どれだけ自分が、母親のことを愛していたか

母親の役に立つ自分でいたかったか

助けて、笑顔にしてあげたかったか


そんなことに

そんな他愛もないけど

自分のほんとうの、本当の思いというものに気がつきました


ようやくです


今まで、さんざん抵抗してきたことでしたが

ようやく、全面降参。

ほんとうにそうだったんだ…ってかんじです。


どっかでね


こんなに母親のことを好きだったんだな、って気がつき始めたころ


「なんて可哀そうなんだろう」


って感じてたんです。


あんなにつらく当たられていたのに

あんなに、ひどいことを言われたり、されたりしてきたのに。

そんな母親のことを、それでも大好きで仕方がなかっただなんて。

大好きすぎて、自分の母親に対するネガティブな感情をできるかぎり切り捨てて

なんとか母親の笑顔の元になろうとしていたなんて。


って。


感情で、自分が母親のことを助けたかった、大好きだった、ということにOKは出ているけど

まだ、母親への恨みつらみ、とでも言ったらいいんでしょうか。

そういうものにしがみついている状態だったんでしょうね


なにか、自分の感じていることに

恨みがましさを感じます。


頭ではわかってるんですよね、母親も、最初から親だったわけじゃないこと…。

失敗したり、後悔したり…

悩んだり、がんばってみたり…

その繰り返しで、いっしょうけんめい、私を育ててくれたこと…


つい数日前のことです。


とつぜん、妙な思いがふっとわいてきたんです。



『わたしの大切な人は、わたしを大切にしてくれないはずだ』



これには面食らいました。

でも、どーやら私はこの考え方をかたくなに信じているみたいだし、頭ではそんなはずないでしょ~って考えても、もう、頑!!!として、この感じ方を手放そうとしない、みたいな感じだったんです。


なんだ、どーした。

あたしどーした。

え、あたしって、こんなこと考えてたの?

うっそだぁ…


とは思うものの、すーごい頑強なかたちで、それは意識にのぼってきました。

じょーだんでしょ、と思えないほど、めちゃくちゃ怖いわけです。


自分と向き合い始めてから、自分がどんなに母親を愛していたか、笑顔にしたかったか

わたしがどれだけ愛されていたか、大切にされていたか

今までのことが、どれだけ幸せなことだったか、必要だったのか

自分の深いところと見つめあうことで、人と人との、もしくは自分の中の愛情というものに、気がつき始めていたんですね


癒される時が来たんでしょうねー、きっと。。。


しょーじき、自分の知らない自分です。

なのに、かんっぜんに、自分の中からふいっと出てきた思いなわけです。


わたしの大切な人は、わたしを大切にしないはずだ、と自分を納得させなければ、感情的にどうしても傷つきすぎてしまう過去があったはずです。

納得することで、「だったら仕方ない。だってそういうものなんだから」と思えさえすれば、嫌な思いをしつづけたとしても、そーゆうものとして受け止めますから、100%傷つかなくて済みます。80%とか、慣れれば60%、30%と、痛みを鈍化させていくことができてしまうのです。

(これが感情を切っていく経過でもあります)


この感情と向き合って、しばらくは、


怖いし、この考え方を手放してしまったら、もう逃げ場がない、しんどい、最後だ、終わりだ、おしまいだ私は…!


みたいな追い詰められた感?


を感じた私は、怖くて怖くて、どーしょもなかったんですね。


でも、感情は、感じつくすと消えます。


わかってくれてありがと~、って感じなんですかね…。


自分で自分をわかってあげるって、大切なんですね、拒否しない、優しくしてあげる、まるで、大好きな友達に対するみたいに…。


女性性を使う、感情のど真ん中にはいったままでいる、っていう方法を使って向き合いました。

しんどかった~

つらかったもん。


でも、ふわっと、わかったんです。

きゅうに。


誤解だったんだ、って。


もういいんだ、もう、頑張らなくてもいいし、みんな誤解だった。

みんな頑張ってた。

わたしと同じように、いまの私と同じようにつらい気持ちをかかえて、

ただただ、お母さんも、頑張りぬいただけだったんだ


って。


いっしゅん、死ぬんかな?

って思うくらい、わたしが接して、傷ついた、もしくは傷つけた、と感じている人たちの顔、顔、が、走馬灯のようにイメージですけど、走り抜けて、みんなすごいいい笑顔で笑ってたんですね。


わたしが、好きだなぁ、この顔


って、その人を見ながらいつも思っていた、最高の笑顔で。



そしたらね、自分だけが、大好きで頑張ってたんだ

っていう認識から

みんな、頑張ってたんだ…


っていう、ふんわりした穏やかさに、感じ方が変わっていることに気がついたんです。


それまでは、お母さんと小さい子供のやりとりとか見ていると

わたし、毎回ちいさい子供の感じ方の味方だったんです。


お母さん!

大変なのはわかるけど、子供のつらさをわかってあげて!

あなたのこと、大好きなのよ!


って感じです。


自分の深いところの感じ方を、その親子さんに投影しちゃうわけですね。


けどねー

抜けた。

ばちっと。


また、同じようなチャレンジがあることを、わかってはいるけど…。


でも、頭では、お母さんたちも、大人の人たちも、大変だったんだ、でも頑張ってたんだ、ってわかってもどうしても批判的になってしまう自分にへきえきとしていたけど…


感情面で、みんな、いっしょだったんだー

がんばって、がんばって、どーしようもなかっただけだったんだー

それでもどうしようもなくて、だけど、やっぱり大好きで、ちくしょー!うまくいかない!いかないよー!って泣きながら、涙も見せずにがんばってただけだったんだー


みんなそうなんだ…

お母さんも…


って、思えたんですね。

感情レベルで、納得できたんです。


すごく、嬉しかったんです、

これでよかったんだーって。


誤解が解けたんだーって。


あの考え方を捨ててしまったら、また傷ついてしまう!って、わたしの意識は必死でした。

それだけ辛かったんでしょうね。。


だから、親しくなると、もしくは恋人に対してさえ、一定の距離を保って、それ以上親しくならないことを、無意識に選択するようになっていたのかもしれません。


大切な人は、わたしを大切にしない。


そんなことは、なかったのです。


それは私が傷つかないようにするために、必死で着込んだ、ただの鎧でした。


ずいぶんと、重い鎧きて人生あるっていたなあ~って

お疲れ様、わたし。


って、してあげたいです。


あはは。