たいがい、腹を括ったときには

『本当に?本当にそれでいい?』って運命さん的なモノに試される事件が起こります。


今回もそうです。


人は本能的に、ブラックボックスに興味を惹かれます。

これは脳科学的なものと、心理的な側面からと両方にいえることみたい。


つまり、『不安だな』と感じるほうに、より一層の興味を引かれるということ。

安心感を感じているものに、人は無頓着になりやすいのです。


だから、安心していたら、まさかという人に裏切られた!

とか

うちの旦那さま、もしくは、彼に限って浮気なんてありえないと思っていたのに!

なんてこともあるし

青天の霹靂、なんて言葉があるのも

安心感ゆえに、ってところがあるのかもしれないです。


でも、危機感があると別です。


つねに、相手がどう出るかに目を光らせて

相手の考えていることの先をいって、あわよくば損をしないように

できれば出し抜いて、ほらね、私の思ったとおりでしょ!

なんて、勝利宣言したい欲求も出てくるかもしれません。


それは『不安』を感じて、『怖い』から。


ニュートラルな状態の自分では、太刀打ちできないことを

心のどこかで感じているから。


だから、人は不安を感じると、そこに付随してくる予測の出来ない恐怖感に備えて

エネルギーをそそぎます。


でもじつは、不安にエネルギーを注ぐのって

不安という種火に、ガソリンを注いじゃうのと一緒なのです。

ちょろちょろとした種火でしかなかったそれは、自分が意識しだしたとたんに力を得て

まるでガソリンを注がれたように、勢いを増して種火から燃え盛る炎へとパワーアップしてしまいます。


小さな不安の炎をなんとか沈めたくて

自分なりにやってみたことなのに。

その問題に意識を集中して、ああでもない、こうかもしれないと考えてみた結果だったのに。

それなのに、自分では手のつけられなくなってしまった炎を目の前に、

ああ、もうだめかもしれない…

って途方にくれてしまうコトだって、もしかしたらあるかもしれません。


不安は、それを『問題だ』と捉えて、こねくり回すほどに

厄介な相手になっていくのかもしれません。


じゃあどうしたらいいの?


ってことになると思います。



わたしは、小さな炎を、見守ることだと思います。

自分の中の、不安という名の、くすぶっている炎の存在を、ただ、認めてあげること。

ただそれだけ。


そして、それを見守っている自分の状態を、ちゃんと把握してあげることだけ。


炎のそばで、炎を見つめている自分が、どう感じているか。

徐々に変化していくだろう園炎の燃え様を、じっと見守り続けて、それを自分が、どう感じているか。


気をつける点は、炎にエネルギーを注がないことと

自分と炎を、イコールの存在にしないこと。


炎がくすぶって、最初の勢いもなりをひそめ始めたとき、一番の堪えどころになります。


『もうこれだけ炎も小さくなったんだから、いいかげん消えちゃいなさいよ!』


待ちに待ったぶんだけ。

じりじりと、炎のそばで、何もせずに見ていただけのような気がする分だけ

もういいんじゃない?なんて

手を出したくなるかもしれません。


そう思ったとしたら、植木職人さんが仕事を終えて

脚立をを降りる最後の一段で、つるりと足を滑らさないように

一番の集中力を使っている、という話を思い出したいと思います。


不安のかがり火が、じりじりと炭に戻っていく様子は

炎が盛っているときよりも、いちばん長く時間がかかるかもしれません。

あせりも、苛立ちも、

このまま、くすぶってるだけで永遠に消えないのでは…

という新たな不安が沸き起こるかもしれません。


でも、炭に戻る日は必ず来ます。


待ちさえ、できれば。

私が、私でいることから、ただ、動かずにいられるのであれば。


そこでは、白か黒か、というわかりやすい形を望む心を手放して

グレーという、境界線のない、無限のバリエーションを

豊かさを愉しむ、という視点で受け取ることが出来るのかもしれません。


わたしは、もともとは白か黒か、という人間でした。

100か、0か。

オールオアナッシング。


でも、それではきっと、炎の横で、唯一無二の自分を保ちながら待ち続けることは

まるで苦行のようになってしまうことに気がつきました。

だって、早く消えて

はやく、まだなの?はやく~…!

って、炎の消える日がやってくることだけを心待ちにしてしまうことになるから。

少しづつ炭へと戻っていくさまを、愉しむことは、受け取れていないから…。


自分の中の不安から来る恐怖感と対峙することは

パワーもエネルギーも使う、長期的なチャレンジになることがほとんどです。


それならば、苦しむよりは、楽しく(^^)


白か黒か、の観念を手放して

グレーのその幅の広さ、バリエーションの豊富さ、変化する美しさを愉しもうって

そう思えたら、とても楽になりました。


イチかバチか、ここで間違えられない!

と感じる瞬間ほど、

その炎にパワーを与えない自分。

炎を、炎として認めながらも、自分が自分としていられる私。

そして、炭火が、やがて、本当に炭化していくまでを、楽しめる私でいたい。


そう、思いました。


イチかバチかの日が近づいています。

ただただ、炎の横で、自分が自分として、立っていられますように。