今の私の問題は、お父さんや第2の父親のように真理を追究したいのに、その方法が解らないことだ。

 

私はお父さんと違って、人にはそれぞれの個性があるから、他人と自分の違いに配慮する必要があるんじゃないか、と思っている。

 

第2の父親は、他人にムカついているのは自分の中にいる人格にムカついているからであって、自分自身を我慢させている人は他人を我慢させたくなる、と言っていた。

 

私は、その理屈自体は解るんだけど、第2の父親とは精神構造が違い過ぎていて、第2の父親の理論そのものを活用することはできないな、と思う。

 

私がムカつく人は、他人の話を聞かない人だ。私が怒っているのに、それを理解せずに、自分に都合の良い話ばかりしている人だ。

 

それにムカつくのは、私は他人の話を聞きたくないのに、他人に譲って話を聞いていて、それで損をしていると思っているんだ。

 

他人の話を聞かずに好き勝手に言うなら、私は考えるのが好きだ。

 

小さい頃は考えるのが嫌いだったけど、大学生の頃に永井均の「<子ども>のための哲学」「マンガは哲学する」を読んで、自分だけの疑問を自分なりに考えるのが楽しいということに気づいた。

 

大学院生の頃はインターネットでgosaというハンドルネームでゲームのキャラクターの個性を考察した。

 

会社員の頃はインターネットでsubaru-0302というハンドルネームで漫画キャラの星座×血液型を考察した。

 

今はこのブログで、考えを書いている。

 

それで思うんだが、私が考えたいのは、個性とは何か、だ。

 

MBTI・Keirsey式もかなり参考になったんだが、私が本当に気にしている個性とは何か。

 

私が他人や自分を考える時は、馬鹿・賢い、善人・悪人で考える。それ以外の褒め言葉、イケメン・キモオタなどはあまり興味ない。

 

私は賢いと言われると嬉しくなるし、馬鹿だと言われてもそれが的を得ているならそれはそれで納得する。

 

私は善人だと言われると納得するし、悪人だと言われてもそれが的を得ているならそれはそれで納得する。

 

賢愚善悪について考察したい。

 

一度記事を投稿する。