独身の方や新婚の方にはピンと来ないかもしれないが、

夫婦間には「阿吽の呼吸」が存在する。


昔、ドラマか何かで「おい!」とか「あれ!」しか言わない

ダンナの要求するものを、当たり前のように取り出して

みせる女房を見た時に

「随分と大袈裟につくってあるなぁ~」

と感じたことがある。


その時私はまだ子供で、そんなテレパシーみたいなコトは

絶対にあり得ないと思っていた。


ところが結婚10年目を過ぎたあたりから、明らかにこれと

同じ現象が起きることに気が付いた。

そしてその数は年々増えている。




例えば昨夜の話し。


食事時にダンナがなにげなく言った。

「きょう、会社のみんなと話してる時にさ~地名をど忘れして、

どうしても思い出せなくて・・・山梨の方なんだけど・・・」


「あ、身延山?」


「そう!そうだ!身延山!やっぱりあゆちゃんには

分かったか~」


桜の時期だから、おそらく桜の名所だろうとたいした考えも

なく口から出た言葉。


「久遠寺の枝垂れ桜でしょ?」


「そうそう!いやぁ~どうしても出てこなくてさ。山梨で、山に寺が

あって、枝垂れ桜があってって言っても、誰も知らなくてさ。

仕方がないから、家でカミさんに聞いてくるよって言ったんだ。」


山梨・山・寺・枝垂れ桜・・・


これだけのヒントがあっても、他県の様子など分からなくて当然

かもしれない。


ちなみに私の場合、桜の時期どころか身延山・久遠寺には一度も

行ったことがない。

ダンナが観光バスの運転手時代に訪れて、えらく興奮してその

素晴らしさを語ってくれたのみである。


なのに会社の皆が分からないなら、女房に聞けば分かる。

という発想になるところが不思議なのだが・・・


どうやらダンナは私が「分からない」と言うとは思っていないらしい。

そして不思議なことに、意外と「分からない」ということがないのだ。


瞬時に分かることもあれば、「多分こういう事だろう」とあたりを

つけたものがドンピシャ!という感じで、的中率は異様に高い。


自分でやっていることなのに、どうして分かるかが全く分からない。


いや、ヘタに考えたりするとこの力は失われてしまうのかもしれない。


無意識に、長く夫婦生活を続けていくと起きる現象。

子供の頃に「あり得ない」と思ったものが確実に私の中に備わっていく。


あと10年、20年後にはもっと凄いことになるのだろうか。


~♪眼と眼で通じ合う~。そ~ゆ~仲になりたいわ~

                         (by.工藤静香)


そ~か・・・あの歌はこ~ゆ~ことだったのか( ̄~ ̄)