2007/01/16
たとえそれが、一握りの土くれであっても
良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、野原の一本の木であっても
信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、地平の果てにあっても
君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえ手放すほうがやさしいときでも
人生は、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえわたしが、君から去っていったあとでも
わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。
タオス・プロブエの民の詩である。余計な事だがこれを読み良い風を感じた方はわたしと一夜で親友になれるはずである。…改めて言うが余計な事で申し訳ない。
何年後か、もしかしたら10年後、そうありたいと願う将来があった。
今している仕事を独立して起業する目標を持っていた。去年の10月までの話だ。
当時コンサル会社の頭が切れる代表取締(社長とゆう肩書きよりこちらの方が断然私は好みである)とお付き合いしていて、わたしの夢に投資をする話まで至った。
交際が終わったと同時に起業の話も終わった。
去年10月の話である。
なんとゆう失態…と思う事も何度とあったが
その頃に得た知識と、猛烈に励んだ仕事のお陰で私は大切な意志を持ち成長する事が出来たと思っている。
同業会社に電話をかけた時に不通ガイダンスが流れ、私と同じように夢を描き起業を果たしても潰れる会社がある現実を見て、もしかしたらダメかもしれないって思った。
10年後にはこの仕事は必要とされないかもしれない。
10年前なら間違っても潰れる事はないだろう仕事である。時代を見誤るな。
その時代を見据える事がどれだけ会社の長の目にかかっているかと痛感する。
しかし、何より私はこの仕事が大好きで大好きで堪らない。
休みがほしいと駄々を捏ねても、疲れきって家に帰ってから1時間微動だ出来なくても仕事の最中、無我夢中な私はこれ以上ない。
今も諦めていない。
と、実は最近ウダウダしていた自分を叩き起こす為に文章にしてみた。やはり諦めきれない。
明日からまた頑張ろう。
このブログ題に当てた言葉通り全ての人が夢を描き叶えてゆけるといいな、なんて汐らしく締めたいと思います。
おやすみなさい
良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、野原の一本の木であっても
信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、地平の果てにあっても
君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえ手放すほうがやさしいときでも
人生は、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえわたしが、君から去っていったあとでも
わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。
タオス・プロブエの民の詩である。余計な事だがこれを読み良い風を感じた方はわたしと一夜で親友になれるはずである。…改めて言うが余計な事で申し訳ない。
何年後か、もしかしたら10年後、そうありたいと願う将来があった。
今している仕事を独立して起業する目標を持っていた。去年の10月までの話だ。
当時コンサル会社の頭が切れる代表取締(社長とゆう肩書きよりこちらの方が断然私は好みである)とお付き合いしていて、わたしの夢に投資をする話まで至った。
交際が終わったと同時に起業の話も終わった。
去年10月の話である。
なんとゆう失態…と思う事も何度とあったが
その頃に得た知識と、猛烈に励んだ仕事のお陰で私は大切な意志を持ち成長する事が出来たと思っている。
同業会社に電話をかけた時に不通ガイダンスが流れ、私と同じように夢を描き起業を果たしても潰れる会社がある現実を見て、もしかしたらダメかもしれないって思った。
10年後にはこの仕事は必要とされないかもしれない。
10年前なら間違っても潰れる事はないだろう仕事である。時代を見誤るな。
その時代を見据える事がどれだけ会社の長の目にかかっているかと痛感する。
しかし、何より私はこの仕事が大好きで大好きで堪らない。
休みがほしいと駄々を捏ねても、疲れきって家に帰ってから1時間微動だ出来なくても仕事の最中、無我夢中な私はこれ以上ない。
今も諦めていない。
と、実は最近ウダウダしていた自分を叩き起こす為に文章にしてみた。やはり諦めきれない。
明日からまた頑張ろう。
このブログ題に当てた言葉通り全ての人が夢を描き叶えてゆけるといいな、なんて汐らしく締めたいと思います。
おやすみなさい