場所は、麻布区宮村町1番地です。

1919年(大正8)10月14日に麻布十番でラムネ製造工場の山水舎を経営していた斎藤勇次郎を座主に、吉原興行部を興行主に開場しました。

1923年(大正12)9月1日、関東大震災で休場しますが、被害が軽微だったため、焼けた日本橋の明治座の名称を使用して、翌24年(大正13)1月2日から「麻布明治座」として開場しました。

市川左團次一座が来演して、一の橋のほうまで行列ができたという逸話があります。

同年12月1日より「末廣座」に復称しましたが、その後は経営が思わしくなく、1929年(昭和4)に日活に買収され、同年10月17日から映画館の「麻布日活館」になりました。