朝日ジャーナル1989年7月19日号より

プレスリーに重なる「尾崎豊」

筑紫 この間コンサート行ったら、やや意外と言えば以外なのは、女の子が多いねえ。最初はむしろ男が多かったんじゃないの。
尾崎 最初は男と女の割合というのが、六対四ぐらいで、やっぱり女の子のほうが多かったんです。
    でも確かに前よりもっと女の子が多くなったし、男が減っているような気がしますね。
    前のコンサートのやり方を今もやっていれば、違っただろうなという気がします。 前のコンサートというのはすごく挑戦的だし、
    突き放すコンサートだったんです。みんな一人一人なんだという、そういう疎外感を、もう一度認識しようというコンサートだった。
    今のコンサートもそういう面はあるんだけど、どちらかといえば、みんなで楽しい時を過ごそうというのに近い。
    コミュニケーションを大事にしているコンサートですね。
筑紫 あそこのホールの中では、みんなすごくあなたのメッセージに共感していると思うんだ。
    でもその後の話だけども、そこであれだけ発散したのに、終わった後はお父さん、お母さんが迎えに来て、連れて変える。
尾崎 地方に行けば行くほど、そういうのが多いですね。これはこれ、日常は違うんだという感じかな。
筑紫 尾崎君の歌を聴いていて、年寄りというのは自分の経験に重ね合わせて考えちゃうんだけれども、
    プレスリーが「ブルー・スウェード・シューズ」というのを歌った時とすごく状況が似ていると思うんだね。
    勝手に大人はやってくれて、俺たちをひっかき回すけれども、この靴だけは踏ませないぞという、そういう主張ですね、あの歌は。
    一九五〇年代之前半というのは、アメリカの若者が、徹底的に管理されていた時代だからね。
    それがきっかけになって、ジェームス・ディーンが出てくる。今で言う暴走族が出てくる。
    歴史は繰り返すかどうかわからないけど、何かが起こる可能性があるんじゃないか。
尾崎 僕のファンがお母さんから、そんな不良の音楽を聴くの辞めなさいって注意されたっていう話を聞いて、
    ああ、僕もそういうふうになれたかと思ってうれしかったですけどね。(笑)
筑紫 最初のアルバム(『十七歳の地図』)が出たのは?
尾崎 八十三年です。僕が高校停学中にレコーディングしたんです。
筑紫 高校へは何年まで行ったの。
尾崎 一応三年までだけど、三年はほとんど無期停学で、行っていなかった。

ギターを独習した登校拒否の日々

筑紫 何をやって無期停学になったの。
尾崎 まあ、酒、喧嘩、タバコっていう、そういう三拍子いっぺんに。その前にも二回ほど、停学にならさせていただいているんです(笑)。
    それも、本当なら停学になんないことでも、簡単に停学にさせられちゃったというか。
    一回目は、僕が先生に言われたことで頭に来て、ムシャクシャした気持ちで図書館のガラスを手で殴って割ったんです。
    そしたら、停学になっちゃった。もう一回はたばこを吸っているのを見つかっちゃって。最後は全部一緒に・・・・・・(笑)。
筑紫 「卒業」だっけ、ガラスを割るところが出てくるのは。
尾崎 まあ、あれは、学校をやめると決めたころから、友達と一緒にお酒を飲んだり、
    深夜、学校の中に入って校舎の窓を割りまくって逃げたという、そういうことがあったんです。
筑紫 それは実話なの?
尾崎 一応実話。でも、あんまりそれを言うと請求書が来たら困る(笑)。
筑紫 酒とタバコはいつ頃から始めた?
尾崎 タバコは中学一年生からで、酒が中学二年生からです。酒は家では小学六年生ぐらいから飲んでました。
    でも、主体的に飲み始めたのが(笑)、中学二年生からだったんです。最初は学校の帰りに友達の家で飲んだんです。
    それから病みつきになりまして、毎日家で飲んでいましたね。
    だから駅のホームを、すわった目をした、鞄を堤げた中学生がふらふらと・・・・・・(笑)。
筑紫 よく補導されなかったね。
尾崎 よく補導されなかったですね(笑)。
筑紫 音楽で食っていこうと考えたのはいつごろ?
尾崎 中学二年生ごろですね。その頃は歌を歌うということが唯一、僕の救いだったから、これなしには生きていけないと思ったんです。
    自己浄化じゃないですけど、歌がなければ、きっと僕は廃人になってしまう。精神的におかしくなってしまうと思ったんです。
    最初は場末の酒場でピアノの弾き語りみたいなものがやれたらいいなと思っていたんです。
筑紫 そういうふうに、音楽にのめりこんでいったというは、何かきっかけがあるの。
尾崎 僕、小学校六年の時に、登校拒否しちゃったんです。元は練馬に住んでいたんですけど、五年生で朝霞に引っ越して、
    友達が出来なくて、学校に行くのがいやで、半年間ぐらいずっと行かなかった。その前に、小学四年生の時に、
    井上陽水の『氷の世界』というLPを聞いて、自分自身でイマジネーションする事が出来たというか、歌っていうのは、
    こんなふうに考えさせてくれるようなものがあるんだなと教えられた。で、小学校六年生の時に登校拒否をやって、
    やることがなかったんですね、たまたま兄貴が五年くらい前に買ったギターが押し入れにあった。
    そこでまあ、陽水みたいにはなれなくても、
    とりあえず下手でもいいから「蝶々」が弾けたらおもしろいだろうなと思って弾きはじめたんです。
筑紫 登校拒否の真っ最中、ずっとギターやってたの。
尾崎 ええ、登校拒否のお陰で(笑)、ギターを弾いて歌えるようになったんです。近所の人たちは、みんな、おかしいと思ってたみたいです。
    あそこの子は小学校にも行かないでギターばっかり弾いてるって。中学に入っても登校拒否というか、
    自閉症気味というか、上手くコミュニケーション出来ない人間だったんですけど、歌を歌うときだけ、
    みんなが尾崎は最高だと言ってくれたんです。そう言われはじめてから、だんだん、やっぱり自分自身が救われたいから、
    いろんな曲をコピ-したし、ギターも一生懸命弾くという感じ。それが音楽と自分との出会いだったわけです。
筑紫 中学でも登校拒否をやったわけですか。
尾崎 いや、中学の時は、一ヶ月にニ、三度、ずる休みするぐらいだった。
筑紫 登校拒否というのは、したくなったきっかけというのが、具体的にあるわけ?
尾崎 僕が東京から来た転校生だったということで、すごく女の子にちやほやされたんです。
    それでまあ、そんな転校生なんて嫌いだいう男が増え始めて。
筑紫 そうだろうね。(笑)
尾崎 それで、僕がみんなからいじめられるようになったんです。それで、だんだん暗くなっていくと、
    今までキャーキャー言ってた女の子も離れはじめる。芸能界みたいな感じじゃないですかね(笑)。
筑紫 女の子はあてにならないということは、よく知っているわけだな、そのころから。
尾崎 それは、もう。女にはさんざんな目にあった(笑)。

僕が狂ってるのか大人が悪いのか

筑紫 あなたの歌には、学校というものに対する反発や、それから大人のつくっているものが、
    俺達を押さえ込もうとしているということに対するプロテストがすごくあるでしょう。
尾崎 そうですね。こうすることがいいんだって、頭ごなしに押しつけるというか、
    何か大人達が子供を洗脳しようとしている姿というのが、すごく僕には見えたんです。
    それを嫌だと思うのと、やっぱりそうしなくちゃいけないんじゃないか
    ~言い換えれば、本当は自分の頭は狂っているんじゃないか。
    いや、本当は俺の方が正しいんだという葛藤が永遠に続いたみたいな感じがしていたんです。
筑紫 尾崎豊という、変なふうになりそうな人じゃない人がそういうふうになっちゃうわけね。
    放っときゃ、多分なあなたはすごく勉強好きで・・・・・・。
尾崎 ええ。中学の時はすごい勉強家だったですね。でも、やっぱり勉強することに面白みがなかったんで、
    先生に反発した。テストの勉強が全てじゃないだろうという気持ちはすごくあったんです。
    生徒会長とか、そういう役員をずっとやっていたし。
筑紫 ああ、ほんと?
尾崎 それがおかしいんです。高校に入っても成績も悪い方から数えた方が早いぐらいにいなっても、
    僕は高校の三年間、ずっと学級委員だったんです。
筑紫 それは選挙制なわけ?
尾崎 みんなで投票するんですけど、みんな僕の名前を書くんです。それぐらい僕が、
    先生に対して発言していたからだと思うんですよね。中学の時にも高校の時にも先生に聞きましたね。
    あなたは、ポリシーがあって授業をしているのかみたいなこと。先生はみんなたじろぐんですけど、
    まわりの生徒がだれものってこないんですよ。そんなこと、べつにいいじゃないのって。
    先生は先生でやっているんだし、あなたはそう思うんだったら自分で面白いように、
    自分で勉強すればいいじゃない、とかね。みんな諦めているというか、変に大人っていうか。

兵器よりも景気 兵器よりもケーキ

筑紫 ところで去年の日比谷野音の反核コンサートね、あれにはどういう動機で加わったの。
尾崎 僕は親父が自衛隊だったということもあるんですけど、結構小さいことから五つ年上の兄貴と、
    日本が自衛隊を持つことが違憲なのか、そうじゃないのかと話していたんです。それでなくても、今や人類は、
    人類を破滅させてしまうだけの威力のある核をもう何千発と抱えているということは、僕にとってすごい脅威です。
    だから反核にはすごく興味がある。
    僕の願いのなかには、一度で良いから、全人類が微笑む瞬間というのを見てみたいというのがあって、
    そうしたら、その瞬間世界は変わるんじゃないかと、そんな気がしているんです。そういった意味で出てみたかったんです
筑紫 お父さんが自衛隊にいることに対しては、批判するわけ?
尾崎 ソ連が攻めてきたら、いったい誰が守るんだというのが親父の思想だと思うんですが、確かにそれもそうだなとか、小さいころ思ってて、
    やっぱり立ち向かう力を持っておかなくちゃいけないというのは、今の社会では仕方がないんじゃないかと・・・・・・。
筑紫 あなたの同年配では、そういうことを話題にすること自体があんまりプラスの評価にならないんじゃないかな。
    ダサイとか、カッコ悪いとか。
尾崎 ああ。そうですね、みんな核に対して、脅えていることは確かなんですね。だけど、核を、どこの国が何発持っててとか、
    その威力がどれくらいあって、東京に落ちたら何人の人間が死ぬんだぞということは、考えたくないみたいです。
    そういうことを言っても、うーん、そうなのよね、でも昨日行ったお店のケーキおいしかったわねって、
    ケーキのことで頭がいっぱいなんですね。大人にしても、兵器のことをうんぬんするよりも、カネを儲けたい人がいるけど。
筑紫 ただ、核のことを考えても自分じゃどうにもならないんだから、
    やっぱり今のケーキのことを考えちゃおうということなのかもしれないですね。
尾崎 僕が中学の時に一度だけ、先生の授業があんまりつまんないんで、クラブをつくって、会報を刷って、
    学生運動まがいのことをやろうと思ったことがあったんです。みんな、立ち上がれというような。
    だけど、最初に「お菓子食いながらやらない?」というのが良くなかったみたいです。
    みんなお菓子のほうに走っちゃって、きょうはどのお菓子を買おうという話にしかならなかった。
筑紫 どうも甘いものは禁物だな(笑)。
尾崎 最初は、先生はどうしてああいう聞き方をするのか、 どうして授業中にああいう話をするのかなということを話したりしたんですけどね。
    でも、どうしてなのか、ということにはだれも答えませんでした。あそこが嫌いなのよねという話は出るんですけどね。
    どうも違うな、でも時間がたてばもう少しかわってくるかな。そう思ったんですけど、
    しばらく話しているうちにお腹すいてきたんで~土曜日の放課後にやることにしたんですね~
    パンとか買ってきて、食べるうちに、毎週、毎週、放課後残ってパンを食べる、お菓子を食べるというのが習慣になっちゃって、
    それだけのためにみんな集まるみたいになっていっちゃた(笑)。