こんにちはニコニコ

今日は父が亡くなったときのことを書こうと思います。


5月14日 午前6時4分

前日の夜から実家に泊まりに帰って来ていた弟から電話が掛かってきました。

父が下顎呼吸(下顎上下させてする呼吸。死期が近くなると現れる状態)になってしまったこと。
父はもう長くはないから早く実家に帰って来て欲しいという連絡でした。

すぐに向かうことを伝えてから電話を切りモニターを確認すると、父がゆっくりと口を開け呼吸をして、またしばらくすると呼吸をすると言うことを繰り返していました。

下顎呼吸が始まるとどのくらいで死を向かえるのか調べるとそこには24時間から数日と書かれていて、本当に父が死に近付いているんだと思い知らされました。

すぐに身支度をして夫と子供たちを起こし向かいましたが、落ち着かない気持ちのせいか実家への道程がとても長く感じました。

7時前には実家へ着きすぐに父の部屋へ行くとモニター越しで見ていた通り父は口を大きく開けて呼吸をしていました。

弟と母が、

「お父さんしっかり!呼吸して!」

と大きな声で呼び、胸の辺りを叩きました。

その呼び掛けに答えるように父は再び呼吸をしましたが、その間隔は少しずつ長くなっていきました。

私は泣きながら父を呼び、夫や子供たちも大きな声で父に呼び掛けていましたが、父の呼吸はみるみる浅くなっていくばかり。

これ以上は待てないと思い担当の看護師さんへ電話をすると「呼吸が止まり、頸動脈に触れることが出来なくなった時点で連絡ください」と言われました。

電話を終えてすぐ、
7時15分を最後に父は呼吸をしなくなりました。

呼吸が止まってから3分ほど経ってしまったので、再び看護師さんへ電話をすると主治医へ伝えること、外来が終わり次第家に来て父の確認をしてくれることとなりました。


青白くなっていく顔。
冷たくなっていく体。

次の呼吸を待っていた時間。
どんなに探しても頸動脈に触れることが出来なかった瞬間。

父が死へ向かっていく一瞬一瞬を今でもハッキリと思い出せます。

でも息を引き取った後の記憶がすっぽりと抜けてしまっていて、自分がどんな風にしていたのかまるで思い出せません。
父にどんな言葉を掛けたのか、周りはどんなだったのか。
思い出そうとしても何も浮かんで来なくて。


父が亡くなり、
主治医から死亡届を受け取り、
葬儀屋さんと毎日打ち合わせをして、
来客の対応をする。

「人が死んでも、悲しむ暇がない」

と聞いたことがありましたが、本当にあっという間に日々が終わってしまいます。

自分の家と実家を何往復もして、
実家では葬儀の話し合いや久しぶりに会う親戚への対応、
家では出来るだけの家事と子供たちの世話を慌ただしく済ませ実家へとんぼ返り。(留守の間のことは夫に丸投げです。感謝しかありません)


決め事や気遣いばかりで頭はとても疲れるのに、いざ眠ろうとしても眠れず。
連日の寝不足と泣きすぎで目はいつも痛い上に上手く開かず。
頭がからっぽみたいなのに何かが詰まってるみたいに重くて実家への往復では車にぶつかりそうになること3回、サイドブレーキを入れたままアクセルを踏むこと3回、ともうめちゃくちゃになってきています(今私が事故で死んだらシャレにならないので運転には十分気を付けています)


人が死ぬって本当に大変です。

哀しみに暮れる暇すらなく、
だけどお別れの日は確実にやってきます。


昨夜帰り際、父に「また来るよ」と声を掛けましたが涙は枯れ果てたのか出てきませんでした。

介護ベッドに横たわる父を見ているととても不思議な気持ちになるんです。

「お父さんが死んだことも信じられないけど、生きていた時のことも信じられない」

と言うと

「分かる!なんかこの人誰って感じだよね?」

と弟が笑って言いました。
本当にその通りなんです。

間違いなく14日の朝までは息をしていて、生きていた父。
息を引き取るその瞬間も見て、悲しくて寂しくてたくさん泣いたのに。

今はただ感情が「無」になってしまっています。

この感覚はなんなんでしょうか。
悲しみに蓋をしてるのか、忙しすぎるあまり自分の気持ちに寄り添えないのか。

今まで味わったことのない感覚です。




今日は久しぶりに何もない日だったので自宅でゆっくりと休んでいます。
同じく寝不足の娘と一緒に午前中は眠っていました。(幼稚園は休みました)

決めることも、やることもあるけれど、
出来るだけ考えず過ごしたいと思います。