病室に入る前には、ちょっと勇気がいる。
母の状態が悪かったらどうしようと、心が震える。
ちょっとした変化に一喜一憂し、マッサージをしたり、調整をしたり、できることをできるだけするしか、今はできることがない。
母の状態は、とりあえず重度心不全の危険な状態から脱出のための治療が
行われている。
心臓外科の先生がいらして、病状の説明をする。
「すみません、あの、一応喪服の用意も、ということですか?」と私が聞くと
「え、あ、それは大丈夫ですよ。全体的にいい方向に向かっていますよ。
二酸化酸素の排出も順調ですし、解毒も順調です。」と言う。
良かった。
心が救われる。
でもすぐに不安が広がる。
これは単なる執行猶予なのだと。
病室の外を見る。
人々が行き交っている。
この世界中の誰でもが、どこかのタイミングで、親を失うという経験をするのだ、ということが不思議な気がする。
そんな経験をしながら、皆強く、明るく生きているということが不思議。
母が覚醒している。
「辛い?」と聞くと、「この酸素マスクが。」と言う。
「もうすぐ取れるから我慢して。」と耳元で励ます。
病室を出ると看護士さんがすっと寄ってきて、
「少し落ち着いています。とても危険な状態からは、脱しています。」
と言ってくれる。
「ありがとうございます。こんな隔離部屋に入って機械に囲まれて、いよいよ
喪服か、と思っていました。」と言うと、
「え、隔離部屋? あ、ここ、個室なだけですよ、集中治療室にも個室があるんです、2部屋だけ。その大きな方のお部屋をお使いいただいているだけです。」と言う。
「・・・あ、そうなんですね。あ、ハイ。」
寝たきりの母。
透析に繋がれている母。
ただ機械に囲まれている母。
落ち着いてみれば、テレビや冷蔵庫がある。
手を洗ったりできる設備もある。
個室なんだ、集中治療室の。
姉に連絡すると、「えええ~」と言って笑う。
「でも、ま、個室だから、自由にいられるし、おしゃべりできるし、楽は楽だね」
と言い合った。
色の無い世界に、春の風が吹く。
季節は私の心を置き去りにして、進んで行く。
明日の事を考えるのは止めよう。
ともかく今日を乗り切らなきゃ。
自宅に戻り、寝る前に母の遠隔をしていたら、自分と母が、
一つのエネルギー体として繋がっている。
心が穏やかに、幸せになる。
そうだったんだよね。
私は母のおなかの中で生を育み、この世界に生まれたんだ。
母と一体で生きていた時間が自分にはあったのだ、ということに気づく。
私の人生で、最も幸せな時間を、私は母の胎内で過ごしていたのだ。