「私の日本論」1976年 池田大作
***平和憲法と日本***
残念ながら戦後20余年にわたって、万年与党として政権を担当してきた我が国の保守党は、
本来、この憲法制定に重大なる寄与をしたアメリカのその後の政策変更に追随して、軍備の復活をすすめ、
平和憲法を害虫がリンゴについたように空洞化してしまった。
...
それでも飽きたらず、戦争放棄の規定を非現実的な理想主義と嘲笑し「国を守る気概」などと唱えながら、
憲法改悪をすら企んでいるようである。

中略・・・

今日、再軍備をすすめ、憲法の改定を主張する人々は、戦争の体験を忘れた健忘症か
、戦争で甘い汁を吸った゛死の商人゛の手代としか私には考えられない。
国民は、戦争でまず犠牲にされるのが、だれでもない国民自身であることを、常に念頭において、
彼らの言葉を判断すべきであろう。
そうすれば、彼らの勿体ぶった論理の裏に隠されている悪魔の爪は手にとるように見えてくるはずであろう。
彼らはいう。
国民は国を守る気概をもたねばならない。
泥棒に対して戸締まりをするのは当たり前のことだとも。
では、どこかにピストル強盗が入ったからといって、
各人がピストルで武装しなければならないのか。
一体、戸締まりをするということが、
どこで武装と結びつくのか、どうも不思議な論理になってしまう。

中略・・・

平和憲法の精神と、理想とを、あらゆる国々、民族の心に植え付け、
戦争放棄の人間世界をひろげて、この地球を、宇宙をおおいつくすことである。