平成最後の日ですね。
明日には新元号が発表されます。
昭和、平成。
そして新しい元号。
3つの時代を生きれている今に感謝です。
最初の就職先を退社する原因になった長期入院では、医者から10年後に貴方と会えるかはわからないと言われ落ち込んだものです。
生まれ変わったつもりで、地元に戻り体力面で負担が少ないこの業界を選びました。
より良い生き方を目指して独立。
独立した後は、会社時代よりも忙しく、体調に異変がでて、数年間塾に出勤出来ず、自分はこのまま終わるのかと覚悟した時もありました。
しかし、回復に全力を傾けた結果、今では通院しながら仕事が出来るまでになりました。
たまに無理をして2週間ぐらい入院する年もありましたが、今年度は入院せずに1年間を乗り切りました。
現在は、新薬も誕生し予防と治療を繰り返す事で持病を抑える事が出来るようになり、悪化しる事なく普通に生活が出来ます。
主治医からも上手く病気と付き合えば、死に至るような状態ではないと言われています。
こうなると人間は欲が深い生き物で、最初に就職した会社を辞める必要が無かったのでは?という疑問を持ったりするものです。
人間は多分、少しの掛け違いから人生が大きく変わるものなのでしょう。
昭和から平成に変わる瞬間をあんなにドキドキと迎えた少年が、歳を重ね平成から新しい元号に変わる1日を何故か物悲しく思えてなりません。
平成では50台前半の母を亡くし、そして60台前半の父を亡くし。
当時、私の身を心配していた両親が先に亡くなり、自分は今、医師から長生きも可能と言われている。
東京オリンピックが決まった年には、そこまで生きれるのかなどと真剣に考えていたのに、オリンピックは来年。
確実にオリンピックを迎える事は出来そうですね。
人間なんてどうなるかわからないとあの時に覚悟をし、自分が生きた証を何か残したいと一念発起、独立していちから作った麻布学院。
いつ倒れても立派な仕事をしたと言って貰えるよう、毎日毎日を全力で、次の日に死ぬ事があろうと前日まで仕事を全うしようと必死で15年間やって来ました。
明日何かで死ぬことになろうとも仕事をする人間であると思います。
その日が治療によって、ずっと先になりそうなのは幸いであり医師に感謝です。
次の元号公表まで最後の1日。
そう思ってから、平成で起こった自分に関する出来事を振り返ったりしていました。
良い思い出も悲しい思い出も、麻布学院と共にあった15年間。
嬉しい事も悔しい事もたくさんありました。
必死に勉強して一高から東北大学に進学後、大学院浪人してでも入りたいと願った研究室に入り、これからだという時、原因不明のまま突然死した生徒。
亡くなったその顔に会った時に感じた、言い表せない無念さが一番思い出されます。
その時に本心から、自分が生き残って教え子を亡くす意味がわからず今日まで来ました。
私にとって我が母校よりも、生徒達が必死で目指して合格を勝ち取った東北大学の方が特別な大学です。
亡くなった生徒が必死で目指した場所。
東北大学。
私が生き残った意味があるとすれば、次の時代を担う生徒達に、小学生時代に学級崩壊の中心にいた少年が、友人と共に麻布学院に入り、約束を守り真面目に生きて学校1位となり、県内1位も獲得し、悪がき仲間だった4人全員で一高に合格し、努力を続け東北大学に合格。
そして夢を叶えた瞬間の突然死。
彼の夢を後輩に繋げる事が私の生き残った意味なのだと思っています。
この生徒は、麻布学院の誇りでした。
彼がいじめにあった時は、塾の存亡をかけて、相手の親御さんと電話で大喧嘩した事もありました。
お葬式でその事をお母様と話をして涙が止まりませんでした。
自分の母親が亡くなった日も、葬式の日も、父親が亡くなったと知った日も仕事をしていた私が、次の日は仕事を休みました。
今でも忘れられません。
3月31日になった瞬間、一番に思いだしたのが彼との出会いと別れ。
彼と私が3年間、ともに目指した仙台一高。
彼が守り続けた宮城野中学校学年1位。
彼が必死で最後の最後の2月に、うちの塾で県内1位を取り続けた東華中学校の学年1位と同点で獲得した県内1位。
友人全てと一高に進学し、彼は東北大学に。
東華中学校の1位の生徒は自治医大に。
中学校時代の夢を共に叶えた県内1位の2人。
どちらも誇りです。
彼のように、スタートは全く違う人生から麻布学院に入り、大きな夢を持ち人生を変えた先輩達の物語を次の世代に引き継ぐ役割が私にはあるのでしょう。
麻布学院には医師になった生徒がたくさんいます。医師を目指す生徒もいます。
今年、西大和学園に合格した生徒もそうです。
今年県内1位を獲得した5人の3人を一高に、2人を二高に送り出しました。
最近は医学部志望の生徒は二高に送り出していましたが、今年は生徒達が望む一高に送り出しました。西大和学園合格者もです。
仙台一高は麻布学院卒業生が100人進学した高校です。
最近も一高から信州大学医学部に進学した生徒もいますし、東北大学医学部も過去には勿論いました。
平成最後の宮城野中学校からの県内1位3人を仙台一高に預けました。
きっと彼らの夢を叶えてくれると信じています。
最近、知らぬ間に自分が決めつけていた医学部志望は二高へという先入観を無くし、生徒が進学したい高校へ。
今年は原点に戻しました。
仙台一高は今まで麻布学院の生徒達の夢を叶えてくれた高校です。
亡くなった彼の後輩を、今年は7人送り出せた事が私の誇りです。
人間は生き残った意味があるんだと思います。
私の意味は卒業生達が残してくれた軌跡を次の世代に引き継ぐこと。
亡くなった生徒の当時の指導データを見ながらこのブログを書いているので、まとまりが無くて申し訳ありません。
新しい元号を迎える日にどうしても彼のデータを焼き付けておきたくて見ています。
仙台一高・東北大学工学部・◯◯研究室。
ここでデータが止まっているのが悔しくてなりません。
だから私は東北大学工学部に生徒を毎年送り出します。
今年は仙台二高から県内1位獲得者が2名。
1名は東京工業大学に。
これからも毎年最低1人は必ず東北大学工学部に生徒を送り出します。
麻布学院にとって、亡くなった生徒が目指した東北大学工学部は大きな指標です。
残念ながら我が母校に進学した生徒は15年間でたったの2人だけ🙄🤔😊
圧倒的に東北大学工学部が一番生徒の進学先で大人気です😊😄
それで良い。
今年は小学生時代に悪がきだった県内1位が二高に行きました。奇しくも最後の最後2月に麻布学院のライバル全員を押し退け、やっと県内1位を獲得しました。
彼が目指すのは京都大学。
健康にだけは気をつけて、夢を叶えて下さい。
彼に憧れて京都大学を目指す生徒が将来生まれる気がします😊😉😃
東大に行った生徒達。
特に東大理Ⅲの生徒。
とても後輩が憧れるタイプじゃなくて怖がるタイプだもんなぁ😫😱
実際に性格怖いもの。
東京工業大学に行った彼も金髪のズラを着けて顔にパイ投げ食らってる写メが印刷されて飾られてるしね😁😄
うちの大学はバイトが飲み屋イメージ強くなりすぎた😫
住み込み夏場農業体験や住み込み冬場漁業体験など、貧乏大学生のビックリバイトの話ばかりしすぎた😭😫
全て私の責任です。クラーク博士申し訳ありません。かの大学で今、助教授をしている元講師のT君。
申し訳ない。私のカリスマ性の無さが・・・
札幌は良いよ😄
最高だよ🤔😊
新しい時代を前に、全ての生徒のデータを見るつもりです。
亡くなった生徒のデータが一番素晴らしく感じるのはやっぱり無念さなのかな・・・
でも15年間で一番誇りに思うのはこの生徒だと思います。
亡くなる前もそうだったし、亡くなった後は余計にです。
初めて書きます。
ご冥福をお祈りします。
時代が変わる前のけじめです。
大切な何かがまた思い出になって行く。
今年の受験生も。
彼らの一生の中で私はただの村人A。
でも村人Aにとっては主役もヒロインも重要な役者は全てが思い出に残ります。
主役は村人Aを思い出す事はなくとも、村人Aは常に輝かしい主役達を思いだしては懐かしむ物です。
このデータファイルは全ての主役達に繋がるタイムマシーンです。
生きている限り私は彼らを懐かしみ時代を旅するのでしょう。
嬉しい事も、悔しい事も、悲しい事も全てこのファイルの中に。
平成の約半分。
15年間。
卒業生305人。
その思い出が詰まるデータ。
今日はその思い出に浸ります。
仕方ないからちょっとだけ、父と母も思い出します。
仲が良い親子では無かったけれど、喧嘩をしながら口も聞かない間柄だったのに、お互い認め合っていた養父。
女川原発での貴方の仕事は私の誇りです。
震災を持ちこたえたのは、貴方の仕事だったと沢山の人が称賛していましたね。
誇りの父親でした。私の父親は貴方1人です。大嫌いでしたが仕事を1日たりとも休まない貴方は私の原点です。
天真爛漫で嘘ばかりついては他人に迷惑をかけ、息子にもお金で毎月迷惑かけておきながら、誰からも好かれ全ての嘘を清算するかの如く、エイプリルフールに亡くなった人生が冗談みたいなお茶目な母親でした。
貴方は人に嫌われない人でした。息子は真逆で血が繋がらない養父に似てしまいましたが。
貴方は周りを明るくする人でした。
新元号に変わる日は貴方の命日です。
流石に親不孝でも覚えてますよ。
この前、発作で苦しんでいた夜に、図々しくも2人で夢に出てきやがりましたね。
夢でも夫婦喧嘩してたので、これはお迎えじゃないとホッとしました。
親父よ。夢の中でまでいたたまれない空気になる貴方は流石職人肌です。
発作に苦しむ息子の夢に出てきたくせにカツ丼食ってケチつけて親父と喧嘩して息子と店員さんに迷惑をかける母親よ。流石です。
二人ともしばらくは出てこなくて結構です😭😡
今年はきちんとお盆に墓参りします。多分、きっと、気が向いたら。
二人ともありがとう☺️
今日は色々と思い出す日ですね。
そんな夜です。
まとまりが無いブログでスミマセン。
思うままに書いて見ました。
ps
彼の名前を検索したら、未だにFacebookが残されていました。
東北大学の◯◯研究室がシンポジウムで受賞した時のメンバーに彼の名前がありました。
時は止まっているんですね。
あの時から。
号泣しました。
今日は15年間禁止して来た1人酒を飲みたい気分です。
丁度、2000年のミレニアムを記念したドン・ペリニヨンを19年間、空けずに冷やしたままなので、平成と共に飲み干します。
価値なんてどうでも良いさ。
全ての思い出と一緒に空けてしまいましょう。
記念に3本買ったうちの1本だけでも。
平成にあった全ての出来事に。
平成で出会い別れた全ての人々に。
今は亡き全ての人々に。
献杯です。
亡くなった生徒の名前も、塾の教室に貼られている合格短冊の一高100人の中の1人として今も塾生を見守ってくれています。
本当にありがとう。君は私の誇りです。