「離婚してほしい。この家にはもっとふさわしい人がいる。私はもう無理」泣いて言いました。実家に帰って少し休んだらいい、離婚は考えていない、と言われました。お義母さんとも話をしました。「悪い方にとって。私にも心がある。(自身の)病気を治すのもどれだけ心細かったと思うの❗」怒られました。自分のことばっかりで、もう何を言われても平気というか、感じなくなってました。
職場にも挨拶に行き、手紙やプレゼントをくれる人もいました。所長には事情を話していたので退職をお願いしましたが「また戻っておいで。戻れる場所があったほうがいい」と言われ一旦休職扱いとなりました。
元旦那さんが私の車で実家まで送ってくれました。いつもは笑顔で話す私ですが、何も話さず、その姿を旦那さんはバックミラーで様子を見ていました。
両親に「すみません。また迎えに来ますんで」と言い、元旦那さんは帰りました。
ここ数日でグンと痩せ、ヘルペスが顔半分にできている姿に両親はびっくりしていました。両親の手料理を食べ、幼稚園の先生だった妹は娘に手遊び歌を教えてくれています。両親と妹、娘の歌声がささくれた心に響きました。
このブログであげたことをすべては言いませんでしたが、母は「もう帰らなくてもいい❗かわいそうに」父は何も言いません。
そんな時、携帯に電話が入りました。お茶とお華の先生からでした。結婚後、家の近くでお茶とお華を習っていて、出産前には初釜のお茶会、役所の文化祭ではお華の展示の機会を与えていただきました。「親戚一同集まったら大変でしょ。ゆきさんは若いけど知識があったら違うからね」と気にかけてくれました。「ゆきさんは知ってると思うけどこのお華の生け方は…」と親戚の食事会では床の間のお華を愛でる会話に入れてもらったり、お茶の絵も拝見してから飲む御作法も自然とできました。
その先生から「若奥さんの車がない、って町で噂になってるよ。どうしたの❓」察しているかのように「あなたは都会から嫁いで若い。いいにも悪いにも好奇な目が向けられてることだけ知っといて」
その電話を聞いていた父が「周りが親戚ばかりで、さぞかし窮屈な生活だったんだろな。☆☆(娘)はみんなで育てよう」
父はまだ働いており、母は専業主婦。力を借りながら頑張ろう、と思いました。
夜に、近大に入院してた頃を思い出しました。看護学校に行けないだろうか。みんな自立し、素晴らしい看護師さん、助産師さんたち。看護学校の社会人入試を実施しているところは2校。一つは正看護師、一つは准看護師。正看護師の学校の願書締切は1週間後であったのですぐに学校に取りに行き、過去問も買いました。
英国数と小論文。よし❗やるぞと意気込みました。