大学時代に『自殺論』が課題になったこともあり、かなり研究した時期がある。
ただ、社会学心理学は統計学であって、個人の自殺を社会的にどうするのか、どう防ぐのかは学ばないし学べない。
社会的にどうすべきかは統計学からヒントは獲られるかもしれないが、個人の自殺は防ぐ事は出来ない。
社会学的に見ても、貧困と結びつけるなら、自殺率1位のグリーンランドはおかしい。社会保障制度も充実していて所得も高い。
3位の韓国や上位に来る東ヨーロッパ諸国も、アフリカや南アメリカ諸国と比較すれば社会病理的な観点で考えると他に上位になる国があっても良い。
寒い国の自殺率が高いのは、寒さとアルコール依存症の関係性がある。
しかし、貧困や紛争など他の要因は低い。
日本は世界13位になる。
世界でもアメリカ、中国に継ぐ経済大国だ。
修学率も高い。島国であるため薬物や銃器などは持ち込みずらい国である。
アルコール依存症も北欧と比較すれば極端に少ない。
貧困や非行などの観点で見ても日本が上位に来る要因がない。
日本が上位に来る理由は若年層の自殺率に原因がある。
若年層(15歳から39歳)の死因の第1位が自殺である。世界の国で日本のみの特徴だ。
社会病理で考えればこの結果が説明出来ない。
日本は犯罪率や非行率、薬物依存率は世界的に低い。
修学率も高ければ、中学生、高校生、大学生、20代の社会人にアルコール依存は考えられない。
そもそも国民の命に関わる紛争は、表面上おこっていない。
離婚率は1年間の婚姻数と1年間の離婚を比較すれば35%と高いが、現在は婚姻数が減少しているのだから、1年間で比較すれば当たり前に離婚率が上がる。
結婚した家庭全体に対する離婚率を出せば、そうは高くない数字になる。
統計学を学んだ人間にとって、政府やマスコミの出す数字に懐疑的になってしまう。
しかし、若年層の自殺率については懐疑的にはならない。数字を計算しても、疑う余地がない。
デュルケームの『疎外』『アミノー』の分類では説明出来ない。
社会病理でも説明出来ない。
私は疎外+アミノーと社会病理の新たな要因の発生が日本に起こったと考える。
そしてこれは、宗教哲学や社会倫理も絡む問題であると思える。
日本は理系の研究者でさえ、研究費が低すぎるのだ。東大や国の研究施設以外の研究費の少なさは異常だ。
理系でさえその状態だ。
文系の研究者がアメリカなどと比較して格段に少ないのは仕方がない。当たり前だ。
文科省は、その状態でありながら思考的な学習に力を入れようとしている。
思考能力を上げたところで、思考が最も発揮される研究課程で、理系も文系も研究費をこれだけ抑えてしまっては、宝の持ち腐れだ。
日本において、いかにデュルケームの理論を発展して研究しても、食べては行けないだろう。
だから日本では、デュルケームの自殺論はただの読み物でしかない。
人の命を救えない。
日本は、経済政策の公共事業にかける予算はふんだんにあっても、研究にかける予算は理系も文系も少なすぎる。
企業も研究をサポートする文化が定着していない。
何故に今日、このようなブログを書いたかと言えば、昨日大阪で起こった自殺について、考えてしまったからだ。
日本では、世界のどの国にも当てはまらない社会病理が進んでいる。
『いじめ』もその1つだ。
朱子学的な観点から、いじめを周囲の大人に告げる事を潔しとしない、またはいじめられる側の否も考えてしまう。
両成敗という考え方だ。
日本には日本のデュルケームが必要だ。
朱子学的な日本の考え方は、日本の倫理観を世界有数の国に押し上げた。
震災の時の被災者の見事なまでの倫理観は世界を驚かせた。
しかし、その影で起こっていた避難所での看過すべきではない問題は表面化しない。
社会全体の調和を乱す行為は、当たり前の意見や権利であっても、のちに災いをもたらす可能性がある。
日本で大企業問題を告発した側の人たちの末路は悲しい結果が多い。
この『告発』は災いをもたらし、多くの人間に迷惑をかけると考える文化が、『いじめ』を深刻化させてしまう。
日本独自の『反転』という現象がその要因だ。
日本は持ち上げられた者を必ず反動で落とす現象がおこる。
力=絶対の正義ではない。
弱者=絶対に保護すべき存在ではない。
ある出来事で主要な役割を果たした人間ほど反動で何倍もの非難に晒される。
元々、力の無かった弱者にこの反動が向けられれば、最悪の結果を招きかねない。
『いじめ』はその代表だ。
我々、文系の出身者は数十年前からこの未来を予想しながらも、公務員や企業の就職を優先してきました。
理系の研究者が日本で様々な成果を上げ、社会貢献しているにも関わらず、我々文系は何を残せたのでしょう。
東日本大震災の津波被害も、歴史学の地位が高ければ、被害は減少したはず。
現に仙台市のある地域は、東北大学の歴史学者と独自のハザードマップを作成していて、住民のリーダーがそれを徹底する事で被害を最小限に止めています。
文系の人間は、この『いじめ』という日本最大の若者の命を奪う社会病理を多くの人員をかけて研究すべきです。
教育的な観点では必ず調和が日本で重視され『反転』が起こりかねない。
学術的な観点で研究者を育成すべきです。
うちの生徒の1人が、大阪の自殺に関する動画を観てしまいショックを受けていました。
この、自殺した方は地上でスマホを構える人たちが見えていたのでしょうか・・・
スマホを構える何百の群衆を見ていたとすれば何を考え思ったのでしょうか?
これも多分、社会病理です。
中世の時代に処刑を見守る群衆の心理です。
今は見守るだけではなく発信出来る時代。
1人の死が自殺が予備軍を誘発する。
亡くなった方のご冥福を祈るとともに、誘発される若者が出ない事を切に願います。
私は休み明けの授業でこの事について、大学で学んだ事を生徒に伝えようと思うのですが…
飛び降りた女性はスマホを構える群衆が見えていたのでしょうか。
亡くなった後に、その動画が広がる事を予想していたのでしょうか。
まだ若い生徒たちに、私は何を思い、何を言えばいいのでしょうか?
日本の社会はこのことに触れないが答えです。
他人事として見えない物にするのが答えです。
社会病理学を学んだ者、統計学を学んだ者として触れない見えないは答えなのか?
本当の教育とは多分、生きていく術を教え、より良い未来をこども達に作って貰うこと、残して行くことにあると思います。
1人の命が消えるには、必ず複数の要因があったはずです。様々な要因が重なって消えそうになる命を1人の警察官が救えたかはわかりませんが、受験、学業も要因の1つだったとすれば、マクロ的に見れば私にも命の責任があると思います。
生徒と話し合う命の授業を私はしていません。
何のために、大学で学んだのか・・・
政治や思想に偏ることなく、純粋に文系の学問を活かせる環境が日本には必要です。
何もかにも文系の研究を政治や思想に絡めすぎるから日本に意見をぶつけ合う文化が育たない。
政治は文系の学問の1つにすぎず、思想は対立する同等の相手がいてこそ思想。認めあってなおも論理的に説明出来て思想。
押し付ける物ではなく、1人1人が考えるべき物です。
それこそ思考力なのではないでしょうか?
私は近しい人間を自殺で亡くしています。
はっきりと書くならば父親です。
養父ではありますが、中学生から私の父親は唯一無二です。
2年前に亡くしてばかりです。
その立場でもわからない。
生徒に伝えるべき話なのかどうか。
文系は見違うと、政治や思想教育に受け取られてしまう。
理系とは違い、万人の役にたつ研究をしたと胸を張れない。
デュルケームでは命を救えません。
それを裾野で若い世代に伝える環境がないと救えません。
道徳は受験科目にはありません。
父親の検視結果は持っています。
道徳を教えるにはこれ以上の教材はない。
欧米であれば積極的に話をすべき立場かもしれませんが、日本では問題にされかねない。
動画を観てしまった生徒がいて、ショックを受けたとすれば、何かを伝えるべきなのですが難しいですね。
PS
私のブログは全て、もう1人の塾長や講師、卒業生や生徒、保護者が見て確認しています。
嘘も誇大表現も有り得ません。
我々受験業者はブログを生徒獲得に利用していると受け取られがちです。
塾ホームページのブログに数字や結果、実績しか掲載しないのは、塾ブログである以上、そういった側面はあるからです。
こちらのブログは卒業生や塾生、保護者に向けた私の内面を伝える場です。
自分の思いや生徒の思い出を誇張してまで生徒獲得に利用しようと思いません。
正直、受験関係者はブログが商売ではありません。いつ辞めてもこちらのブログはかまいません。
申し訳ないのですが塾には代々生徒も保護者もいますし、業者さんや学校関係者も必ずチェックしているはずです。
反響はありますし、生徒を通して学校の先生の感想もわかります。
麻布学院のブログには1度たりとも嘘や誇張の指摘を受けた事がありません。
具体化に色々書いていてもです。
ブログは商売ではないですから。
観覧数はいりません。あくまでも麻布学院に興味がある方のために書いています。
このブログを始めてからはっきり言えば煩わしい事ばかり。
嘘であると断言出来る何かがあって言われるなら仕方ないですが、全くクレームも指摘もありません。
そもそもブログで人気者になって何の特があるのか。私にはわかりませんし、あくまでも麻布学院は数字と結果と実績です。
このブログはサービスの1つ。
卒業生や保護者、講師や元の講師、業者さんや学校関係者、そしてずっと仕事を共有し働いてきたもう1人の全てを知る塾長から嘘や誇大表現を指摘されればブログは辞めますよ。
本来は辞めて仕事に集中したい性格です。
一部の方を除いて、ブログで生きて行こうと考える受験業界の人はいませんよ😡
腐っても麻布学院。
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ある掲示板で、嘘扱いされ、ましてや私本人がそれを掲示板に否定しているが如く書かれていましたが、私はきちんとブログに反論は書きますよ。
真意を確認したい方はいつでも塾においでください。
本当である証拠はいくらでもありますし、何なら私が書いた卒業生本人から話をして貰えば良いと思います。
その生徒が講師をしていた時の生徒はまだ塾に沢山います。
いつでもどうぞ😤😊