さっき、ふと見てみたら
『無理だ』というタイトルで、もうがんばれない、と書かれた自分のブログがありました。
日付を見たら、8月13日でした。
今日が8月12日だから、もう、あれから一年たつんだなあ…。
さっき、お母さんと電話で話しをしました。
このところ、わたしに”問題”となってやってきている事を、お母さんが心配してくれたのです。
ほんの一年前なら、考えられないことでした。
あの頃、わたしは世界でひとりぽっち、という感覚を
ずーっとずーっと持ち続けていました。
大切な人がいても、大好きなお友達がいても、家族が生きていても、それでも、心の中は
いつも空虚で、孤独で、だれも、私のことを本当に分かってくれる人はいない。
だから、自分でがんばるしかない。
悩んでも、頑張れば、かならず光が見えるから…。
それを信じてがんばるしかない。
そう思っていました。
頑張るのって、いいことです。
わくわくするし、パワーも希望もみなぎります。
自身になることも、成長につながることも、たくさんあります。
でも、自分を追い込みやすいのは
この”誰もわかってくれる人はいないから”という前置きの部分です。
本当は、つらいわけです。
自覚がなくても。
心の底から甘えてもいい人がいるならば、かならず助けてくれるはずだと安心しきれる人がいるならば
迷わず”助けて!”といいたいのです。
自覚がなくても。
それくらい、この、”誰もわかってくれるはずがない”という分離感、誰かと自分が繋がっている感覚がないことは、感情を追い込み、麻痺させます。
それだけではないのです。
誰かと繋がっている感覚がないと、自分のことを、どんどん嫌いになっていくのです。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。
そして、その思いは、「こんな私を、本気で誰かが思ってくれるはずがない」という感覚を育てていきます。
文字とおり、こうして意識できることは少ないです。
でも、現実には、素直に誰かに助けて欲しい、といえない自分、状況を作っていきます。
あの頃、本当にそうでした。
頑張れない、そう感じることさえ、私にとっては、人生や自分自身に屈服したような
屈辱感、敗北感と同じでした。
そんなこと、ないのにね。
でも、それくらい、一人でも頑張らなければ、死んでしまう!くらいの強迫観念を育てていたんですね。
無意識に。
いま、たくさんの問題と一緒に歩いています。
心理学を知って、自分の感情と向き合い始めて、一年。
一年たって、わたしはずいぶんと変わりました。
母親との心の距離は、劇的に変化しました。
お母さんと娘って、こんなにちょくちょく、電話できる関係だったんですねぇ…。
つらいから話を聞いて欲しい、なんんて、甘えても良かったんですね…。
お母さんの、つらい時代を、心から慰めて、誉めて、感謝して、そんな自分に、また自信をつけてもらえるなんて…
そんな、幸せな循環が、お母さんと娘の間に、存在するんですね…。
信じられない幸せと、問題山積みでも、「だいじょうぶ、幸せのほうを選ぶ。かならず。」という凛とした決意を、人としっかりとつながりを感じられるときって、持っていられるんです。
お友達がメールをくれたり。
プレゼントを贈ってくれたり。
気遣ってくれたり、遊びに来てくれたり、話を聞いてくれたり。
お母さんや、親戚の叔母さんや、いとこたちが、私のいないところで、私のことを考えてくれたり。
ほかにも、なんて色んな人たちに、私は支えられているんだろう。
支えられて、愛されて、大切にされているんだろう。
そんな、心のあったかくなるような感覚を、一年前の私は知りませんでした。
受け取れているようで、受け取れていなかったんです。
それは、自分を大切にする心に比例しているそうです。
自分を、自分で大切にしていたり
自分を、自分で好きになってあげること。
これが出来るようになると、はじめて、自分がどれだけ周りの人に愛されていたか感じられるようになるそうです。
それまでは、わかっているつもりで、その半分も愛情を感じられないんです。
一年前のあの頃、パートナーシップで大きくつまずいた私は、泣きはらした目で、そんな記事を片っ端から読みました。
いまは、それを実感しています。
だから、あの頃と同じような状況に自分が置かれても、なんだか根を張ったような安心感があります。
自分を好きになるって、自分を大切にするって、こういうことだったんだな…って
今は分かる気がします。
転じて、誰かを大切にしたいなら、まず、自分を大切にすること…って意味も。。
愛情を送ってくれる人たちの、その気持ちを無碍にしたら、きっとその人たちは傷つきます。
わたしたち人間っていうのは、どうやら、愛されないときに傷つくと思っているようで
すが、逆のようです。
自分の愛し方を、受け取ってもらえなかった…
自分の愛し方では、ダメだった…
と感じたときに、傷つくようなのです。
だから、自分を大切にして、自分を好きになること。
それはとっても大切なことのようです。
自分を好きになって初めて、周りの人たちから贈られている、気がつけなかった愛情の形に
ようやく気がつけるからです。
自分の知っている愛の形じゃないと、受け取れない!
自分を大切にしていないときは、こう感じます。
でも、好きになると、自分の知らない愛の形を、
これも、愛情なんだな…
って、受け取ることができるようになるみたいなのです…。
心って、感情って、不思議ですね…(^^)
もう頑張れない。
そう感じて、誰かを頼ろう、自分の引き出し以外の、何かを見つけよう。
もう無理だ。
去年の今頃は、あの私が、本気でSOSを出した日でした。
白旗をあげた日でした。
でも、それで良かったんだと思います。
カウンセリングって、そうとうにお尻に火がついた人が、最後の最後に頼るところみたいです。
とくに、日本では感情や、心の専門家のカウンセラーは
精神科医と混同されやすくて、まだそのポジションは、確立されていません。
どちらかというと、占い師とかと一緒のくくりにされることのほうが、まだまだ多いかもしれません(^^)
でも、人間が思考力より、感情で生きているということを知れば知るほど
わたしは、人が幸せになるためには
自分が思っている以上に、”自分の感情”に注目することは、とても大切だと思うようになりました。
ブログには、わたしのそんな経緯が、すこしづつ
時を刻むようにして載っています。
これからも、いまの問題が、どう贈り物に変化していくのかわからないけれど…。
でも、心のプロセスを、信じています(^^)
おまじないでも、魔法でもなんでもなく、心理学は、臨床です。
パターンは本当に人間の数ほどあるけれど、それでも、シンプルなパターンから、枝分かれしているだけです。
私の場合も、そうです。
そして、主人の場合も。
もうがんばれない、と思ったこの日を、大切な記念日にしておきたいです。
言ってみれば、今までのやり方で成功してきた自分全部を、捨てよう!と決心できた日なのですから(笑)
成功体験をすてるのって、案外怖いものなんですよ~
自分が、これが一番良い方法だ、って信じてきたやり方を、ぜーんぶ白紙に戻しちゃうだけのパワー
(私場合は、追いつめられた感です・笑)
が、必要になってくるから。
感謝をこめて。
わたしを大切にしてくれている、みんなみんな、みんな。
本当に、ありがとう。
みんなのおかげで、私、今日も立っていられます。
凛として、自分らしく素直に、生きて行きたいって、思いを強くできてます。
ありがとう。
ありがとうね。