心には常に空白の部分、喪失した心がある。それが心の飢餓を生み出す。それが心の不安、恐怖を生み出す。人はだれしも心の闇を恐れ、そこから逃げようとそれをなくそうと生き続けている。人である以上永久に消えることはない。」というセリフの補足で説明されている。

 

シンジ君もアスカもミサトさんも心にどこかかけた部分があって、みんな自分自身の存在理由を探していて、私を見捨てないでと叫んでいる。シンジ君は、「乗ればみんなが褒めてくれるから」とエヴァに乗っているけれど、それは「他人のために頑張っていると思うこと自体楽な生き方をしようとしている」「人から幸せを与えてもらえるのをただ待っているだけ」と指摘されていて、アスカもまた親に見捨てられた過去があり、エヴァに乗ることで自分を保っているような面がある。ミサトさんも、男性と刹那的な快楽におぼれて寂しさを埋める面があり、仕事の面でも「認められているのは、認められようと演じている自分で本当の自分ではない」と感じており自分自身の価値への信頼感が薄い。一生懸命に「私は幸せなの」と自分自身に言い聞かせ続けている。けれども、限界がきて、「本当に幸せなの?」と問い詰められると「そう思い込んでるだけだ」と自白する。「そうしないと僕らは生きていけないのか、一緒にいないと怖いんだ。」とそんなセリフが入る。『存在理由、レゾンデートル、ここにいても、よいりゆう』25話の初めにこんなテロップが入る。これが大きな一つのテーマなのだと思う。自分自身の価値を自分自身で認めることができないそんな3人の話なのかもしれない。

 

人間の心の空白な部分、孤独と不安にフォーカスした作品だなと感じた。ただ、はっきり言って、自分が他人に求めらることを望むことは、そんなに悪いことなのだろうかと思う。人に求められたら誰だって嬉しいし、自分自身だけで価値を確立できる人間なんてこの世にどれだけいるのだろう。もちろん、自分自身で、自分そのものに対してその価値を信じられる自己肯定感があるに越したことはないと思う。でもその難しさはだれしも感じているところじゃないんだろうか。シンジ君やアスカの他人の中に自分を求める姿勢(誰かに必要とされることを求める。そのためにエヴァに乗る姿勢)に対して、作中では、かなり批判的な捉え方をされている。ただ、BさんがAさんの価値を認め、そのBさんはCさんに価値を認めてもらうことで生きている。そんな矢印が膨大な数行き交いあい、みんなでみんなの価値を支え合っている。それが社会なのではないだろうかと自分は思ってしまった。あまりにも他人軸で生きすぎると、自分というものが無くなってしまうからよくないのだろうと思うけど、他者という軸を完全にゼロにすることもまた現実的ではないように感じた。

 

エヴァの中において、「自分とは何か」という問いも一つのテーマのような気がする。登場人物の中に、綾波レイという、簡潔に言うと人工的に生み出されてた人物がいる。その人物の「私は私、私はこれまでの時間と他の人たちとのの繋がり私になったもの」「他の人たちの触れ合いによって今の私が形作られている」というセリフが印象に残った。加えて、シンジ君の「僕は僕を見つけるためにいろいろな人と触れ合わなければいけない。僕の中を見つめなければいけない。僕の中の他人を見つめなければいけない。」というセリフも印象的だった。

 

人の個性というのは、最初からその人の中に存在するものではなく、その人の過ごしてきた時間と関わってきた人との繋がりによって形作られていくものかもしれないと感じた。いろんな人と関わっていって、その中で気づくこと考えることから見える自分があるのかもしれないと思った。恐らく人と関わることから逃げてはいけないという意味も含まれているのだろうと思う。そうやって、人と人との関わりの中で、自分自身や、自分自身の中にある他人の姿、他人の中にある自分の姿をじっくり見つめることで、自分という存在に対して、1つの確立した自分、アイデンティティのようなものを見つけられるのかもしれないと思った。

 

25話が終わり、最終話に進む。25話のいいあらすじのノートを見つけた https://note.com/dddrill/n/ne0a4f91529f1

26話のあらすじも https://note.com/dddrill/n/nb269c4ba3790

 

最終話は、シンジ君の心の補完を中心に話が進む。シンジ君は、弱い自分を見ることから逃げていて、自分には価値がないと思い込んで、自分の世界に閉じこもることでそれ以上に傷つくことを徹底的に避けている。僕が僕を嫌いだから、みんなもそうだと思い込んでいる。不安や強迫観念に押しつぶされそうだけど、どうしたらいいのかわからない。だから、エヴァに乗って、自分の価値をどうにか信じようとしている。エヴァのパイロットというのは作中では地球を救うようなヒーローで多くの人の憧れを集めている。ただ、戦うということにはつらいこともつきもので、シンジ君は本当は乗りたくないと思っている時もある。エヴァに乗るのは自分の強い意思じゃないけれど、乗ることから逃げる方が、逃げたら誰にも相手にされなくなると感じていて、エヴァに乗っている。エヴァに乗ると褒めてもらえてうれしくて、そうやって自分を保っている。そんな状態だと「本当のあなた自身がどこにもいなくなってしまう」とミサトさんに指摘されるも「もともと何もなかったから別にいい」なんて答えている。そして、「誰も自分の心なんてわかってくれない」と自分の心を閉ざし、逃げて、生きている、これがシンジ君の一番大きな心の空白なのだろうと思う。

 

「価値はあなた自身で認めるしかない」「自分を救えるのは自分だけ」という言葉が投げかけられ、「僕は僕だ、他の人が僕の心の形を作っているのも確かなんだ」そんな話の流れが続き、「やっとわかったの!馬鹿シンジ!」というセリフでパラレルワールドに飛ばされる、そこはエヴァのパイロットではない自分が生きている世界だった。その後、「そうだ。これも一つの世界。僕の世界の可能性。今の僕が僕そのものではない。いろんな僕自身があり得るんだ。そうだ。エヴァのパイロットではない僕の可能性もあり得るんだ。それなら、現実世界も悪くないかもしれない。でも自分は嫌いだ。」と考える。そこに、様々な人々からの言葉が入る。「現実を悪く嫌だと捉えているのは、君の心だ」「現実の見る角度、置き換える場所、これらが少し違うだけで心の中は大きく変わる。」「人一人の持てる世界観なんてちっぽけなものだけど、人はその小さな物差しでしか物事を測れない。」「与えられた他人の真実でしか物事を見ようとしない」「みんなが自分を嫌いと思い込んでるだけ」

 

最後に「僕は僕が嫌いだ。でも好きになれるかもしれない。僕はここにいてもいいのかもしれない。僕はここにいたい。僕はここにいてもいいんだ」と気づくことで幕を閉じる。

 

一番大きなテーマは、世界の捉え方というのは、本当に些細な自分自身の心の捉え方の問題で、それについて向き合うことと逃げてはいけないのだろうと思う。そして、そこにいる自分を救えるのは自分だけなのだろうと思う。僕自身の心の喪失を考えてみると、自分も自分自身の価値を信じることなんてできない。誰にも価値を認められていないような寂しさがずっとある。ただ、シンジ君と大きく違うのは、孤独へのあきらめが大きくついていることだと思う。エヴァに乗るって、現実世界で言うと、他人軸で生きること、自分を犠牲にして他人に尽くすことだと思うけど、最近は、聞ける願い事は聞くし、聞けない願い事は断って、完全に自分の意思のつもりだ。シンジ君は、価値のない自分に価値を付けよう。傷つかないようにしよう。と必死だけれど、自分は価値がない自分に対してそういうものとしか思わないし、傷ついても気にしなくなってきた。

 

シンジ君について不思議なところがあって、シンジ君は、自分には価値が無くて、自分が嫌いで、自分のことをどうでもいいと思うことで、簡潔に言えば、自分の殻に閉じこもり、他者と関わることから逃げていた割に、「誰も僕のことなんてわかってくれないんだ」と叫び、自分を理解してくれない他人を責めるような態度を取っている。価値がない人間に対して、誰も理解をしようとするはずなんてないのに、ここは矛盾を感じた。

 

シンジ君が本当に変わらなければいけなかったのはどこなのだろうか。まず一つに、自分自身の心の中を無視してエヴァに乗っていることがあげられると思う。自己犠牲の上に成り立つ他者からの承認は、不健全でやめるべきなのだろうと思う。ただ自分に価値がないと思うことはだめなことなのだろうか。自分に価値があると思うことと自分が好きなこと、自分に価値がないと思うことと自分が嫌いなこと、ここには微妙な差があると思う。僕は僕に価値がないと思っているけれど、人間なんてそんなものかと思っている。そんな人間もいるくらいに思っている。だからそこに対して好きとか嫌いとかあまりない。それにさらに言えば、ここにいてもいいんだと思うことはないけれど、ここにいてはいけないと思うこともない。そんな違いがあるような気がした。個人的には、価値が無くてもそれでいい。地球は広くて誰かを追い出さないといけないような広さでもない。自分の居られそうな場所を見つけて、気楽に生きていればいい。価値がなかろうと、自分の意思くらい自分の人生なのだし、大切にしてもいい。自分の弱さを認める落ち着きをもって、それを受け入れたうえで生きていくことができればよかったんじゃないかという風に思った。

 

最終話では、シンジ君に沢山の疑問が投げかけられる。なぜ生きてるの?誰のために生きているの?生きていてうれしい?何が怖いの?どちらが本当の気持ちなの?何を願う?何が欲しい?何を求めているの?、そしてそれぞれの答えに、本当に?って。この辺を考え詰めないといけないけれど、この辺を考える続けるのってすごい苦しいよね。

 

人間は一人では生きていけない。人は脆くて弱いものでできているから、孤独や不安といった心の喪失に耐えられない。ただ、他者とのかかわりの中において、他者の在り方を決めているのは自分自身なのだということなのだと思う。「誰も僕のことなんてわかってくれないんだ」なんて言うけれど、そもそも他人に自分のことを完全に理解してもらえるはずなんてない。ましてや、自分の中で、他人は自分のことをわかってくれない存在だと決めつけていたら尚更だ。劇中にこんなセリフがあった「晴れの日は気分よく、雨の日は憂鬱、そう教えられたらそう思い込んでしまう。雨の日だって楽しいことはあるはずなのに。受け取り方一つでまるで別物になってしまう脆弱なものだ。人の中の真実とはな」とあった。自分の思い込みで、人と関わることや自分自身を生きることから逃げていけないのだと思う。自分の世界の見方は自分が作っている。世界は、自分の見方次第でいつだって簡単に変わるものということなのだと思う。つまり、結局、自分を救えるのは自分だけなのだろう。