キラキラ女子高生から定時制高校という選択
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この前の続きのお話...
内容が重いので、不快に感じる方は読まないでください
初めて来られた方は良かったらシリーズ①~読んでいただけると幸いです
私の人生から光が産まれるまで~①
私の人生から光が産まれるまで~②
※以前に駿河湾に日帰り旅行に行った時撮れたピース✌️雲
母と離れ離れになって、心が張り裂けそうになりながら車で熊本市内~叔父の自宅がある千葉へと向かう間、自分の心の整理をしていたつもりだった。
実際は、最後に見た母の注射を射たれておかしくなりながら倒れていく様が、あまりにも強烈すぎる姿が頭から離れる事が出来ず...何も無かったように心に蓋をしただけだった。
千葉の生活に慣れた頃だった。 叔父と叔母に、全国で初めて出来た高校(中退・退学になった人たちだけを受け入れる)を受けてみないか?と言われ、母も祖父と祖母のいる実家に帰って来るし、とにかく母の近くに居たいので”うん”と言って帰る事になった。
※実は、母が措置入院になる前に女子校に数ヶ月通って行っていたが、家に帰りたくないが故に友達と遊びほうけて強制退学になった
その学校は、熊本県の県境にある、えびの市に出来たばかりのカッコイイ高校だった。
受験し無事に合格したものの、実際は生徒も先生も校長先生まで、全寮制で母の近くにいることが出来ないという事を知り行くことを断念した。
とりあえず知り合いもいないしどうしようと思いながら、バイトしながらお友達を作ろうと思い何個か面接を受けてみた。
新しく見つけたバイト先は、元ホステスのママをしていた超絶美人の女社長
仕事内容は、酒屋さんの前やスーパーで焼き鳥を焼いたりお祭りの時にテキ屋さんに混じってお団子を売ったりする、地味にとてもハードな仕事だった。
仕事はとても楽しかったが
テントのなどの組立てから、撤去作業を自分達でやるのでハードだった。とにかくその時は母の近くにいることが使命だと感じていた。
その、バイト先に2つ年上の女性がいてなんと彼女は、ご両親がすでに2人とも亡くなってしまい、1人で生活しているという...
その事実が衝撃だった。
当時の私は、その女性の生き方に、生きるという勇気をもらい、また憧れの女性となった。
彼女も定時制高校に通いながら、ここで働いているという...当然迷いはなかった。。。
中卒というのは申し訳ないという気持ちだったので、働きながら高校にも通えるし友達もいないから、
私も定時制高校という選択をしたのだった。
イベントなどの時は早朝4時や5時に起きて、お迎えに来てもらい仕事をしてから、夕方に一度帰ってシャワーを浴びてから、片道30分かけて自転車に乗り、毎日学校へと通っていた。
帰りは、田舎の山の方だった為、街灯が全くない漆黒の闇の中を抜けて帰るという生活をしていた
次に続く…
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