母の闘病は、あらゆる意味で私の意識を揺さぶった。
父や姉が「後は神様に任せるしかないよね。」
「もうできることは神頼み。」
「神のみぞ知るだな。」と普段めったに口にしない「神」という言葉を、頻繁に口にした。
私もちょっとご無沙汰気味だった神々たちにすりすりとすり寄り、母のことを願い続けた。
暫く縁が切れていた神様系の友人が、ふらりとサロンを訪ねてくれて、再び縁が結ばれていたことを、心から感謝したし、ものすごく心強かった。
なんどラインで「母の様子が変ので見てもらえますか?」と頼んだことか。
そんなことを頼める人がいるということが、心の支えにもなったし、「大丈夫よ」と言ってもらえるだけでどれだけ心が救われたかわからない。
とりあえず自宅に母が戻ってきてくれて、そのご報告やら御礼やらを神々にしたいと思っていた。
11月に久しぶりで福岡のワークショップがあったので、かねてから訪ねてみたいと思っていた弊立神社に行く計画を立てた。
気のいい仲間の横と亮が、「行きましょう、久しぶりですね、この顔ぶれの旅行。」と賛成してくれて、講座明けの月曜日に福岡を出発しての一泊旅行の準備を整えた。
神様系友人に何気なく弊立に行くと言うと、「え、私も行く」と言う。
彼女は今年の初め、雪の中弊立に参り、龍神池を清めてきたという。
今年中にもう一度来いと言われていたが、なかなかその機会がなくてそのままになっていたらしい。
その日はスケジュールも空いていると言い、急遽一緒に行くことになった。
彼女のリクエストで行く予定ではなかった秋元神社にも足を延ばすことに
なった。
私は自称晴れ女。神系友人も晴れ女。なのに何故か雨が降った。
弊立神社も雨の中の詣でとなった。
熊本はまだまだ地震の影響が色濃くあり、道は工事中だったり、通行止め
だったりしていた。
弊立神社は来年に向けて鳥居を直していて、なんとなくざわつき感がある詣でとなった。
龍神が住まう池まで降りるつもりでいたが、強く拒まれているような気配が漂い、池に続く鳥居をくぐることをやめた。
高天原神話の発祥の地であり、宇宙神が祭られていて、八代竜王が住む池があり、伊勢の外宮、内宮がある神社。
「今度は会おうね」と竜王の声。
「また来いってことだよね。」私は返答した。
そこから2時間弱、本当なら工事中で通行止めだったが、雨で工事が中止に
なっていたため行きつけた秋元神社。
静かに力強いエネルギーが、全体に満ち満ちている。
二つの岩の祠から巻出る陰陽のエネルギーが、中央の舞台のような場に
情報を巡らせ、絵にかいたような陰陽模様を作り出している不思議な場所だ。
エネルギーの洗濯。
暫くそこに佇み、神々たちのパワーに身を委ねる。
気持ちがいい。
神々との交信は、自分がものすごく小さな点だと言う事にいつも気づかせてくれる。
とても小さな点の悩み事はもっともっと小さな点なのだという事にも。
「大丈夫、ささやかな事なのよ、何とかなるよ。」
神々はいつも鷹揚に、のんびりと、ゆったりと私の辛い心を慰めてくれる。
「肩の力を抜いて自分を生きるしかないよね。」
久しぶりの神社めぐり。
上から覗き込むような神々たちの視線を感じる。
「ありがとう。何か私にできることがあったらさせてください。」
手を合わせてお辞儀をした。