思いの行方 | 南青山・表参道のサロンオーナー 高島なゆみのヒーリングメッセージ

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開放 〜 広がり 〜 融合 Release 〜 Expanding 〜 Oneness
疲れている方たちへ、疲れていることも感じられない方たちへ、少しだけ立ち止まって自分自身を見つめる時間を持って頂きたい。

友人の奥様が亡くなった。急なことだった。

共通の友人と食事をしながら、彼の悲しみを悼んだ。

その時、友人がポツリと言った。

 

「この先のあいつの人生を考えると、

いつあいつの背中を押したらいいのかわからない。」と。

 

「それ、どういう意味?」と聞き返すと、

 

「あいつには幸せでいて欲しいからさ。

この先ずっと恋もしない人生を歩んでもらいたくないしな~って、

奥さん亡くしたばかりで不謹慎だけど、ついつい、考えちゃうんだよな。

何時になったら次の恋を奥さんは許してくれるのかな?とかさ。」

 

「へ~、そんなこと考えるんだ。」

 

「普通考えるだろ。」

 

「ねえ、それって、もしかして亡くなった方は

ずっと自分の事だけを思ってくれているという事が前提?

いつになったら許してくれるんだろうって、随分自分勝手な意識だよね。
ま、いいけど、視野が狭いあなたが言いそうな事では確かにあるしね。

だけどさ、申し訳ないけど、許すも許さないも、別の次元に行ってまで、

自分のことだけ思ってくれてるなんて、大きな勘違いですよね。」

 

「え、違うの?」

 

「違うとは言わないけど、この世界で好きよ、愛しているわよ、

みたいな感じではないとは思うけど。 少なくても、あなたしか見えない~~~。

という世界観は全くないでしょうね。」

 

「……」

 

「だって、自由になるんだよ。愛されて育った子供が、

巣立つみたいなイメージで。たくさんの愛に育まれて、

自分は肉体と共に生きたけど、次の世界に旅立ったら、

もちろん故郷を思い出さないわけではないけれど、

新たな世界でやることがあるから。それが下を覗いてみたら、

なんだか過去の自分の写真とか握りしめて、めそめそいつまでもされてたら、

ちょっとどうしようって、思うよね。」

 

「………」

 

「別れた恋人が、今でも一人でいます。貴方の思い出抱きしめて、

とか言ったら、勘弁してよ~って、思うでしょ。そんな感じよ。」

 

「………」

 

「といことは、次の恋をしてもいい。」

 

「奥様のことを愛していたら、自分が幸せであることが一番大切だと思うけど。

恋してもしなくてもいいけど、幸せでいるということが一番いい事。

それが相手を安心させる一番大切な事だから。」

 

 

 

「なんかそれ聞くと、ほっとするような、なんか、淋しいような、、、」

 

「確かに中にはいるかもね、ずっと私を忘れないでね、

ずっと私だけを愛してね、パターン。」

 

「いるんだ。」

 

「ほら、幽霊ってやつよ。相手を縛るということは、自分を縛るという事だから、

動けません、変化できません、ずっとあなたのいる世界に私もいます、って。」

 

「それは、どうかな。」

 

「あんまり美談ぽくないでしょ。」

 

「ちょっと、きついかも。」

 

「ま、相手がそのタイプだったら観念するのね、

そもそもそんな相手と結婚しちゃったんだから。

それはね、許してくれない、いつになったらって、

ず~~~と許してくれない。」

 

「それ、どうやって見分けるんだよ。」

 

「イタコに聞くのよ。」

 

「ま、マジ?」

 

「私は聞かないけど。」

 

「聞かないでどうするんだよ。」

 

「そんなの、情報取ればだいたいわかるから。」

 

「普通の人はわからないでしょ。」

 

「そっか、そしたら無視してデートしたり楽しんだりして、

何か変化があるか見てみたら。」

 

「変化?」

 

「そう、なんか変だな~みたいなことがないかどうか。」

 

「あったら、やばいんじゃないの。」

 

「やばいこともある。」

 

「……」

 

「大丈夫だよ、その時は私に聞いてよ。」

 

「ほんとだよな、ちゃんと教えるよな。」

 

「分かる範囲で。」

 

「で、本題に戻るけど、あいつに何て言ったらいいんだろう。」

 

「奥様はあなたのことを絶対忘れてしまわない。貴方がそうであるように。

そして奥様がこれからのあなたに望むことはたった一つ、

どういう形でもあなたが望む一番の幸せを、いつでも手にしていて欲しい

ということだと思うって、今は言ってあげれば。」

 

「そっか。」

 

「ね、ゴルフ誘ってみようよ。こんな時は、仲間と一緒がいいよ。

一緒に風を感じて、汗かいて、ビール飲んで、美味しい物食べようよ。」

 

「喜ぶよ、葬儀だなんだって、本当にバタバタしていて。

悲しむ暇もないって感じで。」

 

「よし、誘い出そう。楽しい~、悲しい~、淋しい~、ってみんなで叫ぼう!」

 

「ゴルフ場で?」

 

「そ、ゴルフしながら。」

 

 

 

大切な人が、自分を置き去りにして突然旅立ってしまうと、

置き去りにされた方の思いは、固まってしまう。

 

ただの別れなら、フッと今どうしてるかな~と思えるけれど、

どうしてるかな~?と思いかけて、繋ぐ先がない糸が

空で揺らぐような寂寥感と孤独感に苛まれる。

 

そっか、いないんだ、もうどこにも、

と自分に言い聞かせる作業は、心を小さくモノトーンにする。

今日をやり過ごし、明日をやり過ごし、

いつか心の薄墨が彩を取り戻すことがあるのだろうか、と思う。

 

でも、そういう時にこそ、自身の愛を信じなければならない。

どんなに全てが変わっても、愛の存在を、信じなければならない。

決して終わらない愛の偉大さを、信じなければならない。

愛していたし、愛している、これからもずっと愛している。

その愛は自分が他の誰かを愛していても、

変わることはないし、減ることもない。

 

旅立った方が降り注いでくれる愛の光は、

自分にだけでなく多くの人に降り注がれるけれど、

それはパワーが増しただけで、自分に対する思いが減ったわけではない。

自分が自分の人生を満たして生きるということが、

自分を愛してくれた人に応えて生きるということなのだ。

 

大切な人の死は、辛くて悲しい。

そこで全てが途切れてしまったような錯覚さえ覚える。

でも、思いは続き、愛は続く。
更に大きな力となって自分の人生を支えてくれる。

 

残された者が、輝けば輝く程、そこに関わって生きた魂は、

大きなパワーを持ち、光を降り注ぐ。