発達障がい=人類の進化系
こんにちはこっちゃんです。例年よりも暖かい年末ですね。みなさんいかがお過ごしですか。今朝、阪大生の弟が一緒に住む兄を騒音でトラブルとなり、刺殺するという痛ましい事件の審判が始まったとニュースで見ました。その弟は発達障がいであるので減刑を求めているとのことでした。こういうニュースを耳にするたびに水面に墨液を垂らしたような感覚に私は陥ります。「発達障がい者は犯罪を引き起こしやすい。」「反社会的な障がいを持って生まれた危険因子である。」こんな風に伝わっているのではないかという懸念が胸に広がっていくのが耐えられないからです。私は長い間、発達障がい児と日々深く接してきました。いわゆる大学の教授や専門のルポライターのように発達障がい児の研究をし、発信する者ではありませんが、日々の生活を実際に彼らと過ごしていく中で、どの研究者よりも彼らの実際を熟知する機会に恵まれています。実際に専門家からインタビューやアンケートといったことを受ける機会も多いです。彼らには現場の今を生活している発達障がい児のデーターは当然わたしたちより圧倒的に少なくこうして私たちのような現場の声をもとに研究を重ねてくださっています。現場での課題や困り感、症状などの声をもとに研究を重ね改善とよりよい状態を目指し様々な実験と考察を重ねてその姿を判断し明らかにしていくのがお仕事です。そしてそれをもとに私たちは現場で様々な実践を重ねていきます。わたしたちのように毎日現場で接し実際の姿を知るものは、発達障がいそのものよりも発達障がい児が、いかに人生を充実させ幸せに生きていけるかを常に追求し実践して行く中で失敗して悩み,成功して喜ぶを日々を共に繰り返していきます。まさに発達障がい児の実情を現場で間近に見て最もよく知る者です。このように研究する者、実践する者と専門性は分かれていますが実際を知る者は研究されたことを実践する者となり互いに相互性の関係にあり必要不可欠となります。また、客観的に状況を把握することも可能です。冷静に周囲との関係も判断し修正を加減することもします。そんな私が,長年発達障がい児の成長と経過を見てきて思うのは、彼らは「人類の進化系ではないか。」ということです。これは冗談ではなく本気で肌でそう感じています。実際は逆に私たちが彼らに追い付いていないのです。彼らの多くはある特化した部分の知能が非常に高く探求心が旺盛で興味のあることに集中するエネルギーは爆発的なものがあり疲れを知りません。能動的で自分の考えに忠実でそのパワーはいわゆるみんなと足並みを揃え普通の生活をしている私たちの理解の範疇を超えています。そして環境と支えがあると必ずと言っていいほど驚異的な結果をたたき出します。もうこれは本当に人類の進化系だと圧倒されることが多いのです。その行動や思考はまだ進化していない多くの人々には理解されず脅威にさえ感じられるのは当然であるように感じられます。特に私達日本人は協調性を重んじ他者と違う目立つものを排除する傾向が強い民族ですので日本の社会システムは彼らにとってまるで籠の中のように居心地が悪く不自由なものであることを想像するのは難しくありません。ダビンチ、エジソン、アインシュタイン、ジョブズ、ジョンレノン・・・彼らに共通するのは発達障がいとそして皆、時代を劇的に変え、動かし人類に革命をもたらせた天才ということです。彼らの幼少期は決してほめられたものではなかったと記録されています。ジョンレノンは小学校の時に全く将来に悲観的な見込みのない子どもだと先生に告げられています。ところが彼らは問題もありましたが(しかしその問題は問題ではなく彼らなりにきちんとした理由があります。)その天才性は抜きんでるものがありました。ですので私は発達障がいが判明もしくはグレーゾーンだと伝えられた時に落ち込んだりショックを受けたりしないで欲しいのです。「発達障がい」という言葉そのものがネガティブな印象を持つのかもしれませんが私は人と違う可能性を秘めた進化系の子どもに恵まれたんだとむしろ喜んで欲しいくらいなのです。確かに手はかかりますし、目も離せません。心配事も多いですが、これらをうまく乗り切るポイントは「世間の目をバッサリ切り捨てる。」「他人の評価を無視する」です。そしてわが子に誇りをもって自信満々で育てていただきたいのです。遅くても小学校3年生ごろまでに発達障がいに気づき、個人にあった適切な指導を受け、社会的な場面においての自分をコントロールする術を身に着けるとほとんど問題がないといっても過言ではないと感じています。そして未然に悲劇を防ぐには正しい認識と理解、愛情が必要となってきます。でもこれは発達障がいでなくても大切ですよね。周囲が何と言おうとこの子が幸せな人生を送られるのならなんでもやってみます。という覚悟だと思います。そうすると、発達障がい児はのびのびと愛され、認められ、爆発的な知性を発揮していきます。悲しいのは「どうしてうちの子だけみんなと違うのか。私が責められる。ショックだ。」と思い「恥ずかしい」と感じられている子どもです。口に出さなくても子どもは感じています。さらに辛いのは「うちの子は障がいなんかじゃありません。」とものすごい剣幕で怒りをあらわにされたときです。本当は気づいているはずなのに絶対に認めたくないとプライドが許さないようです。そんな時いつも思うのですが皆と一緒ということに一体どれほどの価値があるのだろうかということです。今一度考えてみていただきたいのです。子どもは保護者の意見が最も反映されますから、そのまま放置され進級していくことになります。皆と一緒にできないことが多く、(それ自体は悪いことではないのに・・・)自尊感情が低くなってしまい自分を肯定することが難しくなり結果、周囲ともうまくいかず辛い思いをし続け不登校になったりするケースもあります。ここでいつもお伝えしているのが自分軸をもって生きてほしいという願いです。他人は何でも無責任に言います。でも自分を信じ大切なわが子を信じ世間の目、周囲の目などという最も価値のない意味のないものに振り回されないでほしいのです。他人の目を気にして生きることは他人の人生を生きることになります。他でもない大切な自分の人生を生きてほしいと願ってやみません。発達障がい児は周囲と異なる行動が多い中で、その強烈な個性を育てる苦労は計り知れませんし、お気持ちも理解できます。しかし、この子は「人類の進化系なのだ」と認識し、自信と誇りを持ってその才能を見つけてあげることに全力を向けてみてあげてください。(あ、でもママも自分を大切にすることは忘れないでくださいね。てかそれが1番大切♡)他者感情の読みにくい発達障がい児と言われますが、その愛情はきちんと感じています。卒業前の親への感謝状に「守ってくれてありがとう」と送った発達障がい児がいました。彼のお母さんはごく幼い頃から息子の周囲との違いに気づき、怪我をしないようにと早くから体操を習わせ、医師に診断と助言を求め、学校や公的な機関へ息子が自信をもって生活できるように積極的に働きかけてきました。最期の懇談の日「なんでもいいんです。 この子が、自分も人も大切にして ああ幸せやなって思って生きてくれたら 願いはそれだけです。」と笑顔でおっしゃったその姿に頭が下がったのを覚えています。彼は今、周囲とうまく協調することを身につけ、成績も運動も上位で元気に明るく生きています。はじめの阪大の学生による兄の刺殺事件。有名大学の研究室には発達障がい者が多くいると大学の教授にお話を伺ったことがあります。そうです。彼らのあくなき探求心とエネルギーは人類の発展に大いに貢献しています。しかし彼らの多くは社会的なサポートが必要で彼らが研究に集中し成果が得られるようにと専門のサポートチームを編成している大学も多く存在しています。発達障がい児はそれぞれに感覚に敏感なところを持っていることが多いです。聴覚、視覚、皮膚感覚、味覚、嗅覚。音がうるさくて音楽の時間に落ち着かず席に就けない、窓から入る光がまぶしくて光の動きに合わせて動いてしまう。セーターなど肌に触れるものが苦痛で仕方がなくソワソワする。給食の同じ素材のものでも調理の仕方で味覚が異なり食べられなくなる。上靴のにおいで誰のものかわかってしまうなどです。あくまで憶測ですが、先の騒音が原因で犯罪を犯してしまった阪大生は聴覚過敏が疑われると思われます。もっと早く音から逃れる方法を身に着け感情のコントロールの仕方、自分の感情を客観的に見るトレーニングを重ね周囲の理解を得ていれば悲劇は十分回避される可能性はあったのではないかと思うと胸が締め付けられます。そう思うと亡くなったお兄さんも、ご家族も、そして最も悔しく残念だったのは本人ではないでしょうか。心よりご冥福をお祈りするとともに今後このような悲劇の起こらない社会になることを願って止みません。最期までお付き合いしてくださって本当にありがとうございます。良い年末をお過ごしくださいね。こっちゃん