人の命はいちど限りですなあ。


わたし、という人生もきっとそうです。

泣いても一日、笑っても一日、ってよくおじいちゃん、おばあちゃんと言ってたけど

心のそこからそう思えるよ

いまだったら、そう思える。


命と、時間は、一度きりなのですなあ~…。


でも!


チャンスは!


何回だって、あるんだ…!!


心のそこからそう思えたら、でっかい虹がつま先から脳天までぶち抜けて、止まっていた私の螺子が、ギシギシと音を立てて、急転直下、回りはじめました。


時は来ました。

”わたし”という容れ物に搭載されたスタンダップ機能は、時が来たことを知らせています。

みんな誰しも、自分のことは、自分で決めていくのみなのでしょう。

わたしも、わたしの命の流れに沿って、泳ぐように行こうと思います。


わたしは人生を泳ぐということにかけては、少なからず楽しめるほうです。


冷たい水温も、春の川べりも、さかるような奔流も。


ぬめるように流れていく川面も…。


けして、泳ぐのが上手なわけではないけれど、いろいろな水の面を掻き分けて来ることはできました。


わたしの強みは、水の底に沈まない方法を知っているということ。

もうひとつは、溺れそうな状況を恨むことがないということ。


人生はいちどだけ。


先日友人に、いい子ぶりやがってと言われました。


恨みつらみを吐き出して、すっきりしたらいいのにということらしいです。

そうしたら、前に進めるじゃない、っていうこと、らしいのだけど…。


はっきり言って、そういうの、ぜんぜんわかんない。笑


そういうタイプの人がいることはわかるんだけど、わたしはそういうタイプではないみたい。


だって、ぜんぜん恨んでないもん。

心に傷を残したことと、恨むことは、わたしの中ではつながらない。

だって、それだって自分が選んだことだからねえ…。

自分の人生は、自分で決めるもんだと思ってるから、

自分で決めたことを他人を恨むことで清算する、という情動がほとんどないのです。

傷つけるのも自分なら、傷つくのも自分。

全部自分で決めること。

だから、同じことされたり、したりしても、傷つく人と傷つかない人がいるでしょう。

ようは心のあり方。

ただ、それだけなんだと思う。


でもね、


人は、人を大切にします。

自分が傷つかなくたって、大切にしたい人が傷つくなら、自分の意思でそれをしないように出来る生き物です。

思いやる、ということは

たとえ自分がその気持ちを理解できなくても、という接頭文がついてくるものなんじゃないか、って、わたしは思っています。


もちろん、理解して、共感してくれるならベストですよ~!


けど、それは無理なお話…。

長い長い、人生を踏みしめていくのは自分だけ。

自分以外の人も、自分の人生しか、踏みしめたことはないのだから。


そうやって、自分の人生観を整理したらね

なんか、いろんなことにおおらかになったように思うんです。

自分をいい子だと思ったこともないし、ぶってることもないんだけど、でも、自分も認める。

そのうえで、相手も認める。


ってことを両立させたら…


こんな人生観になりました。笑



だからね、次のスタートも切れるんです。

勇気が必要。

でも、駄目でもともと、っていうおおらかさも必要。


これからも、時々溺れそうになりながら、ゆーるりゆーるり泳ごうと思います。

できれば死ぬまで。

死ぬまで、自分、という容れ物と一緒に、泳いでいきたい。

願わくば、ともに泳ぐ人たちの顔々を、遠く近くに眺めながら。





おわり