アザノカタリズム

アザノカタリズム

色んなことを勝手気ままにダラダラ語ります。

          語り+ISM(主義)=カタリズムとは?

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               色んなことを勝手気ままに語ります。

価値観の形成において、

自身の元々持つ気質、育った環境、これまでの経験や

現在置かれている環境、状況が影響する。

 

自分の場合は、自分自身が経験したものからの影響が強いので、

あまり他者からの影響を受けない傾向にある。

 

極端に悪くいえば、頑固なのかもしれないけど

年齢、環境、立場と生きている中で変化していくその時の自分のものなので

変わらない、でも、変えない、でもないので

あまり影響を受けない、は悪い方ではなく、

自分をブレずに持てている、ことと思っている。

 

人によっては、周りの人にすぐ影響を受けて

コロコロと価値観が変わる人もいる。

 

それも考えようによっては柔軟であり、素直なのかもしれないけど、

短期間でコロっと変わっているとかをみると

その価値観に自分の考えがないんだとわかるのは、どうなんだろうか・・・

とも思う。

 

往々にして、そういう人の話を聞くと

誰から影響を受けているのかわかるんだよな。

 

 

すごく衝撃を受ける体験をして、ガラっと価値観が変わる、

そんなことは人生において確かにある。

 

それは私も経験がる。

 

だから価値観の変化は、自分自身の変化、人生の変化である

大きなことのように思う。

 

固執した価値観は自分の為にならないこともあるので

その時々で見直すことは大事だ。

きっと生きていると、様々な岐路は誰にだってある。

その時に自分と向き合うかどうか。

 

コロコロと価値観が、他者に影響されて変化しやすい人は

自分をみる、ことをせず、他人を通しての自分をみているのかもしれないし、

ただ単に、マジョリティ=正しい、良い、という考えでいるからかもしれない。

 

 

いくら凄い偉人がいたとして、その人の価値観も素晴らしいとしよう、

それをそのまま自分の価値観として持つ、のと

自分が実際問題、自分の価値観として持てるかどうか、というのは

全く同じではない。

 

自分自身が培ってきた中で得た価値観というものは

リアルだし、今の自分、として持てるものだと思う。

 

アクセサリーみたいに簡単に付け替えられるものではないのだから。

 

贅沢を知らないで育つと、

さほど金銭に恵まれていなくてもそれが通常という感覚なので、

貧乏がいいというわけではないにしても

特別、今以上の富を欲することでの苦しみはなく、

今ある現状が悪化さえしなければ、不満なく過ごせる場合がある。

 

もちろん、己が手にしていない財力を望む、という人もいるけれど

それは、隣の青い芝生を見て知ったものを、よそはよそ、として捉えることができず、

自分の現状と比べて良し悪しを決めて発生してしまった欲なのかもしれない。

 

価値観は人それぞれでだから、その欲が悪いわけではないけれど

そのせいで苦しんだり、自分が手にしてないものを持つ人を妬んだりするなら

その価値観が良いのかどうかは、わからない。

 

自分の持つ資産で買えないものをあえて望むこともなく、

手に入らなければ、なくても何ら問題なく過ごせる感覚は貴重かもしれない。

 

 

お金を手にしている人の感覚がどのようなものなんか、は

話に聞くところ、での考察でしか語れないけれど、

 

己でどんどん富を築いて、その暮らしの層を知った人は、

現状を下回ることに強く懸念を抱き易く、

キープすることすら怠慢であり、更に良くしようという考えが強く発生する。

 

質の良い暮らしを求めることは、それが意欲、向上心にも繋がり

生き方にリスペクトするべき点があるといえる。

 

元々が裕福層の人は、それが当たり前で、とくに何をするでもなく

気が付けば手にしているものなので、どう生きようが

よほどの馬鹿をしない限りは、増えることはあっても

欲が発生する程に下回ることは早々ないであろうことから、

価値観は一定であることがうかがえる。

 

 

実のところ平民と変わりないんじゃないかと思う。

己が買えるものを買い、今ある現状の中で暮らす、

つまり現状に不満がない、という意味では同じなのだから。

 

「金銭に困らない」という「本質」だけでみると

ド平民であっても、裕福層であっても同じなんじゃないか、

というブっ飛びな考えに至ったわけであるが、

別にド平民の強がりではないのである。

 

「こうあるべき」という己が決める基準値が己の現状より高いと

その基準値を守る為、達成する為に無理をする、ということが発生するわけだが

それが生きる質を向上させるならば、素晴らしい上昇志向であり、

それがただの欲に振り回されているだけならば、価値観の見直しも時に必要かもしれない。

 

 

お金はいくらあって困るものではない、

これは確かである。

 

生活に困る程のカツカツの生活というのは、辛い。とても。

それは生活、ではなく生死に関わるので。

やりたいことは制限されるし、やれることに制限がある。

 

貧困層を経験しているので、そこはわかる。

 

ただ、そうだった頃、誰か、どこかと比べることがなかったおかげで

与えてもらえるもの、手にするものが少なくても

それはそういうものだと思っていた。

 

自分が全体からみて貧乏なんだということに気付いたのは、

やはり、違い、を目の当たりにした時だ。

 

自分と他人を比べ、マジョリティが生み出す価値観に翻弄されると

あるもの、ないものばかりに目がいく。

 

ないもの、を手に入れるのは悪くはない。

あるもの、に満足できることもまた良いことじゃないのか。

 

裕福が良くて、そうじゃないと悪い。

裕福が幸せで、そうじゃないと不幸せ・・・

という価値観だけで生きると、本質を見失う。

 

たしかに、

あるもの、ないもので良し悪しを測るのは明確なのかもしれない。

が、そういう欲がない、のは向上心がないのではなく

現状をより良く生きている証拠ともいえる。

 

結局、どの立場がいいか、ではなく

己の現状をどう捉えて生きるか、

そこに自身の価値観があるのかどうか、かもしれない。

 

 

お金を持ち過ぎている人たちが行き着くのは

お金を必要としない世界、だそうで。

 

そこの立ってみないと辿り着けない境地なのかもしれないが

非常に興味深い。

 

翌日、不穏な始まり。
SQUARE ENIX CHARACTER DESIGN: TETSUYA NOMURA / ROBERTO FERRARI
LOGO ILLUSTRATION:© YOSHITAKA AMANO
 
え?某魔法学校に現れたこともある、デスイー●??
と思わずにはいられなかったのは、私だけではない筈。
 
とにかくセブンスヘブンへ向かいます。
 
みんなと戦って、なんとか収束。
あれま、バレットさん、いけ好かないクラウドさんも一緒にいいんですかい?
 
クラウドは少し、選ぶ権利、欲しいみたいですけども?
なーんてな。行きますよ、クラウドさんですもの。
 
さて。
今月はとりあえず、溜めていた分で進めました!
が!実はここからプレイできておらず、、、
 
年内クリアー目指して、またボチボチプレイします!!
 
しばしスクショ記録日記、休憩~
つづく!!!