明転 これから私の反撃が始まる① | 高位脛骨骨切り術を受けました そして普通の生活に戻りました

高位脛骨骨切り術を受けました そして普通の生活に戻りました

長年痛みに耐えてきた膝だけど、これからの人生のために
思い切って手術を受けました
たくさんの方のブログを参考にさせていただいたので
私も自分の記録を残しておこうと思います
そしてその後の平凡な日々も記していきます

昨夜 従兄の嫁さん(以下花さんと呼びます)と電話が繋がりました。

1時間ほど話して今回のことでいろいろ分かりました。

そして裁判の対処法も教わりました。

 

そして驚いたことに今朝9時過ぎにまた花さんから電話がありました。

彼女は昨晩電話で私が言ったことに腹が立って眠れなかったそうです。

 

なんとその電話は3時間におよびました。

彼女が腹を立てたことは私の間違っていた記憶によるものだったので

何回も謝りました。

その後花さんに今までのいろいろな親戚間の出来事を教えてもらえました。

私の母は幼いころ養女に出されたので

私は花さんより親戚間の交流が少なく知らないことがたくさんありました。

 

 

ところで花さんも今回の訴訟の被告人の一人なのですが、

原告が訴えている件についても彼女はよく知っていました。

それで私も原告の陳述書に書いてあることにたくさんの虚偽があることに気付きました。

 

 

昨日のブログで書いたことも違っていたことがありました。

 

申し訳ないけどもう一度

花さんから聞いたことを元に最初から書き直します。

 

 

先ずこの裁判の争点である60坪の土地の登記簿上の所有者である私の伯父は

私の実母の長兄です。

 

母は兄が3人、姉が1人、弟が2人、妹が1人いて8人兄弟でした。

 

今回の話は母の長兄とその奥さんの義伯母の話から始まります。

 

 

主な登場人物

 伯父(母の長兄)  ウドと名付けました

 義伯母(ウドの妻) パー子と名付けました

 パー子の兄    ヨクオと〃

 ヨクオの息子   原告さんと〃

 

事の始まり

 ウドとパー子夫婦は今から50年ほど前まで山の中に住んでいました。

 そこは8人兄弟の実家でした。

 ある時公共施設建設工事のためにその集落が立ち退きになり、

 一部は集団移転になりました。

 

 

 ウドとパー子の夫婦も同じ県の集団移転で用意された町に移住しました。

 60坪の土地(ウド名義)と木造家屋と一人に付き200万円の補償費が供与されました。

 

 

 ここでウドと他の親戚の間で問題になっていることがありました。

 ウドには少しだけ体が不自由で独立せず戸籍を同一にしている弟がいるのです。

 だがウドとパー子は故郷にいる時からこの弟を同居させませんでした。

 ウド弟は普段は山小屋に住み山仕事をして、

 冬は山を下りて私の母の姉の嫁ぎ先の家にお世話になっていました。

 

 

 今回の訴訟の発端にはこの弟にも供与された200万の補償費と

 この弟の年金を同居も許さないウド夫婦がガメてしまっていたことが

 大きくかかわっています。

 

 

長くなるのでいったん切ります。

 

それと一発解決法は今明かしたらまずいかも知れません。

どうしようあせる

書きたいけど書けない・・・真顔