それだけだった。

車上で舞い、自分の血で口許を描いたその瞬間。
涙が溢れて止まらなかった。
ああ、もう笑わないで欲しい。
もうこれ以上笑顔を張り付けないで、と。


この映画を見たあと、数日放心状態となった。

美しい
悲しい
怖い

不安感が抜けず頭からジョーカーのことが離れない。
どうにもできない感情の正体が分からず貪るように考察を読むも一向に気持ちが晴れない。


映画館で2度目の鑑賞。

アーサーが看板を奪われ暴行される。
私は泣いていた。

1度目の鑑賞と同じように最後の車上でシーンでは涙が止まらなかった。


なぜ、私は泣いてしまうのか。
鑑賞中、考察する余裕はなく物語に没頭してしまう。
アーサーの悲しみが身体中を支配するかのよう。
こんな風に感情を揺さぶられる映画は初めてで苦しくて仕方なかった。


助けて欲しい。
苦しい。
どうかお願い。
いい子にするから。
私を見て。
私だけを。

思いは誰にも届かなくて。
枯れるくらい泣き叫びたかった。



私はこの物語が真実でも妄想でも、アーサーがジョーカーでもそうでなくてもいいんだ。
もう思い出せない過去をアーサーを通してゆっくりと浄化してる。
何度見ても涙が溢れる。
苦しくて辛くて不安でいっぱいで。
どうしようもないこの気持ち。




私は一体何を閉じ込めているのだろう。

共感して欲しくて
認められたくて
安心したくて
抱き締められたくて。

この世に存在してもいいのだと、そう思いたかった。


ふとまだそんなこと思ってるんだと虚しくなった。
とうの昔に精算した気がしたけどココロはまだ苦しいと叫んでる。
大丈夫だと言い聞かせ、仕方ないと諦めて。

子どもの頃の記憶がない。
何が悲しかったのか、苦しかったのか分からない。
映画を、アーサーを自分に投影して思い出せない過去を疑似体験している。
こんなにも精神がおかしくなるのに疑似体験って言うのも変だけど。
虚しくて苦しい、でもそうしたがってる自分がいる。
悲しみをどん底まで味わう。
小さかった、無力だった自分を癒すため。



こんなこと繰り返したら精神崩壊するかもしれない。
いやもうしてる。ぶっ壊れた。
映画の初見は2月16日。
次の週にも見に行って、DVDも購入した。
もう1ヶ月近く経っているのにふわふわと気持ちが浮き沈む。


あぁ、そうだ。
ほたるの墓を見たときもそうだった。
まだ介護職をしていた時、夜勤前に見たんだよね。
なんであんな悲しくて救いようのない映画見てたのか当時は分からなかった。
でも今こうしてJOKERという映画のおかげで分かった。

存分に悲しみたかった。
ただそれだけだった。

悲しさに蓋をして、怒りを抱えて、自分を傷つけて。
誰も信じられなくて、自分が一番信じられなくて、死んでしまいたいといつも思っていた。



まだ、まだ。
そんな気持ちが残ってるんだ。

ジョーカーが美しく感じたのは抑圧からの解放だと感じたから。
未だに泣き続けるのは悲しみを踏みつけて笑おうとするから。
ヘラヘラ生きていたいと願ったんだ。
何も感じたくないから。


久しぶりに底辺。
この映画は毒だけど、癒し。

アーサーが愛おしい、心底。
トラウマなんて言葉嫌いだけど、封じ込めていた地雷を踏んでくる。


感情なんてなければいいのに。
何が私を苦しめてるのか。
思い出せなくて、空しいよ。