大好きや正しいから一旦離れてみる | KokoFuru

KokoFuru

グラグラだった自分軸を5年ほどかけて、ある程度固定させた気でいるアラフィフ・シンママの備忘録的なナニカ

私は、

自分が正しいと思ったものや

大好きって思ったものに

結構ずっしりと重きを置いてしまって、


自分の正しいや大好きから外れているものやことに対して、疑ってかかったり、抵抗感が出てしまう癖がある。

癖っていうか、もう自動装置。


気づく前に「それは違うだろ」
って思いが前面に出ちゃって、

受入れ拒否状態になっている。



最近、そんな自分に気がつくようになって、
そんな視野が狭い自分が嫌で、

新しい考え方や、生き方を
まずは「そういうのもアリだ」
って受け入れようと練習中だった。



それでも、
なんか違うなんかしっくりこない
って感じてるものがあって、

でも同時にどうしても理解したくて、
自分なりの解釈で納得しようと奮闘中だった。




それを、何とは無しに母に話してみたら、
母の説明を通して、

いかに私の根本の捉え方が
すでにひん曲がっていて、
超自分の世界観オンリーだったかって
客観視できて、
自分でもびっくりした。



「理解したい」って口ばっかで、
実際は「怪しい」「間違ってる」
ていう目線で見ながら「理解しよう」
ってやってただけだった。


そりゃ理解できないよなえーもやもや



そこにどんな愛があるのか、
全然見えていなかった。


そんな形の愛は
薄っぺらだって決めつけてた。




実際薄っぺらいのは
自分っていうオチだったキョロキョロタラー



吸収したい。


もっともっと色々な形の愛を知って
愛を吸収して、
そして必要な人の必要な形の愛を届けたい。



たとえ答えが一つなんだとしても、
そこへたどり着く道は幾千もあって、
どれだっていいんだよね。



そして、
「今」すぐにたどり着けなくてもいいんだね。



今をまずはやり過ごす力を養うサポートだって充分に愛なんだ。

究極の答えに導くこと以外に、
私に手伝えることは沢山あったんだ。




今年は、
沢山吸収する年にしていこう。←ってもう半分以上今年は過ぎてるけどなっ