おはようございます。
久々の投稿は、最近話題の都立高校「地毛証明書」問題について。
一言で言うなら、くだらない。
でも、なぜそのような事をするに至ったのかも考えなくてはなりません。
これから書く内容を先生も生徒も受け止めることができれば、
先生だって「ハゲたらできなくなる。社会人になると職種によってはできなくなる。だから今のうち好きな髪形楽しんでおけー」と寛容な対応ができるはず。
美容院で染めるのはお金がかかることなので、自分で染める子どもも多いでしょう。なら、美容師を学校に招いて「上手な染め方」を教えてあげたっていいのではないでしょうか。髪や皮膚がどう痛むかも教えましょうよ。その方がみんながハッピーなのでは!?
教育の現場で欠けていると思われるのが、
「ルールを守ることの重要性を伝える」ということ。
これはOK、これはダメ!と一方的に決めつけるのではなく、なぜ守る必要があるのかを伝える必要があると思います。
個性だの自由だのと叫ばれますが、ある一定の社会性が身についている集団だからこそ安全な社会が成り立ちます。「常識」というのはその社会の中で年月をかけて自然に作られた概念だったり、誰かが意図的に浸透させたものであったりするのだと思いますが、その常識を持っている人が多いほど(節度を持って行動できる人が多いほど)、荒れない社会が創られていくと思います。
「規制」のラインというのは、ギリギリのところではなく、ちょっと越えてしまった時でもまだセーフというラインで定められます。
「ここから先は危険です」という立ち入り禁止の線があるとします。本当に一歩でも出たらケガをするというところよりも前にその線はあるはず。
「間違えて一歩ででしまうかもしれない。」と思われる集団と、
「平気で10歩くらい出てしまいそうだ。」と思われる集団では、
ラインを引く側としてもどこに引くか変えるでしょう。
学問に熱心な(一般的に真面目と言われる子が多い)学校ほど校則がゆるい傾向があるのは、そういうことでしょう。
でも、ちょっとヤンチャな子たちが集まる学校であっても、一方的にダメだと伝えるだけではいけないと思うのです。
髪の毛を染めてはいけない理由って?特にないと思うのです。
ただ、この日本においては「非行の第一歩」とされがち。
髪をいじること=乱れ ではないはずですが、実際にはそこで留まらない子どもが多かったからでしょう。だから、「本当の非行」のずっと手前である段階で規制をかけるということなのだと思います。
実際、パーマをかけたり染めたりして単純におしゃれとして髪形を楽しんでいるだけで終わるなら、本来は楽しませてあげていいものでしょう。大人はそう思っているんだ、ということをちゃんと子どもに伝えるべき。幼い子は、皮膚への影響も出やすいので健康面を考えてもやらない方がいいと思いますが、高校生になったら「皮膚や髪へのダメージ」というリスクも教えつつ、自分で判断させればいいと思います。やらせてみて、続けるの面倒だなとか、なんか痒いなとか、各自に感じさせることも大事。
学校は、学問だけでなく社会性を身につける訓練の場でもあります。そう、ルールを守るというトレーニングの場でもあることをしっかり伝えていかないと。
守れることがわかれば、「本当にそれはダメだ!」というぎりぎりのラインまで個人の判断に委ねてあげられるようになるのです。
「まだ判断を委ねるのが心配だから、ずっと手前のところで規制しているのだけれど、大丈夫そうだなって思えたら規制はゆるくなっていく(自分がいいと思う行動をさせてもらえる)から、まずはちゃんと行動するんだよ!」と伝えるべき。
そして、子どもが疑問に感じるルールについて質問させてあげるべきで、それに対して子どもが納得のいく説明をしてあげるべきでしょう。
私は、公立中高にありがちな「白いスニーカー着用が規則」であることが不思議で不思議でたまりません。革靴の方が「ちゃんとしている」でしょ!?と思うのです。
でもその疑問をある公立の先生に聞いてところ、
「革靴という高級品を指定することはできないのよ」と教えられました。
その時に、なるほど、と納得。
でも、いまだに「白」である理由は納得できません!!!!
微妙すぎるスカート丈も、なぜなのでしょうか・・・
生まれつき髪の毛の色が茶色っぽい子もいますよね。
地毛証明書なんぞというものを提出させられたら不快でしょうね。
「規制で縛る」ではなく、「規制をゆるくしても安心な子どもに育つ教育」に尽力してほしいと願いします。