私は「馬鹿」か「賢い」かを気にする方だが、人はどうして「他人が馬鹿、自分が賢い」と思うようになるんだろうか。

 

「賢い」とは答えが解ることだから、自分の中で「これが答えじゃないか」と思うものがあれば、それを信じるようになる。

 

それで、その答えを他人に言ってみて、理解が得られれば、「私だけじゃなかったんだ!」という安心感を得ることができる。

 

ところが、その答えを他人が理解してくれなかったら、敗北感を覚える。そして、「アイツは馬鹿だから私の答えを理解してくれなかったんだ! 私は本当は賢いんだ!」と思うようになる。

 

それは、「賢い」か「馬鹿」かというより、単に「異端」「変人」であるだけなんだと思う。

 

本当に「賢い」人なら、どんな他人に対しても、解り易く答えを説明することができるはずだから。

 

以上。