実績という物をどこに置くか。
『生徒数』に置くのか『利益』に置くのかという塾優先的実績。
生徒の『点数』や『合格実績』に重きを置く生徒優先的実績。
前者は歴史から見て、事務的考え方が出来る石田三成のような塾全体を企業として見回すタイプだ。
全体的に数が多い場合は上手く回る。
現に石田三成も圧倒的な兵力差がある戦いにおいては犠牲者を出しつつも勝利している。
内需的な面では奉行として有能で、豊臣家の内需を支えていた側面がある。
後者は歴史的に見ると軍師と呼ばれる前線の人間を動かすタイプがトップの方が上手く行く。
全体主義ではなく個人主体、現場第一なので数を増やせば難しく、人を前線で動かす人間の力が物を言う。誰もが上手く行くわけではない。
織田信長の桶狭間の戦いを、旧日本軍は何度か再現したが全て失敗している。
実行する人間の力と臨機応変さが常に問われてしまう。
こういった人間を中枢に置くと独断的な手法に下は戸惑い、いつ独立という反旗が翻るかわからないので経営者も気が気でなくなる。
普通、会社というものは前者と後者が上手く絡み合い、成功するものだ。
しかし、塾という職業にはあまり当てはまらない。退職率が高すぎるからだ。
フランチャイズなどで、突然オーナーになる塾長さんもいる。
大手塾でさえ、教室長が20台の若手を据えなければならない塾も多い。
退職や独立が常に付きまとうからだ。
この学習塾という仕事は実に歴史が浅い。
60台や50台の方には塾が必要なかった時代を生きてきた人もたくさんいる。
40台前半や30台の人にとっては身近になりつつあったとは思うが、必要としていなかった人達や地域も一定数いるしあったはずだ。
そういう世代が社会を動かす年代であるから、塾の講師や塾経営者の社会的地位が低い。
真剣にやっていても塾を、バイト感覚や都落ちな感覚で見る人も多いため積極的に塾に就職する人材が少ない。
圧倒的に人材が不足している。
だから前述の前者後者の両方に優れた人材を見つけるのは至難の技だ。
現に私も大学卒業後、大手一般企業に就職し身体を壊したことでこの業界に入った人間だ。
大手塾に入社したものの、一般企業とは違う若者主体の一種サークル的な乗りには馴染む事が出来なかった。
利益を前提、その手段としての合格実績が必要であり、いかにそのような生徒を集めるかに重きが置かれる世界だ。
育てるという感覚があまりない。
それは一般企業と大きく違う点で、百戦錬磨の現場叩き上げの若手指導者やゴリゴリの研究畑出身の理論派も中心にいない。
理由は、我々より上の世代にとって、塾はどうしても必要とされていた職業ではなく、我々の時代や今の時代よりもかなり深刻な人材不足だったからであろうと予測がつく。
例えば、某大手塾は今でこそ進学実績を全面に出してはいるが10年前はどちらかと言えば成績中位の生徒にターゲットを絞っていた。
もう1つの大手は10年前はまだ中規模から小規模の間の塾で成績は追求していたものの、教室単位でバラバラな塾であった。
つい数年で拡大路線に入り現場を仕切る人達は当時と全く違う人達になっている。
当時、生徒数も多く成績が良い生徒が多数いた塾は分裂し路線を変えて、やはり人材は全く違う人達により運営されている。
大手ですら10年間、これ程方針が変わる世界である。
人材が集まらないのは当たり前だ。
個人塾というものは、良くも悪くも経営者の考えが変わらない。
麻布学院で言えば来てくれた生徒を育て上げて全員を志望校に引き上げる塾だ。
しかし、遠くから通いたい保護者や生徒にとっては週に2回ぐらいが適度だと考える人もいるだろうし、毎日授業がむりであると考える人もいるだろう。
例えば、今まで岩切中や沖野中、五城中などのあまり麻布学院に通いたい層がいない地域の生徒が15年間で5人。
その5人は仙台二高1人、仙台一高2人、仙台三高1人、宮城一高1人。
進学意識が高い地域の生徒と比較しても優るとも劣らない生徒だった。
しかしこれらの地域で必要とされるのは、料金が低く、通いやすい身近な塾で週に1回や2回の塾が好まれる。
麻布学院が所在する宮城野という地域も実はそういった地域だった。
それならば、点在する麻布学院が必要だと考える人達を集めれば良い。
集めるには、高い目標と毎年の数字、結果、実績が必要だ。
だから麻布学院はそれに拘ってきた。
15年間かけ、やっと理解されるようになり、現在では地元の宮城野、東仙台、鶴ヶ谷、南光台、幸町、高砂、田子、上杉、桜丘、西山、幸町、五城、岩切、利府、多賀城、七ヶ浜、館、長町、西多賀、富沢、富谷、仙台第二、附属、東華、五橋、台原などから生徒が集まっており、麻布学院が目指した個人塾の理想に近づいた。
遠くから通ってでも志望校を目指す生徒が集まり、地元でも生徒上位者を毎年輩出する塾であり続けること。
拡大路線ではなく、麻布学院にしか無い付加価値を作り上げ、人に集まって貰える。
15年間かけて作り上げた麻布学院だ。
ここからは、人数もある程度増やし、その代わりに割引制度を充実させて大手塾と対抗出来る体力を付け、小学生教育に力を入れて広く集め、3年間で実績を作れば中受験にも力を入れる。
これは私がいた大企業の考え方で、部品や材料などの在庫を抱えず、在庫管理を徹底する事でもしもの時に大きな損失を出さない。
人材も本社以外は地元の人間を採用し、現地法人を作り、全体の利益は小さくなるがもしもの時には損失を最小限にする。
大きなリストラがないので人材や技術の流出も最小限で抑える。
一歩一歩堅実路線。
それで世界有数の企業になったノウハウを本社の人事という中枢で叩き込まれた経験を塾経営に活かしている。
私は良くも悪くも塾業界の人達とは考えが全く合わない。聖職者や学者でありながら利益をも考えるのは矛盾がありすぎる。
私は『数字』『結果』『実績』を徹底的に追求し、必ず期限を定めて計画を立て、小さな近い目標と大きく遠い目標を同時に進行させる。
利益は少なくとも大きなリスクは取らず、ノウハウを徹底し、仕事に関わる業者も少人数に絞り、必ずもしもに備える。
質を落とさずに計画を早めず一歩一歩。
15年間。
仙台一高・二高が丁度120人(土浦第一1人含む)は計算上20人多い。
ナンバースクール合格者が174人。
計算上24人多い。
個人塾を仙台で立ち上げ1教室で、15年間、仙台一高100人、ナンバー150人という目標を最初から立て達成した塾は無いと思います。
途中で拡大路線にはいるか、利益主導になるかで目標が変わってしまうからです。
麻布学院は一歩一歩、確実に目標を達成し、関わってくれた人達と利益を共有する塾です。
数年かけて目標を組み、そのために近い目標達成に全力を尽くす。
人材が集まらないならば、育て上げた生徒達を毎年東北大学に送り出して講師を確保する。
社会人の人材確保が難しいならば、1つの教室で生き残る付加価値を10年間かけて作り出せば良い。
確立した付加価値が出来れば広く宣伝し、人を遠くからも集め、作り上げた信頼で近くの生徒も減らさずに、増えた利益は割引で保護者に、授業時間外の授業で生徒に還元する。
理想がこの業界にないのであれば造ってしまえば良い。
15年前に私が独立した意味が今の麻布学院にはあります。
麻布学院は私の社会人経験を存分に活かした塾です。私が学んだ人達は塾業界の方々におりません。
それだからこそ、数字にこだわり続け、全てを前倒しに達成出来たのだと思います。
本来の私は、物事を知識と計算により綿密に計画を立てる裏方の石田三成タイプ。
しかし、人材がいないのだから、もう1人の塾長と合わせて現場を取り仕切る軍師的な役割と、感情を全面に出して鼓舞する武将にもなるしかありませんでした。
塾業界の地位がもっと地方で上がらなければ、人材の不足はもっと大きくなりますね。
塾って一度つくると、元手が少ない分、何とかやっていけるので淘汰されるスピードが遅いんです。
どちらかと言えば、情熱がなくなるか、後継者不足でたたむ塾が多いと思います。
だからあまり人材は増えない。
大手を辞めた若手社員は塾業界には残らない人が圧倒的です。
人手不足じゃなきゃ私もこんなに体調崩すまで働きませんよ🙄🤔😁
イメージ仕事人間だと思われがちですが、実は猫さんを愛する趣味人間だったので。
この15年間、それが出来ないだけのお話。
誰かぁ。
麻布学院で働く若いかたいませんかぁ😢😭
週休2日、GW・お盆・年末年始の大型連休あり、賞与ありですよー。
1日労働時間は7時間。
塾長二人とは違って好条件ですよー。
誰かぁ。
情熱ある若手社員募集でーす😊😄