ここ数回、ゴルフに行くとキャディーさんに褒められる。
「なゆみさん、お上手になられましたね~。」と。 この間は、
「なゆみさん、ゴルフやっている感じになってきましたね。」と言われた。
一緒に周るゴルフ仲間は苦笑する。
「キャディーさんの気持ち、わかるわかる。
長い間、本当にキャディーさんにはご迷惑をかけっぱなしだったものね。
よかったわね、なゆみちゃん。」
私はなんとなく釈然としない。
私はずっとちゃんとゴルフをやってたのに。
迷惑ってそうでもないよね。
そしてそれ以上に私を落ち込ませるのは、
現時点でもかなり下手なのにもかかわらず、
「褒められる。」という現象だ。
ようするにお話にならないくらい下手だったのだ、たったこの前まで。
今の下手とはくらべものにならないくらい、、、
自分ではゴルフをやっているつもりだったが、
あれはどうもゴルフではなかったんだ。
「~のつもり」って、結構恐ろしい。
サロンのスタッフの中でも、業務上の指示や指摘に、
「ちゃんとやっているつもりです。」と言う人は、
周りも手を焼くし、仕事上のスキルが伸びない。
「つもりじゃなくて、やってよ~。」と全員が心の中で叫んでいる。
指示や指摘は、できていればそもそも言われないことなので、
それを言われた時点で「やっていない、できていない」という事なんだ
と認めることが大切だが、「やっているつもり」人間は、そこがとっても難しい。
昨年サロンで取り扱っているお化粧品会社が開発した
シャンプーのサンプルを使用した時、
「ちょっと、すごいこれ。 今までのシャンプーって、
洗ってるつもり、きれいになっているつもりだったの。」と思った。
それくらいインパクトのあるシャンプーで、
メルマガでも熱をいれて紹介してしまった。
長年お世話になっている美容師さんが、
「髪が変わったわ~、何か変えました?」とすぐに反応した。
「つもり」は、つもりの中で必死にやっている間は、
自分が「つもり」領域にいることには気づけない。
きちんとやっている、まじめに取り組んでいる、高い物を使っている、
などの自分の勝手なOKで、それなりにやっている自分になる。
つもりに胡坐をかいてしまうと、その先には進めない。
何かのきっかけで、例えそれが快くない形の指摘であろうとも、
「つもり」領域を脱すると、自分に取っては細やかな進歩であったとしても、
周りの反応は、結構大きい。
褒めてくれる、認めてくれる、コメントをくれる。
つもりを指摘された時に、気づく心を持っていることは大切な事だ。
自分の周りに、自分のつもりを気付かせてくれる人を持っていること、
自分が「つもりの世界」から、一歩を踏み出した時、
それを正当に評価してくれる人がいることは、とっても幸せなことだ。
お互いがそういう関係性を持てたら、
お互いにとってお互いの存在は宝物になれる。