母 和江の母 私の祖母は和江が3歳から5歳の頃、亡くなりました。和江の記憶に寄ることしかわかりませんが自ら命を絶ったようです。死産になり、処置をした後、小さくならないお腹の中に狐がいると言ってお祓いを受けながら、「やめて!やめて!」と叫んでいた母親の姿を和江は覚えていました。事実はさておき、和江にとって母親の死のイメージはそのようなものであったのです。

1964年1月9日 私は帝王切開で産まれました。

逆子で

尚且つ

胡坐をかいている状態でお腹の中にいました

 

やむおえず帝王切開になり

出産後は

両脚脱臼でギブスを余儀なくされました。

 

 

1990年㋇31日 私は第一子である長女を出産しました。

このころ、陣痛促進剤が、当たり前に使用されていたので

疑問を持つことなく 予定出産をしました。

父方の祖母から生前、「障子の桟が見えなくならないと子は産まれん」と

聞いていた私は何度もサッシの溝をみていました。

とうとう、最後まで

サッシの溝は見えていました。

 

 

出産後は

何とも言えない達成感と幸福感を感じました。

 

 

 

当たり前に実家に帰り、両親のお世話になりましたが

母からかけられた言葉は

「知子はいいね。下から産めて。私は知子を産んだ時、帝王切開だったから

何も嬉しくなかった。親からもらった体に傷つけて。みんな、喜んでいたけど

私は何も嬉しくなかった」

さすがに凹んだことを今でも、はっきりと覚えています。

 

 

母親なのになんてことを言うのだろう??

そう思い、返す言葉を失いました。

 

その時の私は母の記憶とその言葉をリンクさせてイメージすることは

できなかったのです。

 

 

ヒプノセラピーの学を進めていく中で

ある時

ふと・・気づきます

 

 

 

母にとっての「出産」のイメージは恐怖なのではないか??

 

 

母自身の母親が妊娠→死産を経験し、そのことが原因で命を失っている。

その時の不安や恐怖が母の潜在意識の中に刻まれている。

ただでさえ、不安や恐怖の中の妊娠であったにちがいない。

その上、帝王切開になり

最も寄り添って欲しい親はいない。

周りは出産に手放しで喜び、母の不安や恐怖もちろん、そんな気持ちに

気付きもしない

 

抑圧された母の気持ちを少し理解できたように思いました。

 

 

 

言葉の暴力と言いますが

その意味を理解した時、母の想いを垣間見れたように思いました。

受け取った言葉だけでの解釈は難しかった

 

 

 

ヒプノセラピーは人生の謎解きのようだと感じました。