ちょっと養生~崖っぷち~ | 南青山・表参道のサロンオーナー 高島なゆみのヒーリングメッセージ

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開放 〜 広がり 〜 融合 Release 〜 Expanding 〜 Oneness
疲れている方たちへ、疲れていることも感じられない方たちへ、少しだけ立ち止まって自分自身を見つめる時間を持って頂きたい。

5月の連休最後の日曜日、仕事をさっさと片付けて母の元へ。

 

なんとなく微熱が取れず元気がない母の手を握りながら、一緒の時間を

過ごす。

 

うとうと眠る母。持って行ったアルバムを懐かしそうに見る母。

 

そんな母を見ながら、言いようのない不安に襲われた。

 

このまま、母はここで朽ちてしまうのではないだろうか。

 

たったさっきまで、母は少しずつ良くなっていくのだと思っていた。


やがて微熱が治まり、少しずつ元気を取り戻してくのだと盲目的に思っていた。

 

見守り、母のささやかな希望を叶え、食べれる物を運び、時間を共有し、

病床の母が少しでも心穏やかに過ごせるように支えていくということが、

自分にできることなのだと信じていた。

 

違う。

 

このままじゃダメになる。

 

根拠はない。

 

でも、ここが踏ん張りどころ。

 

正念場。

 

このままじゃ母はここから出られない。

 

 

手術後、私は一度も母に口にしなかった言葉を口にした。

 

「ママ、ママがものすごく頑張っているのは私が一番よく分かっている。

でも、ママ、ここが正念場。もう一頑張りしよう。私が出来ることはなんでもする。

ママと一緒に、どこまでも戦う。だからママ、一緒に頑張ろう。

こんなところで朽ちてたまるか! こんなところで負けてたまるか!だよ。

いつも一緒にいるから。だから頑張ろう。」

 

母は、私をじっと見ていた。そしてコクンと頷いた。

 

 

その日の夜、姉と父に話をした。

 

「このままじゃママはあそこでダメになる。私はこの2週間が勝負だと思ってる。

家族が総力を挙げて、ママを支えよう。絶対に良くなってもらうという気持ちを

強く持って。パパも毎日ママの所に行って励まして。私とのっちゃんは

スケジュールを調整して、ママを支える。それからお手伝いさん達にも協力してもらうから。家の事はいいから、ママを支えることに全力を注ごう。」

 

姉と父は、母が少しずつ良くなっていると思っていたので、私の話に驚いたが、

「わかった、正念場だね。」と同意してくれた。

 

次の日、担当医の先生に母が崖っぷちにいること、だんだん負のスパイラルに入っている事、ガタガタと行きそうなところを必死に支えている事。

なんとかいい方向に持って行きたいが、決め手がない事、そして最後に、

 

「最終的には本人の生きる力、生きたいと思う気持ちの問題なんです。それをご家族で支えてあげてください。」と言われた。

 

昨日私がひしひしと肌で感じた事は、やっぱり正しかったんだ、と唇を噛んだ。

 

その日、毎日夕方から少し上がる熱が、上がらなかった。

 

それだけも心が救われる。

どうぞ夜中に熱が上がりませんように、と祈りながら病院を後にした。

 

翌日母の所へ。

 

最初に母に尋ねることは「昨日、お熱は?」が習慣になっている。

 

「昨日は36度台後半から37度台前半で37.5分は越えなかったんですよ。」

と看護士さんが教えてくれる。

 

暫くすると担当医の先生が久しぶりに愁眉を開いた顔で来てくださり、

「今朝の炎症反応の数値が1000以下になっているし、肝臓の数値も良くなっています。」と仰った。

 

専門的な事はよく分からないが、ともかく、ずっと高かった炎症反応が、今日は下がっているということなのだ。

 

その後日々母の炎症反応は下がり続け、肝臓の数値も良くなり、4日後には

先生から「崖っぷちから中に10センチくらい入りましたね。」と言っていただけた。

 

術後集中治療室の中でも、最も重篤な患者が置かれるような、壁に囲まれ、

常に医師や看護士が打ち合わせをしたり、データーを調べたりするデスクの

真ん前、いつでも10人くらいの目があるところに寝かされていた母が、

週末行ってみると、集中治療室にこんなスペースがあったの?という、

細い廊下の一番奥の広い個室型の、南側に大きな窓があり、東京タワーが

目の間にある部屋に移されていた。

 

「ママ、お引越ししたのね。」と言うと

「そうなの、なんか今までの所に入る人がいるから、って言われて。」と言う。

 

「ね、ここ外の景色が見て、東京タワーが見えて、嬉しいね。
覚えてる?手術前にいたお部屋から二人で東京タワー見て、また一緒に見ようねって約束したこと。」

 

「うん。覚えている。」

私たちは、久しぶりに二人で同じ空、同じ外の景色を見ていることを、喜んだ。

 

なんとなく死の危機から一歩遠ざかったような、そんな気がして、心を大きく

支配していた緊張と不安が、少しだけ弛んだ。

 

15日には、術後初めて母はベットから降り、車いすに移動して院内のお散歩を15分位楽しんだという。

 

母にどうだったと聞くと「嬉しかったし楽しかった」と言う。

 

そんなささやかなことが嬉しい、楽しいと言う母が不憫で涙が流れた。

 

「ママ、ゆっくりゆっくり良くなろうね。」と言うと、「うん。」と頷く。

 

看護士さんが、「最初の小さな目標は車いすに移ってきちんと座り、院内を散歩するですが、お母様、すごく楽しまれて、もっと座っていたいって仰って。

姿勢も崩れないし、血圧も下がらないし、満点だったんですよ。

これが毎日できるようになったら、次の目標を決めて、また頑張りましょうね。

最終目標は退院してお家に帰るですが、小さな目標を少しずつクリアーして

日常生活を送れるようにリハビリしていくことが大切ですから。

それを支えるのが私たちの役割ですから。」と言ってくれた。

 

沢山の人たちが、母の命を懸命に支えてくださっている。

 

ありがとうございます。

 

何度も何度も頭を下げた。