露と落ち
露と消えにし
我が身かな
浪速のことも
夢のまた夢
豊臣秀吉
豊臣秀吉の辞世の句です。
百姓から成り上がり、織田家の重臣となり、明智光秀、柴田勝家などを倒し天下人となった秀吉の死の間際の辞世です。
私の一生は朝露と一緒に生まれて、朝露が消えるまでのように一瞬に思える。
大阪で天下人になったことも、大阪城の絢爛さえも、そして天下人となってから目指した明への出兵も、全てが夢の中の出来事のようで、夢でしかなかった気持ちがする。
そういった意味です。
おそらく、日本史上最大の出世をした人間。
秀吉でさえ、やり残したこと、やってきたことの全てが死を間際にして頭を巡ったのです。
あの秀吉の働きでさえ、夢のまた夢であれば、凡人の私はどうあるべきか考えます。
人間の欲望は、一定の満足をえるとまた大きな欲望を抱え込むのでしょう。
秀吉の欲望は、その偉大な存在を持ってしても叶えられない大きさとなっていたのでしょう。
私は凡人です。
ですから他人よりも努力をしなけれぱなりません。
私の欲望はただ一点。
数字と結果、実績を残すこと。
手を広げるのではなく、自分の出来る範囲で。
秀吉でさえ人生に満足出来なかったのだから、私みたいな凡人が壁に突き当たるのは当たり前のことです。
それを乗り切るには、毎日の努力と継続。
1日たりとも休めば、秀吉が出来なかった達成感は一生私もえられなくなるでしょう。
辞世で
麻布のことも夢のまた夢とは読みたくないですからね。
体調は最悪です。寝不足が響き、気候の変化に持病が出始めました。
それでも凡人は人よりも努力して継続しなければ小さな成功えられなくなる。
秀吉の辞世からは様々な事を考えさせられますよね。