Pureがいい


シンプルなものが好きです。

持ち物もそうだし、

インテリア もそう。


ごちゃごちゃした服なんかも、

好きじゃないし、

無駄がない状態を、

美しいと思う。


不思議だった。


シンプルな考えかたを、

しようと、

いつからか思うようになったの。


それは複雑で、

一見高度に見える考え方よりも、

深く鋭い。

ぶれることもない。




皆それぞれの体のラインを生かして、

個々人に似合ってる服が、

一番カッコイイと思う。


それはつまり、

素である裸が、

一番キレイだと思ってるからだろう。


つまり、

かっこよく見せるために、

飾って、演じて、

すべて逆なんだろう。


棄てて、

壊して、

裸であることが、

作品でありうる。


自分をなくしたとき、

本当の自分が見える。

そして、

それはすごく魅力的な姿だ。




小林秀雄 の講演「文学 の雑感」の中で、

無私という言葉が出てくる。


もしかしたらそこに、

つながるのではないかな。


少なくとも、

俺は、

そのつながりを感じてしまう。




なくせばいい。

やめればいい。


筋肉を緩めて、

笑顔になればいい。

本屋には文具を、

ばっちり揃えておいて欲しいと、

思います。


3店もまわって、

やっとモレスキンメモ帳 を、

手に入れました。


毎日の小さなひらめきを、

一つとして忘れることがないように。


ブログ に書けるものも、

書けなくなってしまう、

からね。




ふと、

気付いてしまったんですけど、

人の言っていることが矛盾してる、

とか言ってる俺について。


そんなの、

自分はそうではないと、

無意識 に主張してるようなものだ。


そもそも、

俺は逃げてるんじゃないのか。

ということ。


矛盾が起こらないように、

批判されないように、

書く内容を恣意的に、

選んでるんじゃないか。


なるほど、

確かに大いに納得できる部分があって、

少し悲しい。


そこで出る言い訳が、

何かについて語れるほど、

俺にはまだ知識がないんだ。

ときた。


それは自分の無知から逃げてるだけなのでは?

その分野についての完全な知識が、

得られてから語って、

優越感でも得ようと?




いつのまにか自己批評文みたくなってしまった(笑)



実際すべて真実ですよね。

やっぱり、

自己批評的な視点もたないとダメですね。


俺の無知については、

今はしょうがないです。

これからがんばります。


知らないことはしゃべらない。

これは俺が自身に戒めとして、

心に刻んでること。


知ったかぶりほど、

醜いものはない、

と思うから。


言葉を持つことのない植物は、

どうしようもなく美しく映る。



以前は自分が考えてることとに対して、

表現できていることの少なさにやきもきして、

考えてることをどれだけ表現できるかは頭の良さに因ると思ってた。


そして自分を戒め、

どうしたらいいかと考えてました。


でも多くの文章に触れてきて、

なんとなく見えてくるものもあって、

それは、表現できるのは考えてることのせいぜい1割程度なんだろうということ。


四方八方に広がる思考を一本の論理の元に表現するのだから、

ま、当然といえば当然なんですよね。


そう考えると、今までその人の書いてるものが、

その人のすべてであるかのように考えてたことが恥ずかしい。

ちゃんと注意してみれば、

言葉に表れない深くて複雑な思考過程の一端くらいは見えるもの。



書いていて、全然違うことを思いついた。


「才能とは過剰なものである」

茂木健一郎 さんのブログ で公開されているMP3で、

大竹伸朗 さんとのものの中でおっしゃってたこと。


この言葉は何か、

大きくうなずいてしまったんだった。


自分は才能があると過信して、

でもまだ目覚めてないだとか、

不思議なことを言う人を一刀両断してしまう。


天才って個人の意思とは関係なしにあふれ出るひらめきを、

表現せずにはいられないのだろう。

決してしぼりだすような類のものじゃないの。


そうでない者を切り捨てるこの言葉は、

一方で切り捨てられたのにもかかわらず、

不思議にも天才に対する畏敬の念さえ湧いてくる。


圧倒的に大きなものに出会ったときに、

ただもうひざまずいてしまいたい、

そんな衝動かな。


凡人である俺には、

学習によってしか道は開けないの。

ブログをはじめてから実感したこと。

 

 

outputすることによって、

小さなひらめきが生まれることがある。」

 

「自分のことがわかるようになる。」

 

「人の目を意識した文章を書くことによって、

文章作成能力が上がる(まだまだです)」

 

「何もしなければ埋もれてしまう、

日常のささいなことを何らかの形で記録できる。」

 

「長期間書き続けていくことによって、

成長の過程が目に見えて確認できる。」

 

 

などなどたくさん良いことがあります。

まだやったことのない人はぜひ。

 

 

 

今、ブログブームみたいな現象が起こってるのかな?

すごく数は増えてきてる。

 

俺自身もいろんな人のブログを見に行ったり、

ネットサーフィンをして、

新たな出会いがあったり。

 

 

でも、ほとんどのブログが、

日常の生活では言えないことを、

ゆるく書いたりしたものばかり。

 

 

それが良い悪いは別として、

自分の意見を、

それこそ作家が記事を書くように、

身をふりしぼって作る質の高いものがなかなかない。

 

ネットの匿名性を利用して、

リアルな世界とは違う自分みたいなもの、

そいつの表現としてあるみたいな違和感かな。

 

 

そもそもネットで匿名である必要はないんじゃないかな。

ネットもリアルも言ってることが一致してたら、

見られてまずいなんてことは起こらないだろうし。

 

そういう俺もニックネームじゃないか!(笑)

 

でもいずれは実名でやろうと思ってるし、

ブログが自分自身の名刺になればなとも思ってる。

 

 

ただ単純に俺の尊敬するインテリな人は、

皆実名だからってのもあるけど、

自分の身体と離れたネットの世界で唯一名前には、

自分を感じるから。

 

 

なにはともあれ、

俺自身が自分にとってクリティカルな考えを、

表現し続けて行くために、

今は勉強するしかないですね。