最近はどうも銀魂バナばっか書いてたんだけど、今日は久しぶりに曇天マイハートに薄日が差したので、記念に書いとこーと思います。


この一年、ああ、もう一年たつんだなあ…、いろいろなことがあったよ。本当にいろんなことが。

勉強になっただなんて、そんな言葉はとても言えないほどに辛かった。

すべての土台が崩れて、積み上げてきたものすべてに意味が見いだせなくなった。

一緒に、未来さえ見えなくなった。

未来という言葉そのものに打ちのめされた。


でもねえ、あたしは本当に、昔から、諦めだけは悪かった。

何が出来るわけでも、何かが人より頭抜けているわけでもなんでもないけれど、欲望への忠実さだけはひどくあったんだ。

苦しくても、傷ついても、痛みが生じたとしても、それでも、それを得たい、知りたい、自分が納得するまでは諦めたくない、そんなしつこさが、私には子供のころからあった。


私はぶざまに転んだ。

ぶざまに転んだ自分を見た。

見て、そして、立ち上がらずに泣いてもいい期限を切った。


わたしは傷の癒し方が手負いの獣とよく似ているので、怪我をしたら身を隠すところがある。

もちろん比ゆ的な意味ではあるけれど、自分の傷は、自分でなめて治すのが私にとっては当然のことだったし、SOSサインというものは、一体全体どんなタイミングで、どんな風に出すのか想像さえつかなかったのだ。それは必然、自分のことは自分だけで決着をつけようとする私をつくる一つになったのかもしれない。

けれど、私はあの時、はじめて自分が傷ついたことを打ち明けた。

どちらかというと秘密主義のわたしが、わたしという人を吐露した。

ある一定の私しか見せないことを忠実に自分に課しているわたしが、一番タブーとしている自分を見せることは、素っ裸で往来を闊歩することに近い。

当然だけど、私は獣じゃなくて、どこまでいってもただただ人間だ‥


”今日だけでいいから一緒に寝て”


あの時、それを言わせてくれる友人がいてくれたことに、心の底から感謝している。

普通の精神状態なら、わたしには決して言えない言葉だからだ。

友人は翌日、朝がとても早かったのだけれど、私にはそれを告げずに、黙ってあの散らかった部屋で、碌な布団も無いままに、粗末な毛布にくるまって泊まっていった。

わたしがひどく嗚咽を漏らしても、何も言わずにただ、黙って横で眠っていてくれたのだ。


あの日から、一年が経とうとしている。


すべてが崩壊してしまった、その瓦礫のくずのなかで、倒壊したすべてが遠くまでつづくさまをじっと眺める日々が始まって、一年経とうとしているんだ。

一年。


諦めることが何よりも嫌いなわたしが、諦めるという選択をすることを納得する日がやってくるまでに、一年かかった。

諦めるという言葉に、諦めるという概念以上のものを見つけるまでに、一年。


今日は私が、それを身をもって感じている日なんだろう。

ひさしぶりに穏やかな気分で洗濯機のスイッチを押したんだ。

ごうんと水流のまわり始める音が、心地よいもののように響いたんだ。

世界はうつろで、心に墨を流したようだった日々に、穏やかな光がすこしだけ差し込んだような、そんな気持ちになったんだ。


うれしかった。

そう感じた自分が嬉しかった、とても。


きっと、これから先もたくさんの岐路とめぐりあうんだろう。

そのときは、あの時の胸の痛みを思い出せたらいいのだと思う。

痛みを思い出せるほどに、尊く、愛しいものにかえて。