忘れてはいけない | 南青山・表参道のサロンオーナー 高島なゆみのヒーリングメッセージ

南青山・表参道のサロンオーナー 高島なゆみのヒーリングメッセージ

開放 〜 広がり 〜 融合 Release 〜 Expanding 〜 Oneness
疲れている方たちへ、疲れていることも感じられない方たちへ、少しだけ立ち止まって自分自身を見つめる時間を持って頂きたい。

母が帯状疱疹になり、週に1度から2度、皮膚科に通っている。
神経の修復に役立つビタミン注射を受けるためだ。
そこでお支払いする額は、500円に満たない金額だ。
通院を始めてから4か月を過ぎているが、通い続けれられるのは、
少ない負担金額のお蔭だ。

先日母は、長年抱えている肩の痛みと背骨の歪みに対して
診察に行ったが、2人の先生が、大変親切に診てくださって、
肩には注射、腰には、ソフトなコルセット、今後の治療のための
血液検査などを行ったが、お支払いした金額は3千円弱だった。

親しい友人のお母様が神奈川に住んでいらして、

ちょっとした不注意で手をざっくり切ってしまい、
夜間だったこともあり、救急車で病院に行った。
東京に住んでいる彼女の元に、お母様から連絡が入り、

出血が大変酷い事、しばらく様子を見ていたが、まったく止まらない事、
痛みがひどい事、などを訴え、救急車を呼ぶから、と言われた。
彼女は、さて、寝ようと思っていた矢先だったらしいが、

実家をめざしタクシーを飛ばした。

途中で数度、駆け付けた救急隊員から連絡が入り、

搬送する予定の病院の場所などの情報と同時に、
お母様の保険証と自宅の鍵が見つからずに、

お母様の指示を受けてありそうなところを探していると言われた。

高齢なうえに、手をかなり深く傷つけてしまった動揺もあり、

気が動転しているらしく、いつものしまい場所を思い出せない様子らしい。

その後5分後くらいに、再び連絡が入り、見つけることができないので、

搬送を優先させたいと告げられ、自宅に施錠できないことと、

保健証が見つけられないので、なるべく早く、保険証を持って、

搬送先の病院に来て欲しいと告げられた。

彼女は、今、そちらに向かってタクシーに乗っている事、

家の施錠は必要ないこと、保険証を探して病院に行くことを告げ、

電話を切った。

その後も、隊員の方から、無事に搬送したこと、

診察の結果縫合が必要なこと、

その処置を施すための許可をお願いしたいこと、

お母様は落ち着いていらっしゃること、

処置によって止血できたこと等を、こまめに連絡くださった。

保険証を探し当てて病院に向かうと、

救急隊員の方がお母様に付き添っていて、
駆け付けた時の状況等を説明してくださったうえ、

自宅に施錠できなかったことなどを詫びてくれたらしい。

彼女はその親切さに心から感謝していたし、感激していた。

 


 

「それでね~、その全てのお支払いがいくらだったと思う?

私、最初、間違いだと思ったのよ、桁が2桁は違うでしょ、って。
何度も確認したのだけれど、間違いじゃないって、

たった100円だったの。もう私、驚いたし、ものすごく感謝しちゃった。

何度お礼を言っても足りないって。」

「いい救急隊員の人にあたって、良かったね~。その方にお礼を言うのも、

医師にお礼を言うのも当然だけど、国民の皆さんにもお礼を言わなきゃね。

私も最近母の病院に行ったりすることが結構あるから、

治療費のことは、ありがたいな~って心から思うのよ。」

昔から、違和感をすごく感じていたのは、

子供の心臓移植が日本は許されていないため、

海外の移植手術のための募金を募る、という事に対する、

メディアなどの表現の仕方だ。日本でできれば、

こんなにお金かからないのにさ。というニュアンスが、鼻につく。

日本でやればお金がかからないのではなくて、

患者に多額の負担を強いないという保険制度が、

医療費を負担しているだけの話だ。医療費は、みんなが毎月支払っている

健康保険で賄われているだけなのだ。

もちろん保険制度には色々な不備な点もあるだろうが、私達もメディアも、
不備な所だけは大声だけれど、そのお蔭で助かっているという所には

かなり鈍感な気がする。

確かに毎月スタッフの厚生年金及び保険料の半額負担を

強いられている私は、あああ、本当に高い、と文句を言いたくもなるが、

先ほどの友人のように、私の母のように、身近で、その恩恵に預かっている

人たちと接すれば接するほど、仕方ないな、これは、と思うようになってきた。

保険制度が全くないアメリカで暮らした経験がある私は、

特に日本の保険制度の有難さは、身に沁みる。

「お金が無い人は死ねと言う事ですか?」

と詰め寄れる制度を持っている幸福さは、

「え、そんなの当たり前じゃない。」

という国に暮らしてみなければ、わからないだろう。

 


皆様のお蔭で、高齢な母も、きちんと医療を受けさせていただける。
その気持ちは忘れないでいよう。
自分が支払っている保険料が、突然の怪我や病に驚き苦しむ人たちの、
細やかな支えの一端を担っているということに、誇りをきちんと持とう。