”いい大人とは、言うまでもなく、命の慈しみ方を知っている人のことです。悪い大人とは、時間、お金、感情、すべてにおいてケチな人々のことです。”、印象に残ってる言葉を聞かれたときに、自分が一番最初に思いついたのは、この言葉です。自分が一番気に入っている言葉でもあります。小説家の山田詠美さんの言葉です。これは高校の時に、信頼している先生が紹介されていたものです。慈しみという言葉のニュアンスや意味の解釈に余白を残した感じに惹かれ印象に残っています。「慈しむ」という言葉の意味を検索すると、「愛情を注ぐ。 可愛がって大切にする。」と出てきます。命を慈しむこと、悪い大人の話からも考えると、時間やお金、感情など、全てに対して、愛情をもって大切にする。有意義な時間の使い方をしてみたり、自分の感情を大切にしてみたり、そういう生き方を知ることな気がしています。

 

 ”常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ"、とある漫画(原作は小説)で読んだ言葉です。他人の伝聞や本の情報よりも、自分の体験というものからスタートして、そこから考えたことが大切だと思います。どんなに偉い人の言葉でも実感できなければ、その人にとっては無価値だと思います。偉人の言葉は手掛かりであって、答えではないと思います。それに、人には人の生き方があって、どのような生き方をするかについてもまた多様です。自分の体験などと照らし合わせ、そこから自分で考えたことというものにはとても価値がるように思います。恐らく、考えずに生きていった方が楽で、全てを考える必要もないと思います。ただ、何も考えないのはあまりにももったいない。例えば、戦争はしてはいけないという考え方ひとつとっても、みんながそう言うからとか、学校で教わるから、そうなのだろうと思っている人と、色々歴史などを学んで自分で考えたうえでその結論にたどり着いた人だと、きっと後者の方が少し充実した人生を送れるような気がする。それだけですが、その些細な違いを大切にできることにとても価値があるように思います。学ぶこと・気づくこと・知ること・考えること、それにより、本当に正しいのは何かわからなくなってしまうときもある。どんな考え方も批判される可能性はあるし、神でもない自分たちに正義などわかるはずもない。でも、たとえそうだとしても、思考をすることをやめるべきではない、考えることを投げ出すべきではない。”簡単すぎる人生に生きる価値などない”、かの有名なソクラテスの言葉です。考えることを諦めず、感じることを疎かにせず、自分で向き合っていくこと。自分で考えて、自分が本当に正しいと思うこと、自分の価値観をちゃんと考えて生きること、それは本当に大切なことのように思います。自分の感情や思考にけちになってはいけない。個人的に、人間の思考や感情には唯一無二性が宿ると感じます。どんなに偉くなっても、社会において自分にしか果たせない役割なんてものはまずないと思います。有名人でさえ、紳助さんがいなくてもテレビは回っていくし、スティーブジョブス氏亡き後も、apple社の業績は向上しています。でも、自分の体験や感情、そこから考えたことは、本当に自分だけにしかないものです。”ありふれた富は盗めるが真の富は盗めない。人の心の中にはだれにも奪えないとほうもなく尊いものがある”、そこを大切に扱うことは、命を慈しむというところに繋がるような気がします。

 

 物事を思考していく上で、個人的に印象に残っているのが、"どのような価値観を持つかは自由であり、そこに優劣はない"、一般化して解釈が取れるよう少し改変していますが、とあるドラマのセリフです。ドラマにおいては、結婚相手を見た目で選ぶことも、立派な考え方の1つとしていました。その人が何に時間を使ったり、その人がどんなものを好きだったり、ここに対しては何も優劣ないということです。趣味が、ゲームの人よりも美術館巡りの人が優れているわけではないし、アニメ好きの人よりも映画好きの人が優れているわけではない。ここまでは定型文的な価値観の違いですが、落ち込んだ人に接するとき、積極的に話しかける対応にも、そっとしておく対応にも、それぞれの考え方があるのだと思います。人がどんな価値観を持つか、そこについては他人は一切干渉できないし、優劣もなく、どちらも正しく、どちらも間違っていて、否定してはいけないと思っています。”価値を与える人がいれば、そこに必ず美しさはある”、どんな価値観にもそこに価値を与える人がいれば、そこに美しさはある。この文章全てだって、一つの価値観に過ぎません。先ほどの話を例にとると、考えずに生きていく。その生き方だって、優劣のない1つの価値観だと思います。認め合えるに越したことはないが、相手の価値観を認め合う必要は必ずしもなく、ひとまず他人の価値観を否定しないこと。気に入らない価値観だからと言って、大きく対立構造をとる必要はないはずです。人と人の間には、恐らく適切な距離というものがあって、その存在を認め合い、お互い譲歩し合ったり棲み分けたり上手く共生する道を探り合いつつ、生きていくことが必要なのだと思います。

 

 ”人はたったひとつの自分の一生を生きることしが出来なくて、あといくつかの他人の人生をひっかいたくらいで終わる、でもそのひっかきかたに自分の一生がかかっているのだ"、谷川俊太郎さんのとある詩の言葉です。1人の人間ができることは本当に些細なことだと思います。でもその些細のなかに、自分の一生がかかっているのだと思います。”人生は、忘れがたい断片に、いくつ出会い、心を動かされたかで決まる”、別の詩家さんの言葉です。こちらも断片という一瞬の切り抜きです。自分で考えるか否かということに関しても、正直些細な違いです。けれど、そういったものを大切にして、丁寧に生きていくこと、それが、命の慈しみ方ということなのかもしれません。

 

 慈しむという言葉が印象に残っている理由が後付けにもう一つあります。それはある医療過誤を扱ったドラマのセリフです。このドラマでは、難しい病気の治療において、亡くなってしまった患者さんのご家族が、医療ミスがあったのではないかとして、病院側を訴えます。最終的には、医療ミスはなかったとして、医者側が勝訴します。その際の、医者側の最後の弁論の、弁護士のセリフが印象に残っていて”我々にできることはせめて、今ある命を慈しむことです。一日一日が奇跡なのだと知ることです。”、というものです。”今しか会えない人がいて、今しかできないことがある”、そんな今、一日一日を大切に、生きることが命の慈しみ方のような気がしています。

 

 そんなことを考えていても、落ち込んでしまったときに、なぜ生きているのかわからなくなる時が誰しもあると思います。生きる意味について、個人的に一番しっくり来ている答えは、無いというものです。”人生は問い詰めると無意味だから、自省しすぎると人は死ぬ。自省がテーマになった近代文学期に自殺した作家が多いのはそのせい”、とインターネットで見たことがあります。それから、生きる"意味"は無いという予想は正直あながち間違いでないと思っています。強いて言えば、ちょっと楽しいからとか、暇つぶし位だと思います。そんな話に関連して、印象に残っている本の一説を紹介します。

 

 「ひとはときに「なぜ生きているのか」とつぶやく。だが、そう問いかけたとき、実はもう答えをうっすらと感じているに違いない。生きていることに理由なんかありはしない、と。生きることへの否定的な思いにとらわれ、それでも生を肯定的に捉えたいという希望が、この問いかけの形で現れてくる。ならば、大事なのは、この問いに正面から答えることではなく、こう問いかけずにはおれない私たちの生そのものを、じっくりと見つめることだ。」

 

 この文章を読んだ時、とても納得したことを覚えています。そうなると、生そのものを見つめ直す、つまり、生きているというのはどういうことなのでしょう。これには一つしっくり来ている言葉があります。”生きるとは、誰かと心を通わせること”、大好きな映画でのセリフです。この続きに”1人じゃ生きているってわからない”、と続きます。そこそこ1人な好きな自分でも、1人では生きていけないだろうことは悟っています。たった一人で生きていったとして、正直それは生きているのか死んでいるのかわからないような気がします。誰かと生きて初めて、生は実感の持ったものになるのだと思います。

 

 "全ての、悩みは対人関係から生まれる全ての喜びもまた、対人関係から生まれる”、とある心理学者の言葉です。人は、人といて初めて、喜びを感じることができるし、悩むことがあるのだと思います。例えば、1人で山を登る登山家でも、他の誰かがその山に登ることを苦労したという事実や色々な人が未踏地に挑戦しているという事実があって、初めて達成感を感じると思います。現実に状況を再現できないの想像にはなりますが、誰も登山をしていなければ、それが"達成"にあたる価値があるのか、自分だけでは認識できません。誰一人登山をしておらず、自分が登山したところで、誰も関心を寄せず、初めて登山をしたとしても誰も追随もしない世界だとしたら、喜びを感じることは難しいだろうと思います。他人の評価で生きていくことは苦しくなりますが、誰かと心を通わせることは、生きるという上でとても大事なことのように思います。人は1人で生きていけない、だから、他人としっかり向き合い、コミュニケーションをとることは、とても大切なことなのだと思います。

 

 ”テクノプアとは、相手や自分とのコミュニケーション技術の歯痒さ、乏しい様。でもそれは出会う人によって感じ取り方は異なる。人と関われば傷つかない事の方が難しい。でも人と交わるが故の歯痒さ、テクノプアこそが幾重にも群がり、集まった雲のような淀んだ感情のパワーこそが、自らの道を切り開く最強の剣として、いずれ自分を救う参考書になる事を信じて。”、テクノプアという造語を用いた、あるアーティストさんの言葉です。人は1人で生きていけないと言ったって、人と生きていくのもそう簡単なものではないと思います。努力が必要な生き方という点で、思考の話にも通ずるものがあると思います。ですが、歯痒さなどの、淀んだ感情のパワーこそが、自らの道を切り開く最強の剣としていずれ自分を救うと信じて、生きていった方が、少し充実した人生を送れるような気がするのです。

 

 人間は、1人で生きていくことはできない。ただ、社会の構造上、同じ人間とずっと生きていくことが難しいのも事実です。誰しも、あんなに仲が良かったのに、もう疎遠になってしまった人がいると思います。そのことを考えたときに、あの時間はなんだったのだろうとふと思ってしまうこともあるのですが、そんな時に紹介したい言葉が2つあります。"すべての人類は旅人であり、人間関係とはふらり旅の途中で出会った人と、一晩トランプをするようなもの”、これはとあるドラマで引用されていた成田悠輔さんの言葉です。”友達はできては離れてゆく(中略)だが、永遠に彼を忘れはしまい。あの12歳の時のような友達はもうできない。”、こちらは、とある映画でのセリフです。その時その時それぞれの出会いに、確かに価値があり、それは色褪せることはないのだろうと思います。いつか離れ離れになったとしても、あの時で会えて、共に過ごせたことにはとても価値があるのだろうと思います。

 

 そうやって、人と人の繋がりのものに成り立つ人間社会の中で生きていく中で、必要なものと考えると何が思い浮かびますか。個人的にある神学者の言葉が印象に残っています。”神よ、私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えて下さい。変えることのできるものを変える勇気を与えて下さい。そして、変えることのできるものとできないものを見分ける賢さを与えて下さい”、これはアメリカの神学者の言葉です。この言葉には、人生を生きる上で、必要なものが最も端的に挙げられていると思います。変えられるものを変える勇気、変えられないものを受け入れる心の平穏、そしてその両者を見分ける知恵、個人的にこの3つが完璧なまでに備わっていれば、人生は概ね上手くいくそんな気さえします。それほど、大事なもの、強力なものを端的に表しているような気がします。

 

 この社会で何かを成し遂げようと思ったら、大きな覚悟が必要だと思っています。達成感を得るためには、血反吐を吐いてでも歩を進めなければいけない瞬間が必ずあると思います。そして、そうやって壁を乗り越えたものだけに見える景色があると思います。”夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを”、これは、ディズニーの生みの親で有名な、ウォルトディズニーさんの言葉です。世界中で愛されるディズニーの世界でも、始めは、一匹のネズミから始まっています。この言葉からは、どんな小さなことでも、壮大な物語に続く可能性を感じることができ、夢や挑戦することに対しての大きな勇気を与えてくれます。ただ、同時に”つらいことを我慢して報われるほど、この世界は甘くない”、ということも同時に覚えておく必要があると思います。逃げることは負けではなく、少し休憩するだけだと思います。”惨めになったらやめる”、昔インターネットで見て、今でも進退を決めるときに参考にしている言葉です。きついことやしんどいこと、全てから逃げて居たら何もなせずに終わってしまうけれど、自分のやっていることが、惨めに感じたら、それは一旦逃げていいと思います。そして、またほかのことを頑張れば大丈夫だと自分は思います。

 

 ここまで大量に人の言葉を手掛かりに、文章を続けてきました。””で囲った言葉は、全て引用となります。しかし、そうなると、個人的に、自分の考えはどこにあるのかどこにあるのかわからなくなってきます。誰かの言葉を借りてばかりな考えに、虚しく感じことがあります。そんなときに出会った1つの歌詞が "自分らしさなんてきっと 思いついたり流されたり 探し続けて歩いたその 足跡の話だから”、です。色々な考え方に触れていった足跡の話が自分らしさなのだと思います。そこに確かに自分らしさがあり、価値があるのだと思います。

 

 何か伝えたかったことがあるわけではありません。”言葉というのは尽きることのない魔法の源じゃ。人を傷つけもすれば癒やしもする力がある”、ある映画でのセリフです。言霊という言葉もあるように、言葉には不思議な力が宿っているのだと思います。そんな言の葉を集めて、自分の思考を整理して、綺麗でまとまりのある文章を作ってみたかった。それだけです。でも、若干文脈やロジックに滑らかさが足りない部分がありますよね、気が向けば修正するかもしれません。もしここまで読んだ人がいるのなら、いい暇つぶしになっていれば幸いです。コメントがあればコメント欄でお願いします。DMは困っちゃいます。対面で聞きたいことがあれば23時以降inアルコールでお願いします。それと、もし、僕の好きそうな言葉を知っていればコメントで教えてください。

 

 おまけで、好きな曲の話をします。それは、青と夏です。今や夏の定番曲ですが、2018年8月のリリース当時は、そこまで大きくヒットしていなかった記憶があります。そんな当時にこの曲を知ったのは、文化祭のエンドロールムービーでした。この曲と文化祭のテーマソングを選んで、動画を作った友達は、選曲が天才だったと思います。青と夏は、恋の歌だと思いますが、青春に打ち込む人の歌でもあるように思います。そんな個人的な歌詞解釈の話です。

 

 ”私には関係ないと思って居たんだ”、“傷つき疲れるけどもいいんだ”、”わかっているけどいつか終わる”、”大人になってもきっと宝物は褪せないよ”、”大丈夫だから今はさ青に飛び込んで居よう”、”本気になればなるほど辛い”、”寂しいなやっぱ寂しいな、いつか忘れられてしまうんだろうか、それでもね繋がり求める人の素晴らしさを信じてる”、”運命が突き動かされてゆく”、”主役は貴方だ”、”映画じゃない僕らの夏だ”

 

 本気になるときって意外と最初は自分には関係ないと思ってるときだったりしませんか。そんなところから始めって、いつのまにか本気になっていて、傷ついても疲れても、それがどうでもいいと思えるくらい頑張れて、熱中して飛び込んでいる。本気になればなるほど、些細な違いで衝突したり、譲れない拘りがあったり、本気だからこそ許せないことが多くて、とってもつらい瞬間がある。そんな青春は、いつか終わるってことは誰しもわかっていて、でも、その宝物はきっと大人になってもあせない。ここが一番好きな歌詞の部分なのですが、僕らの打ち込んだことは、部活でも、文化祭でも、イベントでも、はたから見た人には、とてもとてもさみしいけれど、恐らく忘れられてしまう。そんなことは多少頭をよぎってしまう時もある。それでも、打ち込んでいき、人と人との交流や、人と人に感動を、つなげていく、そんな人のすばらしさがある。そう信じてる。主役は自分で、映画ではない僕らの夏、この曲は恋だけじゃないみんなの青春ソングな気が、個人的にしています。おわり。