アザノカタリズム

アザノカタリズム

色んなことを勝手気ままにダラダラ語ります。

          語り+ISM(主義)=カタリズムとは?

                        アップ     

               色んなことを勝手気ままに語ります。

昨年の10月更新より、どれだけ空いてもシレっと投稿いたします、
FF7リメイクスクショ日記。
 
「まだ」やっております?クリアーしておりません?
どちらも正しい状況ではあります。
 
 
ダンジョン、というより市街と郊外散策な現段階。
 
今はまだ、工場みたいなところをウロウロ。
(正しくは神羅の施設)
 
はるか昔にオリジナルをプレイした記憶は微かなので
今後、ダンジョンらしいダンジョンがあったりしたのか不明。
 
たとえソルジャーであっても、高い所は慎重に。 

SQUARE ENIX CHARACTER DESIGN: TETSUYA NOMURA / ROBERTO FERRARI
LOGO ILLUSTRATION:© YOSHITAKA AMANO
 
 
違うことに気が行き過ぎてストーリー進まない。
なのに長時間ゲームプレイできなくなっているお年頃。
 
懲りずに今年も不定期スクショ日記更新します。
 
参照
これまでの歩み

2017年から始めたこのブログ。

とにかく最初の頃は毎日投稿を続け、多くのことを語ってきた。

 

 

近年、少ない時は月1程度の更新になっており、

ついに連続投稿月記録もうっかり途絶えさせてしまったりと

失速のを辿っている。

 

自分なりに、その原因を考えてみた。

 

 

性格や考え方は基本、ブログを書き始めて当初から

さほど変わってはいない、つもりだ。

 

物事を自分なりに分析して考えることもヤメてはいない。

 

が、だ。

その考える時間が車の運転中やお風呂時間の限られた時間になった、

ということは大きな変化かもしれない。

 

語りたいことが頭にあっても、メモったり記録として残すことが難しい状況なので

いざ書き留めようとした時には

さっきまで文章としてもう頭ではアウトプットの準備はできていた筈が

出てこない・・・

 

老いでしょうか。

 

なので、スマホのマイク入力機能を使ってボイスメモで下書きを残す等

あとから文章にできるように、ネタ帳的管理をしている。

 

 

しかしながら。

アウトプットする、という行いは元来とても体力がいる作業だ。

ネタがあっても、それを伝える=文章に綴っていくことは容易ではない。

 

「~へ行った楽しかった」という日記の様な報告や感想なら話は別だが、

自分の考えを出す、ということは、まとめて万人語に転換していかなければいけない。

 

 

自分からアウトプットした時点で、不具合が生じることなんて多々ある。

 

自分の中で感じていた感覚を

外の世界、この社会に出した時に起こる、寒暖差みたいものを感じる時。

 

例えると、悩みを友人に話した時に起こる現象と同様で

凄く悩んでいた筈なのに、言葉で口にしてみると自分が思っていた程

大したことじゃなかった、というケース。

 

その場合はもちろん、ボツネタとなる。

 

そして、もうひとつ。

自分の考えを自分ではない誰かに伝える形にするには

自分の考え、の主観だけではなく、客観的に自分で自分の考えをみる必要があるので

それが難しい時は、記事にできないことがある。

 

 

そして文章の組み立て。

語りたいことを少しでも伝わるような内容、最後の締めまでの流れ・・・

ここでも考えることは山程ある。

 

 

好きなことを好きに語る、といえど

こういう作業の流れがあっての記事なので、とても体力を使う。

 

・・・ということを踏まえると、

一体、毎日投稿していた日々のバカ体力な自分に圧巻。

 

体力の衰え、つまり老いでしょうか?

 

 

今の流れでは老化が一番の原因、

なんてオチにしてもこのブログらしくていいのだが、しかし。

 

年齢を重ねると強制的に嫌でも考えないといけない事柄が増えていく一方で、

自分の考えたいことを熟考する時間がどんどん減っている、

という実感はたしかにある。

 

あれほどに自分の好きなことを好きなだけ考えていられた時間は

今思うとあまりに貴重で、尊いものだったと気づく。

 

 

・・・更新頻度が少なくなった原因を考えた結果、

やたら深いことを語り出して終わる、

 

これぞ語リズムの真骨頂。

 

最近、気になって仕方ないことがある。

それは、

マクドナルドの接客対応だ。

 

大体ファストフード店の接客では、店内飲食があるところでは

持ち帰りか店内で食べるかを先に聞かれる。

 

税率が変わることもあるのだろう。

マクドナルドなど店内飲食でも持ち帰りでも税は変わらないところもあるが、

準備などの関係もあるし、効率的な確認順位だと思う。

 

かつて、マクドナルドもその注文の流れだったと思う。

 

だが近年、マクドナルドでは注文の最後に「持ち帰り」かどうかを確認してくる対応が

どうやらマニュアルで決まったようだ。

 

・・・決まったようだ、というのは

別にマクドナルドに勤めている関係者が知り合いにいるわけではない。

では何故そういう言い方をするのか。

 

自分はマクドナルドでは、

大体同じ店舗で持ち帰りの購入しかほぼしない。

その中で近年、急激に対応が変わったのを感じたのだ。

 

 

マクドナルドでは店員さんが持ち帰りか店内飲食かの確認の声かけがなく

こちらから注文を始めないといけない。

 

なので「持ち帰りで」と先に伝え、注文を始める。

その時ハッキリと伝えていて、店員さんもたしかに「はい」と聞いている。

 

な、の、に!!

注文を伝え終わった最後に、今まさに初めて聞きます、のテイとトーンで

「お持ち帰りでしょうか?」

と聞いてくる。

 

「お持ち帰りで間違いないでしょうか」の”再確認”ではなく、だ。

 

びっくりする。ほんの一分も経たない前にこちらはそう言ったでしょうが。

いや、ほんと再確認ならわかる。

間違いないか注文を繰り返すのはいいことだ。

 

だが、どの店員さんも「初めて確認しますよ」の言い方で

こちらの答えを聞いてない風に平然と聞いてくる。

 

さすがに最初は、注文聞いている間に最初に言ったこと忘れたのかも・・・

と思ったが、違う。

どの店員さんも、どんなにしっかり持ち帰りの意思を伝えても

みんな揃って全く同じなのだ。

 

そこで仮説として、

マクドナルドの接客マニュアル注文編のチャートには

一番最後に持ち帰りか否かを確認、という決まりが改訂され、

それを厳守するように教わるのかもしれない、

と考えてみた。

 

が、そんなとある日。

 

何やらベテランそうな年代のおばさまが接客してくれたら

いつもと同じように最初に「持ち帰りで」と伝えるとこからスタートし、

その店員さんも「はい持ち帰りですね」と返してきたので

認識はしているなと思いつつ、注文を済ませたらやはり最後にまた聞いてくるよな・・・

 

と思ったら、なんとそのまま会計へ。

驚いてしまったが少し前まではこれが普通だったのだ。

 

大した手間なやり取りでもないのだが、

あの不可解な1ターンをしなくていいことがここまでストレスがないとは!!

 

何が違ったのか。

違ったのは、店員さんの年齢だ。

これまでは若い、、、という表現は読み手からすると幅が広くなるので

令和の働き手世代(バイトも含む)だった、といっておこう。

 

 

そこで新たな追加仮説を考えてみた。

 

マニュアルは改訂された、としても

ベテラン勢は臨機応変に対応をすることができるが、

令和の若者の働き方と仕事に対する考え方とやらがちまたで問題にもなっているが

マニュアル通りにしか動けない、できない、しようとしない等の

応用の利かない店員を生み出しているのかもしれない、

というものだ。

 

 

たしかに、色んな人が同じ仕事を一緒にする上でマニュアル、

指針というのは必要だと思う。

しかしながら、様々な人に対応しなくてはいけない接客業において

マニュアルに沿った最低限の行動はしなくてはいけないとしても、

”完全に”マニュアル通りですべての人に対応できるかといったら

けして無理だろう。

 

マニュアルに沿っていないと、失礼になる場合もあるが、

逆にマニュアルにこだわり過ぎると、それが失礼になる場合もある。

 

”絶対に”マニュアルチャート通りしろ、という命令はされていない筈。

ある程度の指示はあっても、どんな仕事でもそうだ。

 

その決まりの中で、余白は自分たちにかかっている。

その余白をうまく埋めて対応できるのが、やはり仕事ができる人であり

余白は何もしない、しなくていい、と文章のまま、言われたままにしか実行しないのは

仕事ができない、という評価になってくるのでは。

 

もしかしたら、”若者”と呼ばれる令和の働き手世代の常識では

言われたまま、マニュアルのままやるのが正しい働き方で

言われていないことはしない、マニュアル以外のことはやってはいけない

という判断を”あえて”しているのかもしれない。

 

そう考えると、言われたことやマニュアル通り仕事ができるのは

たしかに”仕事ができる”になるのかもしれない。

 

きっとそう主張するだろう。

それもその世代の立場になって考えてみたら筋の通った言い分なんだろう。

 


しかし接客、とは。

 

・・・なんて仕事について考えるのがもう昭和の働き方なのかもしれない。

あ、自分が社会人になったのは平成ですけどもね。

 

仕事はただのお金を稼ぐ為のもので

深く考えたりするようなことじゃなく、タスクをこなすだけ。

きっと多くの令和の働き手はそうなんだと思う。

 

色んな店でアルバイトしている若い世代の人の接客は

みんなそういうものが滲み出ている。

 

笑顔はナシ、愛想もナシ、必要最低限の発言しかしない。

いや最悪はその最低限の文言すら言わないケースにもザラに当たる。

 

厳しい意見で物申すとすれば、

先述のような主張をする人に限って、やることをやれていない、のだ。

やっていない、わけではないんだと思う、”本人からすれば”、だ。

 

やることやってるなら、仕事に笑顔も愛想もいらないかもしれない。

そこを求めるのは、楽しみや夢を売るテーマパークでもないのなら

求め過ぎだと、思う。

 

だが、挨拶、は人とのコミュニケーションにおいては基本ではないだろうか。

接客業のマニュアルには必ず載っているだろう。

挨拶はしない、値段は言わない、お礼はお客側からだけ・・・

 

そんな接客が、近年の”普通”になっていて、

正直、ならもう全部セルフでいいよな、とさえ感じている。

A.I.が相手にしてくれる方が、よほどありがたみを感じるくらいだ。

 

すごいね、自動でここまでやってくれるんだ、ありがとう、ってね。

 

おそらく、平成の”当たり前”の接客、

「いらっしゃいませ」「~円になります」「ありがとうございました」

・・・少しでも丁寧に接客していただけると、感動すらしてしまうレベルだ。

 

 

しかしながら、だ。

ここまでの言い分は、おそらく現代では

昭和、平成世代のただの愚痴でしかなく、いや、ヘタすれば

”老害発言”の類になり兼ねない。

 

ここまで変わったと感じるということは、

時代が大きく変わった、ということを認め

”こちら”が対応を変えないといけない、ということなんだろう。

 

そんなところまで考えた自分は最近、

マクドナルドでは注文は商品を伝えるところから始め、

相手が例のマニュアル通りのタイミングで「お持ち帰りですか?」と

聞いてきた時に初めて「持ち帰りで」と伝えるように変えたのだ。

 

”融通の利かない相手”に対して、

老害オバサンになりたくないからだ。

 

我々世代は臨機応変の対応ができるんです、というところを

背中で見せていこうではないか、

そう考えた次第。

 

 

余談だが、

ミスタードーナツは店の仕組み上だろう、

レジでは店内飲食か持ち帰りかを聞かれる。

 

そして、おそらくドーナツの個数などから推測して

「店内でお召し上がりですか」か「お持ち帰りですか」を

使い分けているのではないか、説も実は考えている。

 

しかし、トレイに大量のドーナツがあっても尚、

「店内で~」と聞く店員さんは・・・

 

なんとも接客は奥が深く、十人十色。