子どもたちとは離れて暮らしている。会うときは、いわゆる面会という形で会っている。

しんどい時期もあったが、今は安定している。

 

会うときは毎回がイベントなので、食事はファミレスに行くことが多い。

そこで思い出したワンシーン。

 

私の母は、おかしくなった後も、孫の前では良い祖母を演じていた。

いや、演じていたのか、素だったのかも今はわからない。

 

何なら、あの人の頭の中は昔から分からなかった。

私が結婚していて、子どもらと一緒にいたときは、一つの付き合いとして母親を呼ぶこともあった。

 

孫とふれあってもらうことで、更生を期待していたのかもしれない。

ただ、今思うに彼女が好きだったのは孫ではなく、孫のために良い祖母であろうとする自分が好きだったのだ。

そうすることで自分を満たしていたのだと思う。

 

一緒に食事に行けば、大抵は支払いをしてくれた。すごく、すごく、得意げに。

母よ、そのお金はどこから来たのか。

今思えば、

 

亡くなった祖母から流してもらったものではないのか。

闇金から借りたものか。

見知らぬ親切な人からだまし取ったものなのか。

 

その当時も、腑に落ちないまま、結果、母に甘えていた。

そんな、色褪せた記憶。

 

お金の流れは大事である。

子どもたちにはきれいなお金を残してあげたい。

 

母は、自分にとって、すごく立派な反面教師だ。

この人を超える人は、今後出てこないであろう。

まだまだ猛暑が続き、夏を越えるという感覚が薄れているのだが。

日本にはお盆というものがあるし、8月を過ぎるとやはり一つの区切りを感じる。

 

コロナがあり、祖父母の体調不良、そして祖父の死があったりで、実家に親戚で集まることはもうほぼ無くなってきた。

いわゆる、盆客という集まり。

 

私の古い記憶の中には、

 

夏には親戚が集まり

昼から大人はビールを飲み

子どもたちはそれに構わずきょうだい、いとこたちで遊んだり。

 

そんな光景がある。

そんな平和な光景の中にでも、大人たちはいろいろ抱えていたのだと思う。

 

母は平然と過ごしていて

何ならこの家に嫁いできた良き嫁を演じていた。

 

今思えば父は、その場にいた印象があまりない。

母のことで周りから色々言われるのを避けていたのかもしれない。

ただ、人付き合いがにがてだというのもあるかもしれないが。

 

令和7年の夏は、これまでにないくらい、スッキリした楽しいお盆だった。

母のことがひと段落したから、というのは間違いない。

 

去年の夏は問題が現在進行形だった。母もこの時期には医療保護入院させていた。

お盆の前後には、担当の相談員さんとのストレスがかかるやり取りが多くあった。

 

きょうだい、親戚顔を合わせても、母の話題は必ず上がる。

前向きな話にはもちろんならない。過去に母に受けた被害のことが、思い出話になる。

そんな夏だった。

 

今年は違った。

母の話題はほとんど出なかった。

完全に母は過去の人になっていった。

 

家庭の形はそれぞれあると思う。

私たちならではの家庭の形が、ようやく築けていけているような気がする。

 

そんな令和7年の夏でした。

私が生まれ住んだところはまぁまぁな田舎で。

遊びといえば山の中を探検したり、

工事現場のくぼみに溜まった水たまりで泳いだりと


今思えばワイルドだったなと思う。


近くに川が流れているのだが

小学生の頃、近所の友だちと帰っていると、橋の下で三匹くらい子犬が捨てられていた。


田舎とはいえ、犬を飼うのはなかなかハードルが高かったので、私たちは橋の下で飼うことにした。


その子犬たちがそこにずっと居続ける保証は何も無かったのだが

比較的毎日そこにいた。


ある日、別の区域の子らと帰り道が一緒になった。

その子らを迎えに、その子らの母親が車で迎えに来た。


車が発車した途端、一匹の犬が車の後輪付近に潜り込んでしまい


そのまま轢かれてしまった。


車は一度停まったものの、そのまま走り去ってしまった。

轢かれた子犬は、虫の息だった。

程なくして

子犬は息を引き取った。


私たちは何とも言えぬ感情を抱えたまま、子犬を埋葬した。その轢いた母親に、各々怒りを口にしていた。


その晩、自分の母親にそのことを話した。


「絶対に許さない」


何をどうするわけではなかったのだが、子どもだったので、どこに怒りをぶつけていいか分からなかった。


そんな私に母は、


「お母さんも犬を轢いてしまったことはあるんだよ。間違いは誰にだってある。」


罪を憎んで人を憎まず。冷静になるよう、なだめられたのだった。


この時の教訓は、自分に対するものなのか、母親よ。


あなたは過ちしか犯していない。

罪を憎んで人を憎まず?


そうか、あなたは罪そのものだったんだな、きっと。

以前はあなたのすべてを憎んでいた。


今、事実上、もうあなたはいない。

許してくれと言っていたよね。


一つ許すとするならば、

あなたが存在したということだけは受け入れてあげよう。


あなたのおかげでこの世に正を受け

今、自分は幸せになりかけているところだから。