最近ますます言語の難しさを、
身にしみて感じております。


ものごとを理解する過程で、
対象→言葉→理解

というプロセスで、
理解が行われるから、
どうしても速さを超えることができない。


小説のような簡単に理解できるものを、
深く集中して、単語ひとつひとつを理解できるスピードを超えて、
読んだときなら。

理解できてないのに、
わかる、
というのが実感できる。

右脳速読の領域から出る光を、
すこしだけ見ることが出来る。




でも外国語になったら、
全然無理。

英文→日本語→もの→理解
とプロセスを一つ増やすことになってしまって、
さらに遅くなる。


もちろん慣れてきて、
英語を理解するのに、
日本語を介することなく読むようになれるものなんだろう。

でも、俺がまだだめなんですね。


実際には日本語を介することなく読む、
ようにしてるけど、
腑に落ちない。


ちゃんと理解できてる過程が、
意識の上で、
イメージにならない。


不安なのかもしれない。

不安な状態を、
理解できてるとはいえない。


俺は英語でインテレクチュアルな議論ができるくらいの、
言語力を付けたいと思ってるんです。

そのためには、
現時点で予測できる限りの学力を身に付けて、
そこから根本的な大きな変化を起こさないといけない。
と感じる。


ちまちま参考書とか本とかを、
読んで勉強してるような、
甘い負荷じゃあダメなんだろう。

俺の脳の処理できるぎりぎり外の、
大きな負荷をかけないと、
根本からの革新にはならないと。


ちょうどいいことに夏休みなので、
ちょっと気合を入れて、
限界に挑戦してみよう。

さて、何でやろうかな。。。


今日ある友達と久々に再会。
2ヶ月ぶりくらいかな。


俺の家で、
数年前のウイニングイレブンをしながら、
ぺちゃくちゃとしゃべる彼の話を聞いてた。

相も変わらずおしゃべりだな~、
と思いながら、
点を取られてがっくり(笑)


簡単にできる、
オムライスを作ってあげて、
彼が帰ってから小説の続きを読み始めた。



小説を読んでると、
途中から映像が出てきて、
文字に意識がいかなくなる。

ただ目に映る物語に、
静かに浸りながら、
機械的にページをめくる。

気付いたらあっというまに、
読み終えてた。



読後の胸がいっぱいな感じって、
何なんですかね。


ぱっと見て感じた感覚、
とはまた違って、
積み重ねられたたくさんの感覚のつながり。

その新しい質感、
を言葉に出来ず、
全然違うことが浮かんできた。


自分の感覚ほど、
不確実で不安定で、
あてにならないものはない。

でも同時に、
それほど確実で、
ある種絶対的な目としてあるものはない。


磨いていかなければならないんだろう。
するどく、しなやかに。


そんなことを、
とりとめもなく考えながら、

とりとめもない記事になってしまった。


でもこういう形も悪くない、
かな。




白石 一文
私という運命について






「普通」
何なんでしょう。


自分にとっての普通ですよね。
当たり前に思ってること。
価値基準。

「お前の普通は他の人のとは違うから」


と悲しいいかな、
よく言われる。

「それが普通だって」と
言っている姿に、
妥協と甘えを感じてしまうのは悪い癖かな。


自分を正当化して、
安心させて、
馴れ合って、

他に埋もれてしまうのが嫌なのかな。


「アノ人は今の自分に満足してるんだろうね」

友の言うその言葉が
ストンと腹に落ちた。


じゃあ、満足がわるいことなのかな。
幸せでいるのかもしれないじゃない。

俺は嫌だけどさ。


そんなことを考えてて、
ふと我にかえった。

向上、成長しなくては生きられない、
赤ちゃんの姿が妙に気になる。


そもそも、
そのままであることは、
そのままになっていることか。


そのままになり続けないと、
維持していくことはできないんだね。


誰でも成長せずに生きていくことは出来ないんだった。

どうせ変わるなら、
新しく変わりたいと思う。
やっぱり突き抜けたいと思う。



この2日は天気もよくて、
久々に洗濯物が気持ちいい。





シャワーのヘッドを変えてから、
毎日お風呂が楽しみな、
最近であります。




どうしようもない感情の渦に、
飲み込まれてしまいそうなとき、

ただ身を任せる。


もちろんそんな時間なんかないとか、
いろいろ事情もあったりしたりもする。

一概にそれがいいわけじゃないけど、
たまにはね。


感情も自己防衛本能の、
機能の一つなわけだから、
いつもいつも押さえ込んじゃかわいそうかと。


感情自体はある程度、
コントロールできるものだと思います。

だからこそ時々身を預けてみるのも、
また違った感覚が得られるようなきがする。


世をはからむことも時々はあるさ。

俺は一日中だらだらと、
「ん~」とか言いながら過ごしたり。


で、気付くんですね。
結局歩くしかないと。


「あ~ぁ」と、
うなだれながら歩き始めることもあれば、
「しゃない」と、
元気に開き直ることもある。


ま、後ろに道はないわけだから、
行くしかないの。


自分が人であることを再確認して、

ある種の爽快感があるせつなさを覚える。






枕元には小林秀雄。
そんなことに小さな幸せを、
感じる毎日であります。


わからないこともたくさんあるんだけど、
そんなこと気にも留めず、
小林秀雄を愛読してる。


読み進めていくにつれて、
自分の言葉が増えていって、
世界が広がって、

見えてたものが見えなくなる。




矛盾してる?


いや、でも確かにそうなんだよ。

俺は無学だから、
小林秀雄を語ることなんて出来ないけど、
確かに伝わるものがあって、
深く共感してる自分が見える。


どうしようもなく惹かれてしまうのは、
彼の深いところにあるもの。


俺は基本的に決め付けは嫌いだし、
「答え、正しいものはこうだ」という人も、
嫌い。

その人の自意識と知識と経験において、
そう判断してるんだろう。


でも絶対的なものなんてありはしない。
言ってることの矛盾に気付いてない人が、
多すぎる。


中途半端に知識があったり、
中途半端に経験をつんでる人、
インテリみたいな人。

そんな人に限って独善的な物言いをするように思う。


自分の自意識のうちでしか、
考えられない。

それが人なんだろうけど、
その限界と向き合ってる人は、
そういるもんじゃないんじゃないかな?


小林秀雄は結構「これはこうだ」と、
言い切ってしまう人だけど、

矛盾とか無限とか、
答えがないものや、
どうすることもできないものがあることを知ってる。

そして向き合ってる。
考え続けてる。

その上、価値基準がめちゃくちゃ厳しい。



それは俺の感想とか意見ではなくて、
読んだらわかる事実。

だからその言い切りが、
すごく心地いいんです。



俺は
知ったかぶりインテリを嫌悪してしまうゆえに、
一時、何もいえなくなってしまった時期がありました。

でも今は新しい道が開けてる。

だからあえてはっきりと言い切ってしまう、
ことも増えてきました。


答えなんていつでも簡単なんだよ。


だから俺は悩み続ける。
一生そうありたい。
それが最も厳しくつらい道だから。


もしやMなのか?笑