昭和13年 母 和江は 兄、三姉妹の二女として産まれました。和江の父はお婿さんですが和江の母もまた、養女でした。親戚からの両貰いでの結婚であったようです。
母 和江が幼い頃(3歳から5歳くらい)の時、母の母は亡くなっています。
その様な家庭環境で育った和江は生涯にわたり母の愛を求めていたのだと思います。
子供の頃に満たされることのない感情は記憶の中でいつまでもくすぶり続けます。
自分自身が認識し受け容れるまで続きます。母の心はお母さんを失ったその時から枯渇していたのだろうと思います。結婚して家庭を持ち、我が子に恵まれながらも心が枯渇している。想像しただけでも色あせた人生です。
幼い頃から、何度も
母から言われた言葉があります。
「母親が生きているだけ幸せだと思え」です。
私が小学一年生の時
母は自ら命を絶とうとし片脚を失いました。
その後、何度も投げかけられた言葉です。
幼いながら、反抗心はメラメラとお腹の底からやってきます
なぜ??
あなたにそんな事、言われなきゃいけないの??
自分のせいで足を失ったんでしょ!!!
記憶を遡っても 母を慕っていた その時の感情は
今も尚、思い出す事はできません
潜在意識の中には 母を慕った記憶が 出来事が 感情が
深く刻まれています。
だからこそ
なぜ、母が
「母親が生きているだけ幸せだと思え」と言ったのか??
その言葉の意味をいつまでも
追い求めたのだと思うのです。