そうそう毎日ネタがある訳じゃないので本日は昔話です。
私は10代の頃に本格欧風レストランで半年ほど
アルバイトをしていたことがあります。
おかげで最低限のマナーを覚えることができました。
何事も経験は大事ですね。
欧風レストランというと、特に男性は苦手意識を持っている
方が多いようです。
フルコースを注文されたはイイが、ナイフやフォークを
並べている最中、一つ置く度に唾を飲み込む方。
総本数11本。たぶん口の中に唾は残ってないでしょう。
ワイングラスをブランデーグラスのように持ち、裕次郎風に
くるくるとまわしてしまう方。
グラスの足が高いので、とても間抜けです。
ナイフとフォークを使いながら、体操のお兄さんのように
肘が外へ高く開いていってしまう方。
食べ終えたあとは、一曲踊り終わったような汗が光っています。
なかなかさわやかな笑顔…しかし、今度は肉だあぁっ!
新たな敵に、早くも腰が退け気味だがどうだ?
いくか?いくのか?さあ!どうする。肉は旨そうだぁ!
そして…意を決して…いったあぁ!いきましたあぁぁ!
苦労のあとには幸せが待っている!極上のヒレ肉は彼に
どんな夢を見せてくれるのでありましょうか!
…………失礼致しました。途中、古館氏が乗り移ったようです。
気を取り直して参りましょう。
ある日、予約の団体様が個室をご所望されました。
静かにおくつろぎいただくには、最適のお部屋でございます。
お見えになったお客様は、老齢ながら風格のある一家の長を
筆頭に、そのご家族が付き従うといった風情。
奥様とお若いご夫婦が2組。
中学生ぐらいのお坊ちゃまと、小学生ぐらいのお嬢様を加え
総勢8名様でご来店いただきました。
失礼とは存じますが、今後この家長風のご老人を親分とお呼び
させていただきます。
個室は奇しくも和風でございまして、親分は当然のように上座へ
着席なさったのです。
他の方々もお席に着きましたが、見事にご自分の座るべき場所を
わきまえているという配置でした。
ところでこのお部屋には、防犯カメラなるものが取り付けてありまし
て、キッチンの方で部屋の様子を拝見することができるのです。
もちろん防犯という目的もございますが、お客様が料理をお召し上が
りになるスピードを把握して、次の料理の給仕に移るタイミングを計る
目的で、主に使用しております。
ところがこちらの団体、とにかく召し上がるお時間が早い。
原因は親分にあるのですが、親分がとにかくスゴイスピードで平らげ、
親分をお待たせしてはいけないと、他の方々も必死に手と口を動かすのです。
こっちのペースは狂いっぱなしです。
格調高いレストランが、一気にわんこそば屋へと転落した瞬間です。
次から次へと8人前の料理を運び、皿を下げ、目が回りそうです。
「お待たせ致しました」なんて言ってられない。
「へい!おまち!」でいいんじゃないか?
………失礼致しました。思わず語調が乱れてしまいました。
予想もつかない活気にチーフ(コック)も苛立ち気味です。
「(ステーキの)ソース持っていって、肉の焼き方聞いてこい!
なるべく時間掛けてな。」
そう命じられ、お部屋の方へと赴きました。
「お待たせ致しまして申し訳ありません。こちらはお肉のソースで
ございます。お醤油をベ-スにレッドペパーとアンチョビーで和風に
仕上げております。」
こう申し上げては何ですが、皆様が召し上がるスピードより、私の
口上の方が長いのでございます。
「お肉の焼き加減は、いかが致しましょう?」
まずは当然、親分にお伺いするのが筋でございましょう。
「普通でイイ。」
あっさりしたものでございます。
「それでは…ミディアムでお焼き致します。」
その後お一人ずつ、同じようにして伺うつもりでございました。
なにしろチーフに、「時間をかけて」と厳命されておりますから。
ところが、若夫婦の中でも年かさのいった方の男性が一言
「みんな同じで…」
またしても引き延ばし作戦パーでございます。
とって返して、厨房にそのことを告げると、大方の予想をしていたのか
すでにミディアムで焼き始めておりました。
戦場のようになっている厨房を見守りながら、モニターを確認致します。
会話が途切れたような様子があると、お客様が「遅いな」と感じる頃合
いなのです。
そう思わせないためにも、モニターは度々チェック致します。
ところがこの団体、入ってきた時から、無駄なお話は一切致しません。
お子様達までもが背筋を伸ばし、きちんと居住いを正しておられます。
今回の会食が、どういった意図で催されているのか…
不思議ではございますが、内情など知りたくもない重苦しい雰囲気です。
すると突然、何を思ったか、親分がソースの器を手に取りました。
今回の器は片手に乗るくらいのスープ皿の縮小版といったものです。
それを親分は、まるで杯で酒を飲むかの如くぐぐ~~っと飲み干した
のです。
おそらく肉の焼き方で注意力が飛び、私がソースだと言ったことを
忘れてしまったようです。
ハッキリ言って、ボケ老人です。
それだけでもぶっ飛びものですが、家長に従うのがこの家の掟らしく
他の方々も時を待たずして、一斉にぐぐ~~~っ
「チ、チーフ~~~」
慌てふためく私に向い、チーフは軽く舌打ちすると
「新しいの持っていけ」とだけ仰いました。
普段は温厚なチーフが、恐ろしい形相で舌打ちするところをはじめて
拝見致しました。
新しいソースと焼けたお肉を持って伺うと、皆様、とても気分がお悪そ
うに見えました。
まぁ当然でございましょう。量が量なら死んでおります。
でもさすがに親分は顔色一つ変えておりません。
親分恐るべし……
ここへ来てやっとペースダウンした皆様を尻目に、親分は相変わらず
黙々とスゴイペースでお肉を平らげたのでございます。
私共は老齢の紳士とお見受けしておりましたが、あの方、
実は妖怪か何かだったのでしょうか?