もう1人の塾長は、塾にいるらしい。

多分、経理関連の仕事をしているのでしょう。

麻布学院は、生徒に負担が無いよう、きちんと塾の掃除をしてくれる方を、毎週3日お願いしています。

個人塾だと、学校と同じで生徒が掃除をするところもありますが、麻布学院は生徒は勉強にだけ集中してくれれば良いという考え方です。

そういう面で、お金を出すことに躊躇はいたしません。

我々2人も、それぞれ授業を抱えながら、私は生徒のデータ管理・保護者対応・ブログなど広報活動を主に毎日やっています。

もう1人の塾長は、教務担当・経理関連などをやっています。

結局、休み中も仕事をしています。
仕事は嫌いじゃありません。

仕事が楽しいなんて、綺麗事は言いませんが、仕事をしている自分は当たり前の自分。

社会人になってからは、ずっと同じような生活をしてきました。

仕事は探してでもやれと育てられた人間なので、当たり前の生活です。

主張は結果を残してから。

今は、経営者なので、やりたいように仕事をやっています。

働けば働く程に、誰かの人生が少しずつ変化して行く。

塾とは幸せな仕事です。

お金を頂いて、感謝して貰える。
幸せな仕事ですよ。

先生と呼ばれる仕事は、誰かの人生に影響を与える仕事ばかりです。

医師・代議士・弁護士・教員など。

塾は、資格がいらない誰でもやれてしまう、先生と呼ばれる仕事。

大卒の人間ならば、不動産を見つけて、やるつもりになれば、誰でも先生になれてしまいます。

その分、経営者も千差万別。

麻布学院は、経営者2人ともに、仕事人間です。常に仕事優先。

生徒には、他の事を考えず、塾では勉強優先にしてもらいたい。

やる気があるならば、いくらでも無償で協力します。

資格試験すら無い職業です。
それなのに、先生と呼ばれる仕事。

ですから私は、仕事が好きで、いくらでも働ける人間になりたい。
子供たちに、後ろめたさを感じる事がないように、せめて清貧でありたい。

麻布学院のやっている事を、他塾が行えば、二桁の授業料になるはずです。

講師を使わず、自分たちだけでやるならば、可能かもしれませんが、それでは万能な授業にならない。

我々、麻布学院の塾長たちにとって、財産は生徒との思い出、努力。
そして、数字・結果・実績の数々。

麻布学院でしか出来ない、麻布学院でしか手に入らない財産です。

堂々と言いますが、麻布学院は生徒の努力量はどこの塾にも負けていません。

卒業生全体の4割が一高・二高。
約6割弱がナンバースクール。

こんな塾、仙台にはありません。

生徒達は無理矢理やらされている訳じゃない。
宿題はありません。
ですが、必ず生徒達は自宅学習用の何かを用意して帰宅する。

毎日塾があるのに、中3生は、自分から1時2時まで勉強をしています。


私は、背中を見て仕事を覚えろのタイプ。
ですから、生徒達の自宅学習は放任です。

自分たちがやりたければやる。
やらないで、数字が出ればよし。
やって数字が出ないならば、やった事にならない。

それが私の考え。

麻布学院の私の立ち位置がそう。
努力や過程はやって当たり前、出来て当たり前。
数字・結果・実績がない塾は、塾として存在意義がなく、子供を預かる託児所と同じ。

私は、そういう考えで塾をやっています。
ですから授業中に、うるさい生徒はいません。
塾は勉強をする場。

それでも、生徒達は塾を休みませんし、保護者様によく言われるのが、塾が楽しいと言ってくれている生徒達の気持ち。

麻布学院は自由。
宿題もなし。習い事で週に何度か休みがあっても構いません。
休む理由も追及しませんし、休みたければ休めば良い。

その代わりに、自由には責任が発生する。
その責任が数字・結果・実績です。


我々塾長2人は凡人。
凡人だから、数字・結果・実績を残すには、人一倍影で努力をしないと。

頑張っている訳じゃなく、当たり前の努力。

少なくとも、私は生徒の成績が上がる事が幸せです。
本心から。

だから仕事が嫌いじゃない。

私が働いて、7月模試のような結果を生徒が出してくれる。
努力も自主的にしてくれて、誰もほとんど休まない。
しかも、麻布学院が楽しいと言ってくれる。

塾長にとって幸せな環境。

だから私は、清貧に生きたい。
働いていたい。
生徒達に恥じない生き方をしたい。
生徒の期待に応えたい。
合格に導きたい。

生徒が素晴らしいのだから、私が一番やらなければ。

幸せな塾長なのだから、生徒を導きたい。

私の望みはそれだけです。