想いが込められたものって美しいよなぁと、なんとなくずっと思っていてそんな美しいと思うもの紹介して、似たようなものを知ってたらよかったら教えて欲しい

 

☆花は咲く

 東日本大震災のチャリティーソングの花は咲く。作曲者の「100年経って、なんのために、あるいはどんなきっかけで出来た曲か忘れられて、詠み人知らずで残る曲になるといいなあと願っています」という想いがとても素敵だなと思っていて、後世の人が、この曲の成り立ちを調べたときに、東日本大震災の記録に触れ、そうやって過去の記憶が伝承されていくのかもしれないと思って、素敵だと思った。

 

☆ちょうどのこの高さ

 東日本大震災に関連して、直接見たものではないけれど、印象に残っている看板広告を紹介したい。アイデアもメッセージも素晴らしい。

 

☆村田製作所のCM

 村田製作所は、工場向けの電子部品メーカーだから普段はCMを流さないけれど、年末年始だけは、CMを流している。そこには、企業のイメージ戦略など様々な理由があると思うけれど、その理由として「社員が故郷に帰った時に、「俺ここに勤めてるんだ」って言えるようにです。一緒にテレビ見てる親御さんを安心させてあげたい」というものがあるらしく、社員のことを想った本当に素敵な企業だなと感じた。

 

☆平和の灯

 広島平和記念公園内にある灯。核兵器がない世界が実現するまで、燃やし続けられることになっている。静かで強い祈りの想いを感じる。

 

☆匿名宝飾店

 4℃がしかけた広告プロモーション。これも残念ながら実際には見れていないのだけれども、ブランド名に頼らず商品そのものを見てもらいジュエリーを好きになってもらいたいという想いと、それをうまくプロモーションに落とし込んだアイデアが本当に素敵だと思った。

 

☆百日紅

 さるすべりは、実はこのような漢字を書く。その花言葉は"あなたを信じ続ける" これは、古代朝鮮に伝わる悲恋の物語に由来している。竜神の生贄にならんとしていた娘を、王子が救い出したことから、二人は恋に落ちる。その後、王子は、100日後に娘を迎えに来ると言い残し、旅立ちますが、迎えに戻ると、娘は病に倒れており、すでに亡くなっていた。嘆き悲しんだ王子の前に、娘の墓から木が伸びてきて、花を100日間咲かせ続けたと言われている。百日紅は、美しい赤い花を咲かす。名前の由来が素敵だと思った。

 

☆白菊

 長岡祭りでは、平和祭の日の空襲が始まった時間と大花火大会の初めに、白菊と呼ばれる真っ白い10号玉が3発あがる。祭りそのものが戦災から復興を願い始まっており、ゆっくりと上がりしんなりと開く真っ白な花火には、戦没者に手向ける慰霊の供花、復興に尽力した先人への感謝、恒久平和への願いという意味が込められているという。花火の街ならではの素敵なやり方に痺れる。

(毎年使用しているのは、「白菊」と呼ばれる花火だが、プログラム上の名称は、商標の関係で異なる場合がある)

 

☆遊び

 建築の世界では、接合部などをきっちりと締め上げてしまわずに、あえて緩みを持たせること、そのあえての緩み、余裕を「遊び」と呼ぶらしい。例えば、障子が鴨居の溝にピッタリはまる幅であったら、滑らかに動かすことはできない。動く物には余裕を持たせないと期待した性能がでないので遊びはなくてはならないものである。諸説はあるらしいが、この言葉は、おおよそ日本語のよく私たちのイメージする遊びからきている。私たちの遊びも、人生を滑らかに過ごしていくために、なくてはならないものなのかもしれない。建築の世界で、この概念に遊びという言葉を当てた人の感性が、凄いと思った。

 

☆ディズニー

世界最大規模のエンターテイメント企業であるディズニーでは、様々な想いのもとにパークが作られ運営されている。有名なもので言うと、入園時の音。あの音は、ディンかーベルがゲストに魔法の粉を振りかけている音だ。この音は、世界中のディズニーランドで同じ音が鳴っている。ちなみに、退園時には、魔法が解けないようにゲートを通過しても音は鳴らない。他にも、現在では熱中症対策の観点から設置されているが、昔は、ゲストとキャストのコミュニケーションを生むため、対面販売に拘り自動販売機は設置されていなかった。加えて、時間を気にしないで楽しめる世界を作るために、パーク内には時計が設置されていないことなど、様々な想いから、色々な取り組みが施されている。

 

本当はもっといろいろ知っているような気がしたのに、ちゃんとメモを取ってないからこのくらいしか思いつかなかった。ちゃんとメモを取って、いつか追記したい。

 

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 想いっていうと、人間の大きすぎる感情を何とか文字に落とし込んだ。そんな表現も個人的に好きで。離別だったり、死別だったり、残された人間が振り絞ったような言葉の切なさ、儚さになんとなく惹かれる。

 

「夢ならばどれほどよかったでしょう。未だにあなたのことを夢に見る」

これは有名な歌だよね。未だに夢を見るというのが想いの強さを感じる。

 

「きっときっときっときっと色褪せる」

これも有名な歌だよね。「いつか」じゃなくて「きっと」なのが、まだ忘れない可能性を考えてるよね。

 

「君が後生抱えて生きていく 思い出になりたい」

抱えて生きていく思い出ってのが重いよね。

 

「生きていけるよ。君を探して。」

この歌のシチュエーションは、君が生きているのか死んでいるのかもわからなくて、それでも君を探すという行為で生きていけるってのが凄いよね。

 

「どれ程の痛みならば もう一度君に会える」

自分を罰してまで会いたい想いの強さと完全に狂った方向に考えてるよね。

 

「何度目が覚めても君はいなくて だけど目を閉じると君がいて」

文章の表現が上手いと思う。ちょっとひねった感じが好きで選んだ。

 

「それでもあの日の君が今もまだ僕の全正義のど真ん中にいる」

もういないのに自分の全正義のど真ん中に君がいるなんて、存在の大きさがわかるね。

 

「1人で平気だけど、太陽は明るいけど、君の足跡は消えないよ」

前は向いているけれど、絶対に忘れないという意思を感じる。

 

「君の抱える全てを僕にしまってよ」

抱える全てを引き受けようとしてるのが凄いよね

 

「私にとっては今でもあなたこそが神様に近い」

「今でも」というのが、その人の中での存在の大きさを表しているよね。

 

 どうしようもなくどうにか言葉で表したような感じが何となく好き。きっと強すぎる思いの強さにどこか心動かされてるんだろうと思う。だから、ハリーポッターの、スリザリンのあの先生とかもすごい好き。想いと意思が強すぎるから。